九
霜村は無言だった。八十科を知ってはいるが、二人で会話をしたことはほとんどない。
それに良い予感がしないのである。
しかし、八十科をそのままにするわけにはいかず、気付かれない程度の溜息をついてからエントランスへと近づいた。
「既に肌寒いでしょう。上がって下さい」
霜村は胸ポケットからキーを取り出した。
「いえ、できれば停めてある車にご乗車いただけませんか?」
良い予感がしない。というのは訂正しよう。これは悪い予感である。霜村は確信した。
八十科が向かったのはマンション脇の路地に停めてある黒のベンツだった。
その車体の光沢は闇夜に溶けず、異彩を放っていた。僅かに街燈に照らされたそれは傍から見ても目立つだろう。霜村は八十科に開けられた後部座席に乗り込んだ。
隣には男がいた。
天見正嗣。その男である。日本十五大財閥天見財閥の一族の人間である。財閥とは名ばかりだと思われがちだが、莫大な資産と人脈で、直系の人間は様々な分野で現代も名を轟かせている。
天見正嗣の伯父、天見正成は天見銀行の頭取であるし、正嗣の弟、正元は警察庁刑事局長である。父方の従姉妹である聖子もAEAT製菓の代表取締役兼CEOだった。
正嗣本人も現与党の公平党副幹事長である。
初老になる正嗣の瞳はSF映画のアンドロイドのように前を向いて動かない。
霜村は天見正嗣を一瞥すると膝に視線を落とした。
「霜村さん、調子は如何です?」
彼は重い口を開いた。重厚な声色だった。
「普通です」
霜村は簡単に返した。
「悠理が長野でいなくなりました」
「先ほど彼女の後輩からもそのような話を聞きました。事実なんですね?」
「ええ。県警の人間を向かわせましたが、彼も行方が知れなくなりました」
「佐古下君の行方はわざと世間には知らせずにいるのですか?」
「混乱を招くだけでしょう」
「私に何の用です?」
霜村は痺れを切らした。単刀直入の質問は車内に沈黙をもたらした。
「霜村さん。貴方は民俗学に秀でている。神隠しとは有り得るのでしょうか?」
「その質問が私の主観での返答で良ければ、有り得ない。とお答えします。全てはその現象をどう解釈するか、です。私は既に神隠しとは、物体の消滅しない行方不明と認識しています。非科学な現象ではありません」
「ふむ。そうですか」
天見正嗣は唸ったまま黙ってしまう。霜村は居心地が悪かった。
「私に彼女を探せ、と仰いますか」
「お願いできますか?」
「是非お断りしたいですね」
「ふむ」
天見正嗣は耳たぶを掻いた。やや顎を上げている。
「天見家としては人員を割いて動けない。だが、彼女の身の安全はどうしても確保しなくてはいけない」
「それは貴方達の都合でしょう」
「そう。都合です。ですが世の中はその都合に行動を制限される。私には私の都合がある。貴方にも都合があるでしょう?」




