EX.限界線の向こう側
「世界はお終いだ!!」
遠くで誰かが叫ぶ。だが数秒後には誰の記憶にも残らない。
TARAK-Xと呼ばれる生き物が二度目に現れた日、日常は終わった。
一度目とは比較にならない。
今回は地球そのものが選別されていると、誰もが本能で理解した。
世界貿易は即時に停止し、港の海上クレーンは骸骨のように空へ突き立ったまま沈黙している。
物流網は一気に断ち切られ、スーパーマーケットの棚は一日で空になった。
金融も止まった。
市内の大型ビジョンは、街の空気の重さを映したかのように漆黒が広がるばかりだ。
銀行の扉は閉まり、怒鳴り声と拳が鉄製のシャッターを叩く音が街角に響き渡る。
情報を収集する手段もない。
圏外などではない。ただの“無反応”だ。
黒い画面に触れても、何も返ってこない。
人々は、それを境に恐怖を隠さなくなった。
それから数日も経たないうちに、街は別のものへ変わっていった。
夕方になると、駅前のロータリーは避難を求める群衆で埋まり、子どもの泣き声が絶えなかった。
電車もバスも動かないのに人だけが押し寄せ、どこにも行けず、ただ密度だけが増えていく。
夜になると、街の影が別物に変わる。
放火。
略奪。
悲鳴。
誰も驚かなくなった。
コンビニのガラスが割られ、店内の暗闇から複数の手が伸び、何かを奪い合う影が乱れていた。
警察車両を最後に見かけたのはいつだろう。
軍は郊外に展開していると噂されたが、誰にも確かめられない。
食糧は、緊急配給に切り替えられた。
役所前の広場に延々と列が伸び、途中で倒れた人が運ばれても列は動かない。
周囲は咳とくぐもった呻き声に満ちている。
物流が止まり、医薬品が枯渇し、感染症が静かに広がっていた。
名前も原因も不明。
市の避難所だった体育館は、一晩で地獄になった。
マットの横には倒れた人が線を引くように並び、呼吸の浅い音と、呼吸の止まった静寂が混ざっている。
医師は二人だけだった。
看護師は十人ほど。
薬は初日に尽きていた。
「次の方……いや、もう……」
医師の声には、作業としての区切りすらなかった。
来る者を診るだけ。
助からない者には触れない。
触れても意味がない。
夜になると、体育館の隅に“動かない者”が一か所にまとめられていく。
翌朝、そこにブルーシートがかけられ、その上にまた一人分の影が置かれる。
シートの下が膨らんでいく速度は、外の暴動よりも速かった。
避難が始まったはずの道路では、人と車が過密に詰まり、避難路そのものを塞いでいた。
踏まれた荷物と、潰れたベビーカーと、形の分からない影がひとつの塊になって、中心だけ黒く光っている。
その塊から小さく「チリ」という音が聞こえた。
電線が焼ける音か、何かがまだ動いている音か、もう誰にもわからない。
暴力と病と飢えの間に、空白ができる。その隙間には、必ず“意味”を売る者が現れる。
ある日。
街角に、簡素な壇上が作られた。
「見える者には見える……“救いの光”が降りたと……!」
白い布を巻いた男が、手を広げて叫ぶ。
その背後で、TARAK-Xの襲来映像を印刷した紙が風にはためく。
「巨大な神の使いが地に降りた。
これは裁きではない、選別の儀式だ……!」
信じる者は膝をついて祈り、信じない者はそれを遠巻きに睨みつけ、どちらでもない人間は、ただ空を見上げるしかなかった。
宗教を名乗る集団は日に日に増え、空きビルを占拠して“共同生活”を始めるという噂も聞こえ始めた。
通信インフラが死んでからは、人々は耳で聞いた情報だけで動き始めた。
ある男は言う。
「TARAK-Xは海から上がってくるらしい」
別の女は叫ぶ。
「核を撃った国がある!」
老人が囁く。
「政府はもう存在してない。全部軍が支配してる」
真偽の判定はできない。
そもそも「確かめる」という文化そのものが崩れ始めていた。
情報の価値が限界まで跳ね上がり、噂話でさえ、人々は紙幣より大事に扱った。
街は今日も眠らない。
誰も眠れない。
歩道橋の上から見下ろせば、火の線があちこちで揺れていた。
街灯のいくつかはもう点滅を繰り返し、道路には放置された車が隙間なく並んでいる。
人がいるのに、人の街ではなくなった。
この世界は、まだ崩壊しきってはいない。
けれど、TARAK-Xが再び来るかどうかではなく、“次が来た時、自分が何に変わるのか”を誰もが恐れていた。
“人類が統治する文明”は、もう限界線を越えていた。




