七
それは丁度臙脂色のように赤が紅になり、深く黒い臙脂へと転じていくように。
……臙脂色。
霜村は気がつけば煙草を咥えていた。
思考回路が腕と唇と繋がった。
独立した腕と唇が、霜村という人間に煙草を咥えさせていたのである。
火は?
点いていなかった。
霜村はライターを手探りで探し、そして火を点けた。
そのときだった。
霜村の脳内で、甲高い不快なノイズが奔った。ブレーキ音のようなそれに、彼は思わず上体を起こした。灰が散って、衣服にかかった。いつの間にか灰が散るほど煙草を吸っていたらしい。
これは……。
そうか。いや、そうだ。辻褄が合う。
霜村は吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。
ふと腕時計へと視線を向けた。そこで全ての意識が霜村に帰属した。
どうやら目も一時的に独立していたらしい。窓の外は既に宵闇に包まれており、凝視した腕時計の文字盤に仕事をさせられている短針は一の数字にかかろうとしていた。
つまり深夜一時であった。
「……い。おーい!」
廊下を走る足音。その声は堂山だった。
霜村は気がついた。扉が叩かれたり、呼びかけられれば思考の海から陸に上がってきただろう。にも関わらずこの時間まで思考に耽っていたということは、彼の居室の扉は叩かれても外から呼びかけられてもいなかったということである。
佐古下はどうしたのだろう?
嫌な予感がして霜村は身体をベッドから引き剥がした。
◆
視界は闇に沈んでいた。目を開いているのか閉じているのか判然としない。
光源が全く存在しない世界だった。一ルーメンの光束もない。目の中の桿体は機能を停止しているようだ。
それだけではなかった。腕や足も動かない。正確に言えば手首と足首を起点に拘束されており、自由に動かせない。という意味である。
声も上げられない。口内に布のような物を押し込められ、その上からベルトのような物で固定されている。身動ぎするのがせいぜいだった。
幸い鼻から息はできる。今すぐの命の危険はなさそうだった。
迂闊だった。
霜村に評価してもらいたい気持ちが先行してしまったのだろう。どうしてもそれを抑えることができなかった。
ここが何処なのかも分かった。
殺人犯が誰なのかも分かった。
その理由も凡そだが分かった。
ただ自らの身の危険を犠牲にして、だった。それは正しい解決ではなかった。佐古下はこの身が危険に晒されることで初めて実感した。
死に急いでいるのだろうか。霜村にも指摘されたことだった。
死。
死か。
死ぬのかな。
嫌、なのかな。
怖い?
いや、怖くはない。
本当に?
怖くない?
闇は怖くない。
動けないのは怖くない。
声を発せないのは怖くない。
怖いのは、そう。
気持ちを伝達できなくなること。
人間の存在証明だ。
人間はただそこに居るだけでは生きていない。
如何なる手段でも自らを他に伝達することで初めて生がそこに宿る。
生は他人との比較である。
生きている人と伝達しあえる。伝達を終えた人間と比較して死を他人に伝達することで自らの生を認識できる。
今はどうだろうか。闇の中で佐古下は考えた。
死んでいるのと一緒だ。
もう生きてすらいない。他人に何も伝達できない。
それが怖かった。




