8.既知の未知
扉が開いた瞬間、冷たい光が足元へ流れ込んだ。
部屋の中は広かった。
格納庫ほどではない。けれど、天井は高く、壁面にはいくつものモニターが並び、床には太いケーブルが血管のように這っている。空調の風が強めに流れ、髪を静かに揺らしていた。
機械の低い駆動音と、電子端末の短い操作音。
人間の声を抑えたようなざわめき。
そこへ俺が一歩踏み入れた瞬間、数百の視線が一気にこちらへ向いた。
その圧を、一身に背負う。
興味。
警戒。
好奇心。
値踏み。
その全部が、白い照明の下で遠慮なく俺に向けられていた。
当然だろう。
今の俺は、ただの十四歳の少年ではない。
トリックスター本機に搭乗し、TARAK-Xと交戦して殲滅を果たし、生還した人間。
彼らの目には、俺は人間というより、観測すべき特異点に近いものとして映っているはずだ。
「アイザワ!」
その重たい視線の束を切り裂くように、明るい声が飛んできた。
エマだ。
弾丸みたいな少女は、周囲の空気など最初から存在しないもののように、一直線にこちらへ駆け寄ってくる。
軽い足音と、短いツインテールの揺れ。
その動きだけが、この部屋の無機質な冷たさから浮いていた。
「オレの実力、楽しみにしてくれよ!」
そう言いながら、エマは俺の周囲を落ち着きなく歩き回る。
正面に来たかと思えば、横へ回る。距離を詰めたかと思えば、すぐに離れる。
まるで、跳ねる弾が次の軌道を探しているみたいだった。
ただ、その瞳だけは軽くない。
楽しげに笑っているのに、こちらの呼吸、姿勢、視線の動きまで拾おうとしている。
無邪気さの中に、戦う人間の観察眼がある。
「やぁやぁ。エマはすっかりナギ・アイザワに夢中だな」
低く、よく通る声が響いた。
視線を向けると、ジョンソン総司令がこちらへ歩いてきていた。
その後ろに、オリビアがいる。
モニター越しに見た時と同じ、整えられた金髪。隙のない立ち姿。
だが、画面越しでは分からなかった香りがあった。
柔らかい花のような匂い。
この機械と金属の匂いが支配する部屋では、異物みたいに上品だった。
「対面では初めまして。オリビアです。今日はよろしくお願いしますね」
オリビアは、つぼみが花開くように微笑んだ。
そして、自然な動作で手を差し出す。
「よろしくお願いします」
俺はその手を握り返した。
細い手の指先は冷えていて、握手の圧は過不足ない。
こちらに不快感を与えない範囲で、全てが制御されていた。
笑顔、礼儀、距離。
その全てが、よく調整されていた。
握手が終わると、オリビアは笑顔のまま、自然にジョンソン総司令の後ろへ下がる。
退いた、というより、場を明け渡した。
その動きを見計らったように、ジョンソン総司令が左手側へ向けて大きく腕を伸ばした。
「これは、全世界の技術者をかき集めて開発した、未知の機体への適性を測る機械だ!」
指し示された先に、5メートルほどの装置があった。
外殻は白と灰色。
表面には接続用と思われる端子が並び、何本ものケーブルが床へ伸びている。
人間を入れるための棺にも、戦闘機の操縦席を無理やり地上へ引きずり出したものにも見えた。
「まだ日が浅いから粗もある。だが、今現在、これ以上のものはどこがどうやっても作れないだろう」
ジョンソン総司令は声を張る。
「今日はこれで、模擬戦という名の親睦会とでもしようじゃないか!」
親睦会。
その言葉と、目の前の機械の威圧感はまったく噛み合っていなかった。
ここにいる誰も、その言葉を本気で受け取ってはいない。
これは親睦会ではない。
各国が、各操縦者が、互いの性能を測る場だ。
笑顔と拍手の形をした、戦力評価。
その中心に、俺も組み込まれている。
ジョンソン総司令はそのまま古川の方へ向かい、何かを話し始めた。
声は聞こえるが、内容までは拾えない。
代わりに、白衣を着た技術員がこちらへ近づいてきた。
「実際の中身を確認しながらの方が早いので、同行願います」
佐々木が一度だけ頷く。
俺もそれに続き、「あとでなー!」と叫ぶエマの声を背中に受けながら、その装置へ近づいた。
そこへ近づくほど、機械の匂いが濃くなる。
金属と樹脂、そして冷却材。
新しい部品特有の、まだ人間の手垢が染み込んでいない匂いが鼻を占める。
まず警備要員による不審物のチェックが入った。
無線機のノイズ。
装備の擦れる音。
金属探知の短い電子音。
それらを抜けて、ようやく俺は内部へ入る。
中は、想像していたより広かった。
三畳ほどの空間。
中央に座席。
左右にはレバー。
足元には二つのペダル。
創作物で見たことのある操縦席に近い。
これが量産型の内部なのだとしたら、やはりトリックスターはどこまでも異質だ。
それでも内部には圧迫感があった。
狭い空間に、機械と人間の境界を詰め込んだような圧力がある。
座席の表面は滑らかで、触れるとわずかに冷たい。
レバーには細かな凹凸があり、指を置く位置が自然に誘導されるようになっていた。足元のペダルは重そうに見えるが、遊びはほとんどない。
四肢のどこで何を動かすのかは、見ただけで分かった。
「左右のレバーは両手に対応しています」
技術員が説明を始める。
「360度の円軌道、および前後の押し引きで稼働させてください」
俺は右手でレバーに触れた。
冷たい。
だが、握るとすぐに皮膚の熱が鉄へと移る。
「ペダルは、足先側で前進、踵側で後退。両足で踏み込むとジャンプします」
言葉にするのは簡単だった。
だが、実際にはかなり厳しい。
両手で腕を制御し、両足で移動を制御する。
しかも相手はある程度この仮想空間での操縦経験がある人間だ。
反射神経と空間認識。
そして操作への適応力。
さらに、考える前に動くための身体感覚。
全てにかなりのセンスが問われるだろう。
「さらに、左右レバーの親指部分に付いたボタンですが」
技術員が、レバーの先端を示す。
「右が大剣、左が銃を出す仕様になっています」
親指で触れる位置に、小さなボタンがあった。
「この武器に関しては、手元に突然、握っている状態で出現します。
そのため、こちらの慣れもかなり必要になるかと思います」
聞いただけで、扱いの難しさは分かった。
武器は出せばいいわけではない。
重心が変わる。
つまり間合いが変わり、攻撃の軌道が変わるということだ。
出現した瞬間に制御できなければ、武装ではなく自滅要因になる。
「ですので、数回、お一人で仮想空間内の機体に慣れていただく必要があるかと思います」
「分かりました」
俺は座席に腰を下ろす。
背中に冷たい感触が触れた。
固定用の部材が肩と腰に沿う。圧迫は強くないが、逃げ場を奪われる感覚がある。
喉の奥には、まだ微かな苦味が残っていた。
左薬指は痛む。
それでも、意識は少しずつ現実へ戻っていく。
レバー。
ペダル。
視界。
呼吸。
今、見るべきものを一つずつ狭めていく。
「皆様をお待たせするわけにもいきません。早速始めてください」
そう伝えると、技術員は一瞬だけ俺を見た。
十四歳の少年としてではなく、被験者として。
あるいは、操縦者として。
「了解しました」
技術員が外へ出る。
佐々木も最後に俺を見る。
その視線には、何か言いたげな気配があった。だが、結局、何も言わずに扉の外へ下がった。
内部に、俺一人が残される。
扉が閉まると、外のざわめきは一段遠くなった。
代わりに、装置内部の低い駆動音が耳に残る。
胸の奥に響くような音だった。
指定されたヘルメット型のVRゴーグルを被る。
頭部が包まれて、視界が暗くなる。
外の光が遮断され、鼻先に機械樹脂の匂いが近づいた。
呼吸音が少しだけ自分の中で反響する。
指先がレバーを握る。
靴底がペダルの位置を確かめる。
準備は整った。
スピーカーから、技術員の声が入る。
「それでは、テスト実験を始めます」
暗闇の中で、俺は一度だけ息を吐いた。
次に目の前が開く時、そこはもう、現実ではない。




