13.仮想森林の勝者
引くしかない。
そう判断した瞬間、踵側のペダルを限界まで踏み込む。
機体が後方へ跳ぶ。
次の瞬間、エマの大剣が、さっきまで俺がいた場所へ叩き込まれた。
ドゴン!!
森が爆ぜた。
土が抉れ、仮想の地面が砕け、視界一面に茶色の煙が広がる。
衝撃そのものはない。痛覚もない。けれど、音だけは腹の底を殴るように重かった。
本当に力任せに振っているのだろう。それでも、最低限の狙いは外していない。
この土煙で、俺の視界は完全に切れた。
ここで動くのは愚策だ。
エマの力量なら、機動音を聞きつけて、確実に狙ってくる。
逆に、動かなければ最後に見えていた位置へ来る。
だから、俺はあえて動かなかった。
レバーを握る手にだけ力を込める。
VRゴーグルの内側に、自分の呼吸音がこもる。掌は汗で湿っていた。喉の奥には、さっきから消えない苦味がある。
土煙の向こうで、金属が軋む音がした。
『ってことは、そこか!』
エマの声。
同時に、白黒の機体が土煙を割って突っ込んでくる。
大剣を真っ直ぐ構えた、迷いのない直進。
それを待っていた。
直進ならば、読める。
俺は足元のペダルを強く踏み込んだ。
機体が上へ跳ぶ。
地面が一気に遠ざかる。木々の上端が視界の下へ流れ、空の白さが広がった。
その直下を、エマ機が突き抜ける。
俺は落下姿勢に入る前に、左手の銃を下へ向けた。
エマが着地したであろう地点。
そこへ一発。
パンッ。
乾いた銃声。
同時に、金属を叩く音が返ってきた。
当たった。
だが、今見るべきはエマではない。
俺はエマを避けるために、かなり高く跳んだ。
今の俺は、遮蔽のない的だ。
落下タイミングも読みやすい。
オリビアがまだ撃てるなら、ここで撃つ。
俺は視界の端まで神経を張った。
木々の間。
影。
射線。
音。
――来ない。
銃声はなかった。
狙撃できないほど機体が破損しているのか。
左腕を落としたことで、銃を出せないのか。
あるいは、今はまだ撃たない判断をしているのか。
不明だ。
だが、ここで撃たれないなら、数秒だけエマに集中できる。
着地。
足裏にペダルの硬さが戻る。仮想の地面が視界の下で揺れ、膝に相当する部分が沈む。
その瞬間、エマが撃った。
パンッ、パンッ。
遮蔽を使ったつもりだった。
だが、完全ではなかった。
肩に一発。
脚部に一発。
着弾表示が視界の端で赤く点滅する。痛みはない。それでも、機体の反応がわずかに鈍った。
直後、エマが大剣を構えて飛び込んでくる。
速い。
銃から大剣への切り替えに迷いがない。
俺も咄嗟に大剣へ切り替える。
右手に重心が落ちる。
その疑似的な重さに引きずられ、反応が半拍遅れた。
受けるしかなかった。
ガキン!!
大剣同士が衝突する。
耳の奥で金属音が弾ける。レバー越しに、鈍い震えが掌へ返ってきた。
エマはそのまま押し込んでくる。
強い。
単純に速いだけではない。
攻撃と攻撃の間に空白がない。こちらが受けた瞬間には、次の圧力が来ている。
ダメ押しのようなひと押し。
こちらの姿勢が崩れる。
エマはそこで深追いせず、わずかに下がった。
そして、銃。
無遠慮に撃ってくる。
パンッ、パンッ、パンッ。
木々の間に乾いた音が散る。
俺は機体をずらし、幹を遮蔽に使い、どうにか致命部位だけを外す。
言い訳の余地はない。
エマは強い。
圧倒的だ。
射撃も、近接も、切り替えも、判断も速い。
無邪気な声の奥にある戦闘勘が、こちらの想定よりも深い。
ただ、負けるわけにはいかない。
俺は大剣を構えた。
一か八か。
エマ機へ向かって踏み込む。
『お! いいねいいね!』
嬉しそうな声がした。
同時に銃声。
パンッ。
パンッ。
各脚部に一発ずつ命中。
視界端の表示がさらに赤く染まる。
踏み込んだ今、もう脚は使えなくていい。
ここから先は、勢いだけで届かせる。
エマも接近直前に大剣へ切り替えた。
俺はそのまま突っ込んだ。
カーン!!
金属音が、さっきまでとは違う高さで鳴った。
俺は下から大剣を振り上げた。
エマの大剣ごと。
自分の大剣ごと。
力任せに、上へ弾き飛ばす。
思惑通り、二本の大剣が空中へ跳ねた。
白い光の中で、巨大な刃が回転する。
その軌道だけを、視界の端で追う。
これなら、この場所が最適だ。
――その一瞬、エマ機の胸部が空いた。
頭部は、先ほど壊している。
機体のカメラが人間と同じ構造である保証はない。
だが、視覚情報の一部が欠けているなら、ここが死角になる可能性はある。
賭けだった。
俺は左手の銃を構え、引き金を押し込む。
パンッ。
パンッ。
二発。
――エマ機の胸部に、着弾光が咲いた。
一拍。
仮想の森が、静かになった。
『エマ・ハリントン、失格』
技術員の声が、両耳から冷静に告げる。
『はぁ~!?』
怒りの声が響いた。
目の前で、エマ機が粒子になって崩れていく。
白黒の装甲が光の砂へ変わり、森の暗がりに溶けて消える。
俺は息を吐いた。
勝った。
少なくとも、エマには。
だが、両脚部を破壊された機体はもうまともに動かない。
機体の姿勢は低く沈み、視界はわずかに傾いている。レバーを握る手には汗が滲み、指先が熱い。
残るは――
背筋に、冷たいものが走る。
機体を振り向かせるより早く、背後で金属音が止まった。
オリビア機だった。
左腕を失った機体。
それでも、右手には銃がある。
銃口が、こちらのコックピットに向けられていた。
脚部を潰され、その場から動くことのできない俺の背後に。
『あたしの勝ち、ですね』




