『工場の始まり』
バルハルト領での《グランツ領特製 備蓄カレー》の反応は予想以上だった。
商会の試食会では、最初は怪訝そうに皿を眺めていた貴族や商人たちが、一口食べた途端に顔をほころばせた。
「香りが……豊かだな」
「煮込んだ肉が柔らかい……これは贅沢だ」
その場で五百食分の追加注文が入り、帰路の馬車はほぼ空荷だったのに、領に戻る頃には馬車五台すべてが契約書で埋まっていた。
だが、喜んでばかりはいられない。
「……人手が足りないな」
ショウイチはまるふく商店の厨房を見渡し、唸った。
炊き出しや通常営業、そして輸出分を同じ厨房で作るのは無理があった。
リナも帳簿から顔を上げる。
「増やすなら、もう工房というより工場を作るしかないですよ」
翌日、二人は再びグランツ侯爵邸を訪れた。
ショウイチは輸出の好調ぶりと、人手不足の深刻さを報告する。
侯爵は腕を組み、しばし考え込んだ後、低く答えた。
「よかろう。信頼できる料理人を数名、こちらで手配してやる。ただし、工場と言っても蒸気機関や魔導装置など贅沢はできんぞ。火と鍋、乾燥棚といった人力中心の施設だ」
侯爵の指示で、領内各地から実直で腕の立つ料理人が集められた。
彼らはみな保存食の経験があり、塩漬け肉や干し野菜の加工にも長けていた。
工場は城下町の外れ、井戸と小川に近い土地に建てられた。
石造りの建物に大鍋を据え、煙突からは毎日香辛料の匂いが立ち上る。
中では、肉を煮込み、野菜を刻み、調味料を量る人々の手が休むことはなかった。
「これで安定供給ができるな」
ショウイチは完成したばかりの工場を眺め、胸の奥に小さな誇りを感じていた。
リナは隣でにこりと笑う。
「じゃあ次は……保存食の新メニューを作りますか?」
工場が稼働を始めて三日目。
初回出荷分のカレーが順調に仕上がる中、ショウイチはリナと新商品の試作に取りかかった。
「次は何を作るんです?」
リナが帳簿を置き、袖をまくる。
ショウイチは笑みを浮かべ、机に置いた二つの試作品を指差した。
「干し肉入り味噌汁と……塩鮭だ」
味噌は侯爵領でも手に入るが、干し肉の細切れを具に混ぜ込み、湯を注ぐだけで香り高い味噌汁になる仕組みだ。
干し肉の旨味が味噌に溶け込み、保存性も高い。
塩鮭は近隣の川で獲れる大型魚を捌き、塩をたっぷり擦り込み、日陰でじっくり干して仕上げた。
しっかり水分を飛ばせば数か月は持ち、炙れば皮が香ばしく、身はしっとりとほどける。
試食の日、工場の料理人たちは無言で箸を動かし、そして一斉に頷いた。
「……これは売れる」
「冬の遠征や山仕事の連中が喜ぶぞ」
リナは満足げに腕を組み、
「これなら輸出だけじゃなく、領内の兵士や旅商人にも需要がありますね」
と言った。
グランツ侯爵も試作品を口にし、
「うむ、簡単に作れて腹持ちがいい。これなら兵站にも使えるな」
と太鼓判を押した。
こうして、備蓄カレーに続く第二の看板商品が決まった。
工場の煙突からは、香辛料と味噌の匂いが入り混じった香りが、今日も城下に漂っていた。




