3.新しい重心
「助けてくれて、ありがとう」
亜美の声は、必要以上に低くも高くもなかった。
感情を乗せすぎない、だが誤魔化しもしない――そういう調子だった。
その言葉を聞いた瞬間、俺はすぐに理解する。
TARAK-Xのことだ。
視線が、自然と床へ落ちた。
反射に近い動きだった。
気まずさという感情ですらない。
どう応じるのが正解なのか、その判断回路が一瞬、停止しただけだ。
間を与える前に、亜美は続ける。
「私がナギだったら……きっと、何もできなかったと思う」
言葉を探すように、一拍置く。
「トリックスターを動かすこともできなかったし。
搭乗条件や技術的な問題じゃなく……たぶん、パニックになってた」
言い訳でも、持ち上げでもない。
ただの事実認識として、彼女はそう言った。
「TARAK-Xをやっつけてくれて。
助けてくれて、ありがとう」
最後は、少しだけ照れたような笑顔だった。
――それでも。
どこまで行っても、俺の思考の中心に亜美という少女は置かれなかった。
ナミしか、見たくなかった。
感謝を受け取るべきだという結論は、すでに出ている。
だが、それを口にするための言葉が、見当たらない。
沈黙が落ちる。
亜美は、その沈黙を拒まなかった。
代わりに、静かに一歩だけ距離を詰める。
俺の手を、両手で包んだ。
「ナギは……きっと、色々考えてるんだと思う」
その声音は、推測だった。
断定でも同情でもない。
握られる力が、わずかに強まる。
「でも、ありがとう。私、ナギの力になりたい」
一拍。
「TARAK-Xを倒す力に、なりたい」
その瞬間だった。
左薬指の奥で、声がした。
『亜美ちゃん、いい子だね。
能力も、申し分ないよ。ナギ』
ナミの声だった。
幻聴だと、理解している。
だが、否定する理由はもうなかった。
自分の中に、あの日まで居たはずの
【観察者】【演算者】【実行者】【破壊者】【叫び】
その全てが、音もなく消えている。
残ったのは、薬指だけだった。
ひとつ、深く息を吸う。
肺が広がり、空気が冷たい。
俺は、亜美の手を握り返した。
「……何もできなかったことを、ずっと悔やんでいた」
言葉は、選ばずとも自然に出てきた。
「でも、亜美がそう言ってくれて……心が軽くなった。
こちらこそ、ありがとう」
顔を上げ、目を合わせる。
亜美は一瞬、驚いたように瞬きをし、
それから、わかりやすく頬を赤らめた。
「……うん」
小さく、けれど確かな頷き。
「これからも、よろしく」
そう告げると、亜美は何か言いかけて、結局笑った。
俺は、その笑顔を記憶に留めない。
心の中でだけ、言葉を落とす。
(音の響きなんて、もう何も感じない)
(ナミ、お前だけだ)
(俺を、導いてくれ)
薬指の奥で、確かな重みが応えていた。




