1.調整のずれた部屋で
古川から「各国との邂逅に備え、とりあえず自室で休もう」と伝えられ、俺は佐々木に伴われて佐久支部の廊下を進む。
昼時の支部では、外の陽気だけがTARAK-X襲撃前と変わらず流れていた。
だが、人々の動きは明らかに違う。
職員たちの歩調は速く、端末を抱えた者が行き交い、誰もが小声で、緊急連絡代わりの情報を交換していた。
均衡はもう戻らない。
そんな空気が、全ての場所に薄く満ちていた。
案内された自室の扉が開く。
先ほど見たはずの景色なのに、照度の調整がわずかにずれているように感じる。
機器の設定が変わったのか、あるいは俺の世界の見え方が変化したのか。
その違いを切り分けようとした瞬間、意識は左薬指の皮膚ごと、どこか遠くへ引き剥がされた。
佐々木は一歩だけ室内に入り、短く告げる。
「補給物資は十九時に届きます。呼び出しには即応で」
「わかった」
平板に返答する。
佐々木が退出し、扉の閉まる音が金属の薄い反響となって部屋に残った。
室内の大きな変化は、ふたつだ。
ナミの遺体が乗っていた冷却台が撤去され、机の中央に白い骨壺が置かれていた。
ナミの骨壺だ。
照明に照らされた陶器の表面はひどく無機質で、わずかな反射だけが波のように揺れる。
俺はそれを「骨壺という形状の容器」として認識した。
そこにナミが収められていることも、情報としては理解している。
だが、その事実は胸のどこにも触れない。
視線をほんの一度だけ送り、すぐに外す。
俺にとって“それ”は優先順位に含まれる対象ではない。
上着を脱ぎながら、先ほどの会議内容を順序立てて再構築する。
エースと呼ばれる三人――オリビア、エマ、カレン。
各国が選び出し、前に立たせた、“その国が提示できる最適解”たちだ。
彼女たちで、それぞれの国は自分たちの姿勢を示していた。
他にもVELUCTとしての方針。
戦力の再配備。
そしてこの後に予定されているエースたちの集結――。
必要な因子を脳内に並べ、状況を冷静に整理していく。
オリビアとカレンは、国家機関の意向を優先するタイプだろう。
逆にエマは、彼女のほうが周囲を振り回しているように見えた。
戦闘力に自信がある発言も見受けられたし、操縦技術は相当な水準にある可能性が高いと推測できる。
この後の邂逅の目的は、顔合わせと模擬戦だと説明されていた。
だが、実際は違う。
各国はトリックスターを観察し、俺を測り、VELUCT内部の均衡を読み取ろうとしている。
古川の警告を思い返す。
――自分の身を、最優先に守れ。
今はその判断を揺らがせないための時間だ。
骨壺が視界をかすめても、思考は揺れない。
ナミは薬指に居る。
その認識だけを保持しておけばいい。
ベッドに身体を横たえる。
天井の無音が、冷え始めた空気と一緒にゆっくりと降りてくるように感じた。
換気ファンの微かな回転音が、かろうじてこの部屋が世界と繋がっていることを示している。
深呼吸はしない。
緊張も解かない。
ただ、最適なパフォーマンスのために必要な睡眠を確保する。
瞼を閉じる直前、骨壺の白がぼんやりと滲んだ。
だがそれは情動ではなく、視界の調整の問題にすぎない。
思考の回路をひとつずつ切り離し、意識を落としていく。
俺はそのまま眠りへ沈んだ。




