六
星奈は強がって否定した。彼はほんの少しの態度の変化に気がつくことが多い。
〈無理は駄目だよ。……それで話している間にあと十分もすればそっちに寄れそうだけど。せっかくだからご飯でも食べに行こうか〉
直接会ってすらないのに、彼は落ち込んでいることをすぐに理解してくれる。
電話越しに彼の声を聞いていると、ふんわり温かいものを胸に感じた。口調は淡々としているが、暖かみを感じるのは恋人だからだろうか。
「うん。行く」
◆
二〇一九年一月十九日の土曜日
星奈はその日誕生日を迎えていた。
彼がその為に旅行を計画してくれていた。
彼は色々提案してくれたのだが、そのすべてを断って決して高くない山間の旅館に泊まりたい、と押し通した。
最初は、彼なりに貯めていたらしい旅費をもて余す、と不貞腐れていたが、実際その日が近づくと彼は自分のことのようにあれこれしよう。と語ってくれた。
当日。旅行はまだ雪の残る山を行くから自家用車ではなく電車からバスに乗り継いで行くこととした。
先日まで雪が降り続いていたらしいのだが昨日から快晴が続いていて、樹氷が連なっている景色が美しかった。
陽の光に照らされたそれは、春になると薄桃色の花を咲かせる桜となるが、今は白銀に輝く雪華を咲かせている。
一面は衾雪に覆われていた。
バスは乗客八名を乗せて山間を行く。
星奈達二人と他六名の殆どは高齢の夫婦や友人同士のようだったが、一人だけ若い女性がいた。
人のことをジロジロ見る趣味はない為、ずっと見ていた訳ではないが、それでも視線が僅かな時間固定されたのは確かだった。
窓枠に肘を置き、そこから伸びた細腕の先の掌に顎を乗せたまま雪原を眺めている彼女は絵画を具現化したように美しかった。
栗色の艶のある髪が、僅かに斜に構えたような雰囲気があり、謎めいた魅力を与えている。
「どうかした?」
彼の言葉に星奈は頭を振って、窓側に座る彼へと振り向く。
彼は口を斜めにしていた。
星奈は黙って彼の肩に頭を預けた。
仕事で心身ともに辛いことが沢山ある。
でもこの瞬間は何にも代えがたい幸福が得られていると感じられた。
星奈はゆっくり目蓋を下ろした。
突然の強烈な破壊音に星奈は体を跳ね起こした。次いで暫時を置かず車体が大きく傾く。
それは前のめりになりながら、運転席のある前方に向かって大きく重力の方向を変えているようだった。
彼は前の座席と背もたれを上手く使い体を固定させ、星奈の体をがっちりと掴んでいた。
瞬時に理解する。
バスがガードレールを突き破り、崖下へと落下しているのだ。
「星奈!」
隣の彼は歯を食いしばりながら星奈を見つめていた。
星奈は咄嗟に栗色の髪の女性へと振り返った。
彼女は目まぐるしい展開の中で、まるで祈りを捧げる淑女のように静かに目蓋を閉じていた。その様子には驚いた素振りも、抵抗するような素振りも見られなかった。




