↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/69

9.偽りの前哨


 視界が暗転した。

 耳の奥で、ノイズが走る。


 それは一秒にも満たない時間だったはずなのに、目を閉じたまま水の底へ沈められたような圧迫感があった。

 頭部を包むVRゴーグルの内側は微かに熱を帯び、鼻先には機械樹脂の匂いがこもっている。


 次に目を開けた時、そこには街があった。


 十階建てほどのビルが、一定の間隔を置いて点在している。

 大都会というほど密度はない。だが、田舎とも言い切れない。広い道路。無人の歩道。白く乾いた空。遠くには、簡略化された高架のような構造物も見えた。


 風の痕跡は見受けられず、現状、匂いも感じられない。


 視界は鮮明だった。

 光の反射も、建物の影も、路面の細かな凹凸も作られている。ジョンソン総司令が言っていた通り、この数日で投入できる映像技術を、可能な限り注ぎ込んだのだろう。

 こんな非常時でなければ、絶対に成立しない速度の成果物だ。

 それは理解できる。


 理解できるが――やはり、映像だった。


 トリックスターの視界とは違う。


 あれは「見る」というより、世界そのものを掴まされる感覚に近い。

 距離も、熱も、振動も、空間の歪み全てが情報として身体に入り込んでくる。


 対して、これはあくまで目の前に置かれた絵だ。

 綺麗で、精密で、よくできている。

 だからこそ、どこまでも作り物だと分かる。


『マイクテスト、マイクテスト。聞こえたら応答願います』


 左右の耳から、技術員の声が聞こえた。

 外部からの音声だ。

 距離感はない。耳元に直接置かれたような音だった。


「鮮明に聞き取れます。同じくマイクテスト、マイクテスト。確認をお願いします」


『マイク、ヘッドホン共に問題なし』


 技術員の声は少しだけ硬い。

 緊張しているのか。

 それとも、単に俺の反応を全て記録しているからか。


『これから無風状態で、静止した的を出します。まずは左右の腕を使い、銃で撃ち抜いてください』


「了解しました」


 返答した直後、数十メートル先に的が出現した。


 ダーツの的に似ている。

 白い街並みの中で、その円だけが不自然なほど分かりやすく浮かんでいた。


 俺は右手のレバーを軽く動かす。

 視界の中で、機体の腕がそれに追従した。

 遅延はほとんど感じられない。

 レバーの冷たい感触が掌に沈み、親指の下にあるボタンの位置を確認する。足裏では、ペダルが靴底越しに硬く待っていた。


 操作に問題はない。

 左の親指で、銃を呼び出す。

 視界の中の機体が、何もない空間から銃を握った。


 出現の瞬間、重心が少し左へ傾く。


 仮想空間であっても、そこは再現されているらしい。

 銃を構え、照準を合わせる。


 引き金を引く。


 パンッ、と乾いた音が鳴った。

 的の中心が撃ち抜かれる。

 反動は軽い。

 音も、衝撃も、よく調整された疑似感覚だ。


『次』


 新しい的が出る。

 パンッ。


『次』


 パンッ。

 視界の端で、命中判定を示す数字が淡く点滅する。

 十体ほど撃ち抜いたところで、技術員の声が入った。


『次は的が動きます。無風状態は継続します』


「了解」


 的が横へ滑る。

 速度は遅い。

 ただの移動標的だ。


 パンッ。


 中心。


 次。


 パンッ。


 中心。


 銃声だけが、無人の街に乾いて響く。

 ビルの壁に反響する音も再現されている。だが、空気が震える感覚は薄い。音はあるのに、皮膚まで届かない。

 その人工的な軽さが、逆に神経を冷静にしてくれた。


『九時方向から風速3m/sを追加』


「照準、左へ0.4補正」


 言いながら、視線を動かす。


 的が増える。

 角度と距離、速度に銃口のブレ。そして反動。

 計算は単純だった。


 パンッ。

 パンッ。

 パンッ。


 全て中心。


 数秒だけ、通信の向こうが静かになる。


『……全弾命中』


 技術員の声に、わずかな温度が混ざった。

 驚き。

 あるいは、納得。

 どちらでもいい。


『次は回避・近接操作の確認です。

 敵性モデルは攻撃の予備動作のみ行います。足を含めた操縦に慣れることが目的です』


「はい」


 その返答の直後、目の前に影が出現した。


 TARAK-X(ターラクス)。


 ただし、粗い。


 ポリゴンの角が見える。輪郭は荒く、質感も薄い。あの生理的な異物感は再現しきれていない。

 それでも、胃が反応した。

 喉の奥に、酸が上がってくる感覚。

 さっき磨いた歯のミントの刺激と、胃液の苦味が混ざる。舌の根が強張り、唾液が増えた。


 作り物だ。

 これは作り物だ。

 そう理解しても、身体は別の記憶を参照している。


 俺は、意識的に息を吐く。

 視線を固定する。

 今見るべきものは、目の前の個体だけだ。


 足先でペダルを踏む。

 機体が前へ出る。


 重い。


 トリックスター本機のような、思考と動作が一体化する感覚はない。こちらは、明確に命令してから動く。

 だが、動く。なら十分だ。


 右手の親指でボタンを押す。

 大剣が出現した。

 握った瞬間、今度は右側へ重心が傾く。


 それをレバーで抑え、踏み込みと同時に腕を振る。

 刃が、粗いTARAK-X(ターラクス)の胴を斜めに裂いた。


 軽すぎる感触だ。

 肉を断つ感触も、装甲を砕く抵抗もない。

 ただ、映像が切断され、破片のような光が散る。

 

 しかし、こみ上げてくる不快感だけは、先ほどの映像に直結して異様なまでに重い。


 それでも、倒れた。


『次、出します』


 二体目。


 俺の不快感に付き合っている猶予はない。

 今度は右側から。

 足先を踏み、斜め前へ出る。


 腕の可動域と剣の長さ。

 踏み込みの距離。

 処理する情報が増える。

 だが、追える。

 ならば、切る。


 三体目。

 少しだけ動きが速い。

 相手が攻撃の姿勢を見せる。

 俺は踵側を踏み、機体を後退させた。

 距離が空く。

 次の瞬間、前進。

 右腕を振りあげての斬撃。

 

 仮想TARAK-X(ターラクス)はあっけなく崩れる。

 呼吸が少し乱れていた。


 身体を動かしているわけではない。座席に固定され、四肢でレバーとペダルを操作しているだけだ。

 それでも、首筋に薄く汗が滲んでいた。


 VRゴーグルの内側が熱い。

 レバーを握る掌も湿っている。

 喉の奥には、まだ吐き気の名残があった。


 だが、手は止まらなかった。


 画面の向こうで、三体目の残骸が消えたところで通信が入る。


『操作適性、問題なし』


 そこで一拍置いて、技術員が告げた。


『では、実戦形式に移ります』


 無人の街が、少しだけ暗くなった気がした。

 風は一度途切れた。

 匂いもない。

 それでも俺は、戦場に入る前の空気を感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。