三
車はナビもなく静かにコンクリート舗装の道を走る。霜村の右手がステアリングを操作し、運転席と助手席の間のコンソールボックスに彼の左腕は添えられていた。
手の甲にはうっすらと静脈が伸びている。産毛もほとんどなく、綺麗な質感の皮膚だった。手首の脇に縦に走るミミズ腫れのような痕が覗いている。
それは昔聞いた傷痕であった。
霜村は事故に遭い、軽症だったもののいくつかの怪我を負った。そのときのものだ。
撫でたいと思う。
右手が膝の上でうずく。霜村に少しでも触れていたい。二年間会わなかった。
霜村はほとんど変わっていなかった。私はどうだろうか?形成する人格は霜村と出逢った頃で言えば変わっていないはずである。多少垢抜けたであろうか?
メークも自然になってきたと思うし、女の子というよりは女性へと変化してきているはずだ。
今高校時代の制服を着ても顔とそれ以下のバランスがチグハグになるであろう。
霜村はもう大人になって十年近い。彼の高校時代の面影を思い描こうとすると吹き出してしまいそうになる。
明らかに制服姿と精悍な顔つきのバランスが悪い。
「何?」
霜村は前を向いたまま聞いた。
「何でもありません」
佐古下は霜村の横顔を一瞥して、そして前を向いてからゆるりと首を振って微笑んだ。
◆
私はね、もう随分昔に離婚していましてね。妻側の旧姓を、いや、今の姓を結城と言います。離婚したときにはまだ小学校低学年の娘がいました。その娘も妻が連れて行ったんです。親権は基本妻側が取りますからね。
別に不倫したとか、暴力とか、そういった大それた理由が離婚の原因ではありませんでした。ただ、お互いフルタイムで働いていて、夫婦として破綻していたんです。多分お互いにもう離婚することは分かっていました。娘の行事にもほとんど私は顔を出しませんでしたから。
だけど、私としてはそのときになって初めて恥ずかしながら娘と離れるんだ。という意識が芽生え始めました。普段接する機会を持ちながらもその機会が常にそばにあることで甘えて娘と面と向かってこなかったんですね。
月に一度娘と面会することで妻側と合意して親権を譲りました。
毎月娘と会いました。最初は意気込んで遊園地や映画などお金のかかる会い方をしていましたが、その内別にそういうのじゃなくていい、家でのんびりしててもいい、と娘が言い出してからは私の自宅で何をするでもなく過ごすことが増えました。
離婚したあとも会いやすいように私は車で十分ほどの距離に暮らしていましたから、徐々に娘が泊まってきたりしましたね。
皮肉なものです。妻と離婚して、娘と接する機会が激減してから娘を愛することを知ったのですから。
そんなときでした。
娘が行方不明になったのです。
私と会う約束をしていた前日のことでした。
妻から電話がきたのです。娘がいなくなった。学校から帰らず、連絡がない。学校側は校門から出ていく娘を見た、その後家に帰らず行方不明なのだ、と。




