八
隣の娯楽室も今は稼働していないのだろう。静まり返った書斎には、本当の無音が響いていた。
「私、数年ぶりに先生にお会いして再認しました。私、やっぱり先生のことが好きみたいです」
「君は理事長に絆されているのかな?」
佐古下のもう何度目かの告白だったが、霜村にはまるで響かないようだった。ひらひらと実体のない物をひたすら殴っているようなほど手応えがない。
これが暖簾に腕押しか。
「いいえ。伯母様は関係ありません。もう高校生ではありませんし、この前二十歳も過ぎました。ただ、大人が大人に告白をしているだけです」
「そうか、君も二十歳になったんだね。もうどの角度から見ても大人なわけだ」
「先生、お応え下さい」
話をすり替えようとした霜村を佐古下は逃さなかった。
「君に女性としての魅力を感じたことはない。何度告白されようと一緒だ。変わらない」
「そうですか。でもこれからはまだ分かりませんよね」
「いや、変わらないね」
「なぜ?」
「なぜって、僕自身がそう理解しているからだ」
「でもそんなことって言えないと思います」
「なぜ?」
今度は霜村が聞き返す。
「人の生活は変遷していきます。必ずしも一定に留まることはできません。滞留しているつもりでも平地の河川みたいにゆっくり流れているんです。川の形は変わらなくても、中の水は常に動き続けています。人の心に絶対なんてありません。先生にしては短絡的な考えです」
「凄いね。告白したと思ったら、次は説教かい」
「先生、……もう」
「いや、ごめん。今のは度が過ぎたかな。……でも君の気持ちは全く否定しない。ただ、もしかしたら視野が狭いんじゃないかって思うんだ」
「どういうことですか?」
「世の中には男女としてもちろんだけど、興味深いもの、心血を注いでも良いと思えるものが沢山ある。君はまだそれを見つけられていないんじゃないかな」
「先生以上に好きになれる人がいるってことですか?」
「まあ、そういうこと。それが人なのか現象なのか行為なのかはそれぞれだけどね」
「そんなことはありません」
「なぜ?」
「なぜって、……ああ」
「人の心は変遷するんだろう?」
「ああ!もう、先生!」
佐古下はたまらず頬を膨らませて、全力で霜村を睨んだ。
なんでこの人は銅像のように動かないのだろう。学生のときなどずっと変わらずアプローチしてきた。幾度となくである。伯母の美栄子もそれに堪り兼ねたからあの食事会を開いてくれたのだ。
にも関わらず、霜村の立ち位置はそれこそバス停の案内表示板みたいに一ミリもズレなかった。
いつか絶対に動かしてみせる。
「先生、腹が立ったのでハグしてください!」
「嫌に決まってるだろう。意味が分からない」
ようやく霜村の視線が佐古下に向いた。片目を釣り上げた実に嫌そうな顔である。全く持って腹立たしい。
◆
半日が経過した。時刻は十六時三十七分、佐古下は書斎から持ち帰った歴史書を読み漁っていた。




