11.あの夜の続きを
――そして、その“綻び”が、ゆっくりと俺へ向けて手を伸ばした。
指先が震える。
それでも、俺は伸ばす。触れようとする。
その手に。
いや、それを「手」と呼んでいいのかも、わからないまま。
「相澤!」
佐々木の声が響いた。
鋭く、警告のように、祈りのように。
「それに、触れるな――!」
けれど俺は、振り返らなかった。
あれが“何か”など、もうどうでもよかった。
俺の目には、ただそれだけが、この世界に残された唯一の繋がりに見えていた。
手を伸ばす。
触れる。
そして、世界が反転した。
視界が色を失い、感覚が輪郭を溶かす。
“外”が消えて、“内”が広がる。
全方位型コックピット。
そう認識した瞬間、俺は自分が何かの“内側”にいると理解した。
ここは宇宙だ。
瞬時に移動した。
その事実だけが、眼前に広がっている。
ナノ分解再構築、極小ワームホール、中性子干渉層転位。
いくつかの理論が脳裏をよぎったが、いずれも決定打にはならない。
理屈が追いつかない。
直感が言っている――ここでは常識が通用しない。
半球状の量子透過スクリーンが幾層にも重なり、全方位を覆っている。
その表層を流れるのは、可視光ではない。
圧縮された演算データと空間干渉波が、虹彩の奥でひそやかに共鳴していた。
俺の身体は、重力を忘れていた。
今の姿は、まるで羊水の中に帰った胎児のようだった。
指先はわずかに震える。
けれどそれすら、機体の脈動として受け止められる。
思考と運動が重なりあい、神経と装甲が境を失う。
全周に展開されるリング状のHUDは、敵性粒子の数を、星座の移動のように描き出す。
青と赤の光点が滲み、回転し、踊るように未来を告げていた。
その回転速度は脳内リズムと同期され、静かに、だが確実に、俺の時間軸を加速させていく。
「距離、2.3キロ」
淡い声が漏れた。
それは予測ではなく、感応に近い。
視覚野ではなく、前頭葉の奥で、俺は気配を察知していた。
現代科学では再現できない、微細な揺らぎ。
下界には、荒れ地と死体の山が広がっていた。
色彩はすでに人のものではなかった。
腐肉と鉄が混ざったような緑褐色に、赤外線の霧が絡まり、ところどころに焼け焦げた黒が沈んでいた。
だがそれらは、ただの色ではない。
赤外線、地磁気、圧力勾配、音響層。
あらゆる層が重なり、息づくひとつの構造体として表示されていた。
まるでこの惑星そのものが、俺に語りかけているように。
「……来る。確かに、今度はこちらを見てる」
静かな呟きは、機体の共鳴音と混じり合い、空気の底へと溶けていった。
戦闘開始のアラートは鳴らない。必要がない。
俺にとって敵の出現は、はじまりの合図だった。
光が弾ける。
その瞬間、耳の奥で“あの夜”が再生された。
――ナミ。
お前を連れていった“あれ”がまた、この空の下にいる。
亜美は死んだ。
俺の目の前で。
最後まで、俺の名を呼びながら。
それでも俺が、お前の名を呼んだのは……。
その時、お前以外を選べなかったからだ。
愛していた。
今も愛している。
ナミ。
どうか見ていてくれ。
今度こそ俺は、お前を攫った全てに牙を剥く。
――起動。
気づけば、TARAK-Xへ向かっていた。
身体は、一切動いていないまま。




