五
◆
体は汚泥に沈んでいた。
下半身は随分沈み微動だにしない。辛うじて首と右腕が動かせる程度だった。
肺も圧迫され、呼吸もままならない。不思議と焦りに駆られることはなかった。
運命と位置付ければそれまでだ。
半ばそれを受け入れても良いと考えていた。
あの時から半分は生きていなかった。半分は死んでしまったのだ。
――星奈。
何故君を失ってしまったんだ。
心が軋む。溜飲が上がってくる。双眸から温いものが流れ落ちてくる。
苦しい。苦しい。
こんな想いをしてしまうなら、君とは出逢わなければ良かったのかな。
学生生活を共にし、青春を彩った。
社会に出て、お互いを支え合う。色彩は色濃く、そして落ち着いていった。
――あのとき君を抱きとめていれば。
そう、悔恨の情を抱かないときはない。
君の手は零れ落ちた。
手に残っていた温かな温もりは、見ると血の温もりだった。
その血の濃さと温もりを忘れることができない。
目蓋を下ろすたびに情景がありありと浮かび上がる。
いつの間にか閉じていた目蓋を開けた。右腕も気づけば泥に沈み始めていた。
いよいよ口元も埋まりそうだ。
一面は泥の海と曇天が支配する灰色の世界。
生の寄るべもない、無常の世界。
沈んでいく中、眼はおぼろげに星奈を探していた。
ああ、最期に一目君を……
いや、抱きとめて、生の温もりを、魂の喜びを共有したい。
君の魂は晴れ渡った夜空の如き黒。
漆黒ではなく、優しさを併せ持った星の光を留める夜空の黒。
灰色の曇天の隙間から覗いた夜色の空に、思い切り右腕を伸ばした。
――重い。もはや真っ直ぐ腕を上げることは叶わない。
いつの間にか口元も沈み、あと僅かで鼻先も沈むだろう。震える腕もいつまで保つか分からない。
それでも腕を上げ続けた。
――星奈、願わくば君と共にいさせてほしい――
◆
酷く頭痛がした。手足は痺れて指先が震える。上体をベッドから引きはがすと視界が僅かに揺れる感覚を覚えた。
倦怠感が筋肉を脱力させ、表情筋すら重力で下方へと垂れ下がる始末。
瞼が腫れぼったく、すぐに顔がむくんでいることがわかった。
悪夢を見たのかもしれない。
遭難して、こんな異世界に迷い込む経験などそうないからかストレスが溜まっていたのだろう。(ここを異世界と認識してしまうことこそストレスであると言えるが)
霜村は十数分かけて立ち上がると、奥のユニットバスで目覚めのシャワーを浴びることにした。
シャワーヘッドを上部に立てかけてひたすらお湯を頭から浴び続ける。
どうすればここから出られるのだろう。霜村の脳内をそのことが逡巡する。漫然と過ごしていても日々時間だけを浪費するだけである。だがどのように行動すれば良いかも判断がつかないのだ。
閉鎖空間でいつ出られるとも保証がない。
佐古下はこの空間を創り出した原因を突き止め解消すれば、きっと出られる。と口にしていた。
今一度彼女に意見を聞きに行こうと霜村は考えた。




