10.最高品質の俺に
TARAK-Xモデルを相手にした実戦形式の確認が始まろうとしていた。
調整のために全てが一時停止している状態だ。
だが、VRゴーグルの内側にこもった熱と、耳の奥で低く鳴る電子音だけが、これから戦闘が始まるという事実を身体へ押し込んでくる。
レバーを握る掌には、薄く汗が滲んでいた。
『では、実戦形式に――』
技術員の声がそう告げかけた瞬間、別の声が割り込んだ。
『えー、どう見ても動かせてんじゃん。つまんないよ。もう模擬戦しようよ』
エマだった。
通信越しでも分かるほど、声が弾んでいる。
退屈を隠す気がない。
ただ、それが子供じみた我儘なのか、こちらの適性を測った上での判断なのかは、まだ切り分けられなかった。
少し間が空く。
その後、古川の声が入った。
『そうだね。正直、もう飽きちゃったよ。良い案じゃないか』
軽い声だった。
だが、意味は軽くない。
古川は、俺が仮想量産型モデルまで使いこなせるという付加価値を、これ以上この場で積み上げたくないのだろう。
トリックスター本機ならいくらでも言い訳が立つ。
特殊な機体。
特殊な接続。
特殊な条件。
俺の能力ではなく、機体側の異常性へ寄せて説明できる。
だが、仮想量産型モデルでも異常な結果を出せば、話が変わる。
俺自身の資源価値が上がる。
それは古川にとって、使える札であると同時に、管理しにくい火種でもあるはずだった。
「そうですね」
俺は短く息を吐く。
ゴーグルの内側で、自分の呼気がわずかにこもった。
「お手柔らかにお願いします」
『やったー!』
エマの歓声が、左右の耳から突き抜ける。
その明るさは、無人の市街地には不釣り合いだった。
俺はゴーグルを外す前に、通信へ声を返した。
「一度、外の空気を吸ってもよろしいですか?」
『許可します。コックピットを開放します』
視界が暗転する。
砂嵐のようなノイズ。
次に現実の光が戻ってきた時、ヘルメット型のVRゴーグルの内側にこもっていた熱が、急に重く感じられた。
固定を外す。
頭部が自由になると、髪の生え際に汗が滲んでいることに気づいた。
装置の扉が開くと同時に、隙間から外の冷たい空気が流れ込んだ。
機械樹脂の匂い。金属の匂い。人の多い室内特有の、熱のこもった空気。
それでも、ゴーグルの中よりはずっとましだった。
扉の先には、佐々木が立っていた。
片手にタオル、もう片方にスポーツドリンク。
準備が良すぎる。
俺が出てくるタイミングを、ある程度読んでいたのだろう。
「やりすぎです」
第一声がそれだった。
タオルを受け取り、額と首筋を拭う。
布地が汗を吸う感触が、妙に現実的だった。
「すみません」
俺は少しだけ肩をすくめる。
「手を抜く隙もないほど簡単だったもので」
佐々木の眉間に皺が寄った。
咎めるための表情か、呆れか、判断はしにくい。
「そういうところです」
低い声で言われる。
俺はスポーツドリンクを受け取った。
口をつけると、甘さと塩気が舌に広がり、喉を通って胃へ落ちる。
想像より体力を消費していたのだろう。ボトルの中身は一瞬で空になった。
それでもまだ不快感は残っていたが、冷たい液体が身体の内側を一筋だけ通っていく感覚で、意識が少し戻った。
「先ほど、カレンさんが到着されたそうです」
佐々木が続ける。
「準備に五分もかからないはずです。もうすぐ始まります。コックピットへお戻りください」
「はい」
俺は空になった飲み物の容器とタオルを返す。
佐々木は何か言いたそうに俺を見たが、結局それ以上は言わなかった。
そっと装置の中へ戻る。
様々な言い訳はできる。
だが、体力の消耗が想像より大きいことは事実だった。
ここからは対人戦。
ペース配分と体力の温存を前提に、戦況を組み立てる。
そう決意し、座席に腰を下ろすと、背中に冷たい固定具が触れた。
肩、腰、脚。
さっきよりも、拘束の意味がはっきり分かった。
レバーを握るとさっきよりも掌に馴染んでいる。
足裏でペダルの位置を確かめる。
そうしてヘルメット型のVRゴーグルを被ると視界が暗くなる。
外のざわめきが遠ざかり、自分の呼吸音だけが近くなる。
『仮想空間を展開します』
技術員の声。
暗闇。
ノイズ。
砂を噛むような電子音が耳の奥を撫で、視界がゆっくりと開いていく。
再び、市街地に立っていた。
だが、今度は俺一人ではなかった。
少し離れた位置に、二機の機体が佇んでいた。
それは、ロボットと聞いた時に、真っ先に思い浮かびそうな姿。
白と黒を基調にした外装。
直線的な肩。
人型に近いシルエット。
現実の兵器というより、人間が理解しやすいように作られた戦闘機械の形。
トリックスター本機とは違う。
あれのような、こちらの神経を直接覗き込んでくる気配はない。
右側の機体から、エマの声が響く。
『とうとう本番だな!』
スピーカー越しの声は、少しだけ硬質だった。
それでも、彼女の明るさは消えていない。
むしろ、戦場の形をした仮想空間の中で、より生き生きしているように聞こえた。
左側の機体からは、別の声がした。
『カレンさんもまもなくコックピットに入るそうですよ。緊張しますね』
オリビア。
柔らかい声だった。
対面で握手した時と同じ、花を思い出させるような声音。
だが、通信越しだからだろうか、その柔らかさは、逆に作られたものにも聞こえた。
白黒の三機が、無人の街に立っている。
その現状を把握しながら、俺は古川の言葉を思い出していた。
『正直、ナギ君の勝敗は、今回の仮想量産型モデルでの対戦では大した価値はないからね』
おそらく、あれは“負けろ”という指示だ。
理由も分かる。
ただでさえ、今の俺の資源性は高い。
トリックスター本機と接続できる唯一に近い操縦者。
TARAK-Xと交戦し、付近に降下した機体を全て破壊して、生還した少年。
全ての陣営が俺を管理したがる理由は十分にある。
だが、それはまだ誤魔化せる。
“トリックスターが”異常で特別だと。
相澤ナギ個人ではなく、機体との組み合わせが危険なのだ。
そう処理できる。
けれど、仮想量産型モデルでも非凡だと知れれば、その言い訳は弱くなる。
俺自身が、兵器として見られる。
交渉材料として。
研究対象として。
保護対象として。
あるいは、拘束すべき危険物として。
普通なら避けるべきだ。
古川の意図に従い、ここでは適度に負けるべきなのだろう。
だが、俺の狙いは逆だ。
俺は、発言権が欲しい。
TARAK-Xを殲滅するために、俺の言葉を無視できないところまで価値を引き上げる必要がある。
ナミを奪ったものを殺すためなら。
ナミを壊したものへ届くためなら。
俺自身に降りかかる火の粉くらい、どうとでもしてやる。
利用されることが怖いわけではない。
管理されることが問題なのでもない。
使われるなら、使い返す。
値踏みされるなら、値札ごとこちらで書き換える。
俺は目的のために、俺自身の価値を吊り上げる。
その結果、どれだけ息がしづらくなったとしても。
どれだけ多くの視線が、俺の皮膚を剥がすように向けられたとしても。
関係ない。
レバーを握る手に力を入れる。
掌に、硬い凹凸が食い込む。
ペダルへ足を置く。
ゴーグルの内側で、呼吸が静かに反響する。
無人の街は、音を待っている。
銃声か、足音か、金属同士がぶつかる音か。
それとも、俺がこの場で勝つことで発生する、もっと大きな軋みか。
どれでもいい。
俺は俺の目的のために、この戦いは絶対に負けられない。




