そうだ職業体験をしよう
あの保存食騒動から数週間後、グランツ侯爵は一つの制度を打ち出した。
「領の役人や兵士は、年に数度、互いの仕事を体験すること」――現場研修の恒例化だ。
文官は漁港や畑、まるふく商店などの現場や兵士の訓練に参加し、武官は執務室で書類整理や予算計算を経験する。
慣れない環境で汗をかき、あるいは机にかじりつくことで、互いの仕事の重要性と苦労を肌で感じていった。
ショウイチも例外ではなかった。
彼は武官の研修日、騎士団の訓練場に参加することになったのだ。
木剣を構え、騎士相手に打ち合い、組み討ちを仕掛ける――その空気は懐かしくも心地よい。
「おいおい男爵、楽しそうじゃねぇか」
「楽しいぞ。むしろこれ、商売よりストレス解消になる」
その日から、ショウイチは週に三日は格闘と剣術の稽古に通うようになった。
まるふく商店の仕込みや販売、男爵としての執務の合間を縫い、訓練場に姿を見せる。
文官も兵士も、最初は驚き半分で見ていたが――やがて、訓練場の一角に「ショウイチ枠」が常設されるほど、彼の参加は日常の一部となった。
グランツ侯爵はそんな様子を眺め、満足げに言った。
「現場と机、その両方を知る者こそ、本当に領を支えられる」
ショウイチは研修制度をきっかけに、騎士団の中でひときわ注目を集める存在になっていた。
彼が教えるのは剣ではなく――素手の戦い方。
ムエタイと柔術をベースにした、異世界ではほとんど見たことのない技術だ。
「まずは構えからだ」
訓練場の真ん中で、ショウイチは拳を顔の前に上げ、片足を軽く引き、猫のような身のこなしを見せる。
「足はこう、膝を少し曲げて常にバランスを保つ。重心を真ん中に置けば、すぐに動ける」
騎士たちは見慣れぬ動きに目を丸くする。
だが、実演が始まれば空気は一変した。
「ローキックだ」
ショウイチの足がうなりを上げ、木製の防具を着けた騎士の脛を打つ。
ガコンッ、と鈍い音が響き、騎士は顔をしかめて一歩下がった。
「これを繰り返せば、鎧を着ていても脚は動かなくなる」
次は肘打ち。
「近距離はこれだ。剣が絡んでも、肘ならすり抜けられる」
ショウイチの肘が防具の肩を叩き、鈍い衝撃に騎士が声を漏らす。
そして柔術。
「もし組み付かれたら――こうだ」
相手の腕を取って重心を崩し、肩越しに投げ飛ばす。
土煙の中で転がる騎士に、周囲から感嘆の声が上がる。
「倒したら終わりじゃないぞ。こうして関節を極めれば、逃げられない」
肘関節を極められた騎士が「ま、参った!」と慌てて叫ぶ。
こうしてムエタイの打撃と柔術の組技を組み合わせた戦法は、瞬く間に騎士団の間で広まった。
しかし、ショウイチは剣術については一切教えなかった。
剣の稽古場で彼の動きに鋭さを感じる者もいたが、ショウイチは笑ってごまかす。
「俺の剣は商売用だ」――そう言って。




