11.仮初めの戦端
『なぁなぁ、アイザワ!』
エマの声が、白く乾いた市街地に弾んだ。
スピーカー越しのはずなのに、その声だけは妙に近い。耳元で直接笑われているような距離感がある。
『賭けをしねぇ? オレが勝ったら、オレと昼メシを一緒に食べようよ』
「それくらいなら、許可が下りれば別に問題ありませんよ」
『許可がめんどくさいからお願いしてるんだろ~』
右側の白黒の機体が、左右に落ち着きなく揺れる。
機体そのものに表情はない。だが、今の動きだけで、中のエマが不満げに頬を膨らませている姿が想像できた。
『逆に、万が一アイザワがオレに勝ったら、オレと一緒に昼メシ食ってやってもいいよ!』
『ふふっ。エマちゃん、言っていることが一緒よ』
オリビアの声が柔らかく笑う。
花弁を指で撫でるような声音だった。
『いーの! どーせオレが勝つから!』
エマはまるで揺らがない。
その自信は、無敗という実績に裏打ちされた当然の判断なのだろう。
年齢や行動の幼さを理由に、この場で軽視していい相手ではない。
そんなやり取りをしていると、ほんの少し離れた地点に新しく一機、機体が追加された。
白黒の量産型。
だが、その立ち上がりは他の二機よりわずかに硬い。
『遅れました。申し訳ございません』
カレンの声だった。
通信越しでも、呼吸が少し乱れているのが分かる。
急いでコックピットに入ったのだろう。
『まぁ、そんなに遅れていないわ。気にしないで』
オリビアが穏やかに返す。
『それに、親睦会という名目だもの。私達はお喋りしていただけよ』
『揃ったなら始めようぜ! もーぎせん! もっぎーせん!』
エマの声が、何度も跳ねる。
戦闘前の空気というより、遊びの順番を待ち切れない子供のそれだった。
けれど、俺は知っている。
あの明るさは、油断に直結しない。
多分、エマは戦える。それも、かなり高い精度で。
『皆様、問題ないようでしたら、場所を森林エリアへ移動します』
技術員の声が入った。
感情を抑えた、確認用の声。
『出現位置は、全員が一定の距離を保った状態でランダム配置。
条件は五時方向から風速2m/s。
ルールは一つです。最後まで立っていた者を勝者とします』
一拍。
『怪我や痛覚の再現はありません。ご自由に戦ってください』
ご自由に。
その言葉だけが、やけに軽く聞こえた。
『質問などがなければ始めます』
異を唱える者はいなかった。
次の瞬間、視界が崩れる。
ノイズの海が、一瞬だけ全身を駆け抜けた。
視界の奥で白と黒が混ざり、足場の感覚が薄くなる。
現実の座席に固定されている身体と、仮想空間に立つ機体の感覚が、一瞬だけずれる。
再び視界が開いた時、そこは森林だった。
高い木々が周囲を囲んでいる。
幹は太く、葉は濃く、足元には湿った土のような色をした地面が広がっていた。
見た目だけなら、森と呼ぶには十分だった。
だが、匂いは相変わらずない。
土の湿り気も、葉の青臭さも、樹皮の乾いた匂いもない。
風速は演算条件として存在している。
だが、頬に触れる風はない。
木々はあるのに、葉擦れの音がしない。
視界の情報だけが過剰に美しく、嗅覚と皮膚感覚だけが置き去りにされている。その不一致が、逆にこの空間の作り物らしさを強めていた。
俺はレバーを握り直す。
掌には、現実の汗が残っている。
足裏には、現実のペダルの硬さがある。
目の前には、仮想の森。
この三つを切り分ける。
堅実に勝ちに行くなら、派手に動き回って位置を晒すべきではない。
ここは遮蔽物が多い。
視界は通りにくく、射線も切れる。
機体や戦闘音の再現精度がどの程度かは不明だが、少なくとも大きな移動や発砲は位置情報を与える。
なら、まずは待つ。
他の三機の動きを見る。
そう判断した直後だった。
六時方向から、爆発音が鳴り響いた。
腹の底を叩くような低音。
実際の衝撃はない。だが、音だけは森の中を乱暴に裂いた。
視界の奥で、火と煙が上がる。
攻撃か?
いや、早すぎる。
あの事前説明から考えて、すでに接敵が始まったとは考えにくい。
案の定、通信から明るすぎる声が響いた。
『オレはここにいるぞ! かかってこい!』
エマだった。
宣戦布告、というより、誘蛾灯に近い。
自分の位置を明かし、相手を呼び込む。
普通に考えれば愚策だ。
だが、エマがそれを理解していないとは思わない。
単純に戦いたいだけなのか。
あるいは、近づいてきた相手を確実に狩れる自信があるのか。
多分、両方だ。
ここで素直に出向けば、エマとの交戦中にカレンかオリビアが介入してくる可能性が高い。
一対一のつもりで向かった瞬間、横から撃たれる。
それでは話にならない。
取るべき手は決まっている。
俺はあえて、エマのいる位置から距離を取った。
足先でペダルを踏むと、機体が森の中を進む。
木の幹が視界の横を流れ、枝葉の影が機体の外装に落ちる。音は抑えているつもりだが、仮想空間内でどこまで反映されているかは不明だった。
低い斜面を回り込み、エマからは見えにくい高台を確保した。
木々の隙間から、あちらの様子が見える。
エマ機はそこにいた。
位置を隠す気がない。
白黒の機体が、小高い丘の上で不自然なほど目立っている。
そのエマ機を、遠巻きに観察している機体が一つ。
遮蔽物を使い、射線を切りながら慎重に位置を変えている。
動きが丁寧だ。
恐らく、オリビア。
もう一機は、少しずつエマへ距離を詰めていた。
一歩。
また一歩。
木々の間を選びながら、機体が前進する。
真正面からではない。
斜め。
死角を取ろうとしている。
悪い動きではない。
だが、相手がエマなら足りない。
『あ!』
エマの無邪気な声が響いた。
次の瞬間、森が裂けた。
銃声。
その瞬間、今が好機だと判断した。
オリビアだと思われる機体は戦闘を観察している。
常に次の一手を考えているはずだ。
なら、その思考が切り替わる前に叩く。
俺は視線を、慎重に機会を窺っている機体へ向けた。
見えた。
木々の影に紛れながら、綺麗に距離を保っている。
動きは堅実だ。
だが、堅実だからこそ、今は読める。
俺は足先に力を込め、高台からその機体へ向かった。
ペダルが沈む。
機体が前へ出る。
森の静寂が、俺の足音で割れた。
枝葉の影が視界を流れ、レバーを握る掌に汗が滲む。
喉の奥には、まだ消えない苦味があった。
それでも呼吸は乱さない。
エマの銃声は一発で終わらなかった。
連続する乾いた破裂音が、木々の間を叩く。
火線が走る。
銃声のたびに、金属を叩く鈍い音が響いた。
あれだけ命中していれば、機体はもう持たない。
直後、耳元に音が届く。
『カレン・リウ、失格』
技術員の声が、冷静に告げた。
初動で落とされた。
エマの反応速度と射撃精度は、想定より高い。
ただ派手なだけではない。
位置を晒して、誘って、射線に入った瞬間に潰す。
やり方は単純だが、実行精度が高い。
カレンが消えた直後の数秒。
エマがまだ笑っている間。
オリビアが次の盤面を組み直す前。
そこが、最初の隙だ。
俺は、まだこちらに気づいていないであろうオリビア機の真後ろへ回り込む。
右の親指を押し込む。
大剣が現れる。
その刃を、力の限り叩きつけた。




