9.綻びより降るもの
第二次降下、観測開始より三時間二分経過。
国際共同防衛研究機関VELUCT中央監視センター中枢、観測室。
報告数、増加。
卓上に並ぶホログラフィ投影が、次々と赤に染まっていく。
地中深層から逆流するような微振動が床を這い、観測端末のスタビライザーの軋む音が室内に広がる。
高周波スペクトルの断続ノイズが反響し、各人の通信ヘッドセットを通して異音が紛れ込んでくる。
「KUMAGAYAに着陸したTARAK-X、構造波ゼロを継続――停止状態、安定です!」
「逆信号照射装置Phractureの干渉、完全成功……! 解析班、全チャンネル確保!」
「これで……やっと、データが採れる……!」
「まさか止まるなんて……Phractureが、やったんだ……」
「……奇跡だ……これで、救われる……っ」
――しかし、奇跡は長く続かない。
「……あれ……?」
「ノイズ……変調……っ、これ……」
ほぼ全員が注目する中、一拍遅れて絶望はやってきた。
「KUMAGAYAの構造波、ゼロを維持……いや、今、微細な変調あり。何か……動いてる?」
「収束波形、反転! 停止個体が、自発反応を……?」
「接地面から熱源漏洩! 内部から放熱が始まってます!」
「モニター上、変位ゼロ……だが、スペクトルの端が歪んでる。これは……動いてないわけじゃない……!」
「KUMAGAYAで沈黙していたやつ……構造的に、まだ生きてる……!」
「信号反応ゼロのまま? 違う、違う……これは、ゼロじゃなくて潜行してる……!」
「最悪の可能性だ……停止じゃない、沈黙していただけなんだ……!」
研究者たちの報告は断続的に届く。だがそのひとつの確認が終わる前に、次の壊滅が画面を塗り替えていく。
「KUMAGAYA、再襲撃確認、パターン不明……施設からの応答、ありません!」
「南緯六十度線上のTARAK-X、第二群体……現地観測地点、被害壊滅との報!」
――処理が追いつく前に次が来る。判断の余地など与えられない。
「こちら西の……ええ、先ほど通信が――いえ、もう一度確認します、でも、接続が……!」
「被害報告、百地点全域から継続中! 中央処理が……っ、処理が追いつかない……!」
「北極圏観測点、沈黙……! 観測員、生存反応ゼロ!」
「たった今、七箇所での防衛線、十九分で突破……っ、拠点複数が……!」
「医療圏、全通信喪失! 避難指定区が……っ……!」
誰かが叩きつけた端末の音が、あまりに軽い破裂音に感じられるほど、室内の空気は重かった。
ひとつひとつが即時の処理を拒む速度で、圧倒的に積み重なっていく。
各地の研究拠点、防衛拠点、通信施設、全てが「同時に」悲鳴を上げていた。
表示パネルの色が次々と変わっていく。青、黄、赤。安定、警戒、壊滅。全てが想定より早すぎた。
誰かの手が震え、マイクを握ったまま口元を見失う。
誰かがデータを上書きしようとして、そのまま項垂れる。
喉の奥で警報が鳴り、文字の奔流が壁面ディスプレイを埋め尽くす。
もはや言語ではない。統計と記号、変動値、指数化された死。
百の降下地点。
第一波でも甚大な損害を出していたが、今回の降下は、それを遥かに凌駕していた。
全ての地点で、壊滅的被害の報告が重なっていた。
誰もが口を閉ざした。否、口を開く暇さえなかった。
分析班は脳を焼くような速度で数値を吐き出し続け、指揮系統は瞬時に判断を下すことを強いられる。
――突如、観測モニターに閃光が走った。
未確認飛行体、異形の黒。
「それ」は、夜の深淵をそのまま纏ったような輪郭を持っていた。
軌道上、黒点が浮かぶように出現した瞬間、空気の歪みと共にその存在が顕れる。
尾を引く紫光が空を裂き、黒の核心へ吸い込まれていく。宇宙の瘤が地表へ滴り落ちるかのように。
その出現は、世界の継ぎ目から構造が剥げ落ちたようだった。
その軌道は、かつてない乱雑さと同時に、ある一貫性を持っていた。
各国の広域観測衛星が同時にそれを捉えたとき、世界地図は赤に染まり始めていた。
音のない降下。
それは、雷鳴のない嵐のように、ただ、重力だけを伴っていた。
「未確認飛行体、推定着地箇所確認!読み上げます!
A地点:北緯四十二度帯、中央大陸域。
B地点:北緯五十二度帯、西方海岸圏。
C地点:東縁列島、内陸圏。
D地点:東縁大陸、沿岸域」
「すべて、三十秒後には着陸します!」
地球を縫うように、その黒は降っている。
まるで天から滴るように。
それは計画ではなく、流れ込むような現象だった。
「これは……第二群体ではない……! パターンが違う……!」
「新種か……第二群体とも違う。“第三群体”だとでも言うのか……!」
「……だめだ、これじゃ……もう、間に合わない……」
「待機部隊は……全域が、……接触不能に……っ」
「人が……人が、いるんだ……あの着地点の中心に……!」
誰の声だったか、もうわからない。
もはや言葉に意味はなく、ただ音が混濁するだけだった。
――そして、時間が、ひとつ深く息を吐いた。
世界の裂け目に、沈黙が降りる。




