十一
「やあ、おはよう」
河野は扉の前から動かなかった。佐古下の居室の方が廊下奥である。何をするでもバルコニーに行かない限りは河野の居室の方が手前になる。
佐古下は扉を閉めて歩き出した。
河野も佐古下が近くに来ると並んで歩き出した。
「君は朝から決まってるね」
「一応女性ですから」
「君モデルか何か?」
「は?」
河野の話題の振り方に佐古下は顔を上げた。余りにも唐突だったからだ。
「何となく隙を見せない感じといい、ぱっと見で美しいと分かる身なりだし、どこかお嬢様めいた雰囲気といい、只者じゃなさそうだからさ」
「そんな雰囲気作りをしているつもりはないんですが、私はモデルでも何でもありません」
河野は妙に浮ついた表情をしている。薄気味悪いと佐古下は思った。寝癖のまま人の前に姿を現すのもいただけない。
階段を降りると「じゃあ俺は外で一服するから」と玄関ホールから外に出ていった。
佐古下はそのままサロンへと向かう。
サロンには染島と南雲、蒼野の三人がいた。
「おはようございます」
「あら、おはよう」
蒼野が返し、染島と南雲はそれぞれ頭を縦に振って挨拶とした。
「コーヒー一杯分ならまだあると思うけど」
「飲みます。ありがとうございます」
佐古下はサロン端のカウンターに置いてある古いコーヒーメーカーに設置してあるガラスの容器に入ったコーヒーを手近のカップに注いで三人の席へと着いた。四人がけで丁度一人分空いていたからだ。
「二人はいつからここに?」
佐古下は染島に視線を向けながらコーヒーを啜った。
佐古下の言う二人とは当然染島と南雲の二人である。
「私達は一ヶ月ちょっとになると思います。もうスマホも使えないから今がいつ何時だかも判らないから確かじゃありませんけど」
記事通りである。最初が齋藤でおよそ二ヶ月弱、そこから数日ごとあるいは一週間ごとにこの長野県信濃町周辺で行方不明になってしまっていたのだった。その面々はここ、黒姫山の山中にある樹海の館に集まっていた。
各々話を聞けた人たちからは、やはり突如遭難してこの館にたどり着いたと口を揃えた。聞く限りだとまだ何も起こっていないようだった。
「佐古下さんはまだ来たばかりだから分からないかもしれませんけど、ここは普通じゃないんです」
染島は神妙な面持ちだった。
「普通じゃない?」
「はい。みんなここから一度は出ようとしましたけど、誰も出られない。山中をある一定歩いていると館の反対側に出ちゃうんです。なんかゲームのマップを左端まで行ったら右端から出ちゃうみたいな」
「蒼野さんも堂山さんも言ってましたね」
「私、知ってるんです」
「知ってる?」
「はい。世の中には足を踏み込んだら簡単には出られない狭間の世界があるって」
佐古下は目を丸くした。口は一文字に結んだままだ。南雲も蒼野も染島を見ていて佐古下のその様子には気が付かなかった。




