十四
火の手は染島の居室から広がり、一階部分とバルコニー側にも燃え移っていた。
そろそろ限界が近い。
「貴方は何者ですか?」
「僕は、一介の教師です」
霜村の説では染島が自殺とは限らない。もしかしたら齋藤の他殺かもしれないという可能性を提示しただけだった。なにしろ齋藤が本当に窓をただ開けただけなのか、鍵を解錠してから窓を開けたのかは齋藤以外誰にも分からないのだから。
「貴方がこの中庭で話したかった理由を当てましょうか?」
齋藤は不敵に言った。
霜村は無言で手のひらを向けた。
「ここに何かある。それを私とともに確認したかった」
「……半分正解です。別に確認はしたくありません。でもどうしても気になるんです」
そう言って霜村は臙脂色の紫陽花へ視線を落とした。
「紫陽花の色はアントシアニンという色素で決まります。このアントシアニンは通常赤色ですが、溶け出すアルミニウムのイオンと反応して青色へと変化します。つまりアルミニウムをたくさん吸収した紫陽花は青色、そうでないものは赤色となります。アルミニウムが溶け出す量は、水の酸性度によって決まり、酸性であればあるほどよく溶けます。紫陽花が青色であればその土壌は酸性である。ということですね。ここまでが紫陽花の説明です。ではここのほとんどの紫陽花が青色であるにも関わらず、この紫陽花、ただ一つだけ臙脂色なのは何故か」
――人の血液はアルカリ性、アルカリ性の場合、アルミニウムはほとんど溶けず、アントシアニンの本来の色素が保たれる――
その後齋藤は独白した。
霜村は黙ったままそれを聞き、そして火の手が回り切る前に齋藤を残し霜村は玄関ホールへと向かう。
目の前のホールの扉は開け放たれており、佐古下が立っているのが見えた。
彼女の瞳は潤んでおり、唇を噛み締めていた。霜村は急ぐこともなく自分のペースで歩き、そして彼女を目の前にして歩みを止めた。
佐古下は無言のまま、よく見れば唇を震わせながら、霜村の瞳を捉え続けている。
その瞳の色は黒ではなく、限りなくそれに近い色、夜空の星を留める色、優しさを携えた黒色だ。霜村の理解はその時ほぼ確実に繋がった。
「――君は」
「――私は?」
「そうか」
霜村は一人納得し、佐古下の頭を優しく叩いてから、横を通り過ぎた。
「なんです?私が何なんですか?」
佐古下は頬を膨らませ、歩き出した霜村の背中を睨んだ。向こう側には塩原と蒼野、そして霜村に歯を剥き出している堂山が見える。
霜村は答えなかった。
答えれば、自分が崩壊すると思ったからだ。
まだ、固まり切っていない。受け止められない。
人の血は臙脂色だ。ヘモグロビンが作用し赤黒くなり、酸素が人体に運ばれたあとは赤い色素が薄まり、濃い赤、つまり臙脂色になる。
霜村の手はその臙脂色を覚えていた。
今でも忘れられない。
両手をかざすと今でもそれがフラッシュバックする。
煙草を咥えようと思ったが、今は止めよう。
闇の中から、木々の隙間から明かりが差し込み辺りを照らす。
霜村は立ち止まり、そしてそれに手を伸ばした。




