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第44話「スパルタ王クレオンブロータス」

 スパルタ王クレオンブロータスは、相対するテーバイ軍の布陣についての報告を聞き、しばし考え込んだ。


 スパルタ軍が中心となるペロポネソス同盟も、テーバイ軍が中心となるボイオティア同盟も、同じギリシア人同士である。同じ文化圏に所属しているため、必然的に同じような戦法をとる事になる。


 スパルタ以外のポリスの民からしてみれば、スパルタの様な戦いの事しか頭にない、文化的な生活とはかけ離れた連中と、同じ文化圏と見られたくは無いだろうが、ペルシア、フェニキア、更には最近台頭してきたローマなどの全く違う文化圏と比較してみれば、同じ文化圏に分類される。


 その戦い方は、密集隊形のファランクスを組んだ重装歩兵を主力とするもので、基本的にその防御力を活かして正面からの攻撃を得意とする。これは、スパルタもテーバイも、はたまたアテナイなど他のポリスも同じことである。


 偵察兵が報告してきた、今日のテーバイ軍の布陣も、重装歩兵によるファランクスである事には変わりは無い。だが、そのファランクスの組み方が異常なのだ。


 密集隊形のファランクスは、何列もの兵が連なる方陣である。今日のスパルタ軍は、縦十二列で編成している。この位の列が、今回のスパルタ軍の兵士の数には丁度良い均等の取れたものである。これは、クレオンブロータス以外の誰が指揮していても、同じ様な列にするはずだ。


 それに対してテーバイ軍の布陣は、縦五十列である。これは異常な数だ。何となく敵の意図するところは、クレオンブロータスにも察する事が出来た。縦の列が増えれば、例え前線の兵士が倒されても補充が効く。恐らく、兵士の練度ではスパルタ軍に敵わないと判断したので、その分大量の兵士をぶつけて消耗戦を仕掛けようという心積もりなのだ。スパルタ軍の兵士はテーバイ軍の兵士よりも圧倒的な戦闘力を誇っているが、流石に四倍もの兵力を相手に戦い続けたら、勝利は難しいかもしれない。


 だが、クレオンブロータスからしてみれば、これは浅はかとしか言いようがない。ペロポネソス同盟軍は、最精鋭のスパルタ軍が右翼に布陣しており、味方のポリスから派遣された軍は左翼側に布陣している。こちらもスパルタ軍と同じような深さの列で、全体として均等が取れている。


 ボイオティア同盟軍は、スパルタ軍と直接衝突する左翼に五十列の布陣をしているが、その影響で右翼側の列が非常に薄いものになっている。一方を厚くすれば、一方が薄くなる。当然の話だ。となれば、五十列の兵士達がスパルタ軍を消耗させ勝利する前に、薄い右翼の陣が簡単に撃破されてしまう事になる。そして、右翼の軍が敗退すると言う事は、ファランクスの弱点である側面ががら空きになると言う事だ。五十列の兵士を集中させた布陣も、結局敗れ去るだろう。


 そもそも、ボイオティア同盟軍はペロポネソス同盟軍よりも兵力が少ないのだ。多少小細工したところでどうにもならないだろう。


 ボイオティア同盟軍の総司令官であるエパミノンダスは、恐るべき知恵者だと聞いていたが、とんだ浅知恵である。戦の駆け引きと言うものを全く理解していない。数を集中させると言うのは一見理にかなっているが、机上の空論である。


 片方に戦力を集中させれば、もう片方が簡単に敗北してしまう以外にも、最前線の兵士からしてみれば重大な問題がある。


 どんなに後ろに味方が控えており、最前線の兵士が倒れても補充できる態勢が出来ていようと、最前線で戦う兵士からしてみれば恐怖でしかないと言う事だ。


 前線の兵士が消耗したとしても、後詰の兵士を投入して勝てば良いと言うのは、指揮官の考えである。兵士には関係が無い。兵士にとっては、軍全体が勝利するよりも自分が生き延びる事が重要なのだ。それが、人間の生存本能なのである。


 また、後方の兵士達にとっても、この戦い方は心理的に抵抗があるはずだ。


 例えば、前方に配置されていた兵士が戦って消耗させているから、相手が恐るべきスパルタ兵であろうと勝てると聞かされていたとしよう。これは一見理にかなっている。しかし、列の後ろの方にいた兵士が前線に出てくる時、最前線には味方の死体の山が出来ているのである。もちろん、その死体の山のおかげで敵は消耗しているのだが、そんな事兵士にとっては知った事ではない。その時彼が思うのは、これから自分も死体の山の一部にされてしまうのではないかという事だけである。これもまた、人間として自然な発想だ。


 この様な兵士の発想に立てない所が、学者肌のエパミノンダス将軍の限界だとクレオンブロータスは考えた。その点、クレオンブロータスは違う。スパルタの王族であるが、彼もまた他の市民と同様幼少から厳しい戦闘訓練を重ねてきた。自ら前線に立って兵を指揮し、多数の敵兵を血祭りにあげた事もある。つまり王でありながら、彼もまた一人の兵士なのだ。戦場の空気を知り尽くしている。


 それに加え、ペロポネソス同盟軍――というよりスパルタ軍の正規兵は、戦場で恐怖を感じる一般の兵士とは違う。彼らは幼少の頃から厳しい戦闘訓練を積んでいる。このため、戦争においては恐怖よりも高揚感を覚えるし、死の恐怖に怯え、立ちすくむ事も無い。もしもスパルタの兵士達がテーバイ軍と消耗戦になったのなら、スパルタ軍は淡々と戦い続けるのに対し、テーバイ軍は恐怖により指揮統制が瓦解するだろう。勝利は見えた様なものだ。


 テーバイ軍にも、精鋭部隊がいるとクレオンブロータスは報告は受けている。


 神聖隊なる名称で呼ばれ、これまでも小競り合いでスパルタ軍に敗北を味わわせてきた連中だが、所詮三百人しかいない。一万人規模のポリス同士の命運を決める決戦においては、何ら影響を与えるものではない。


 しかも、彼らは全員が同性愛者だという、馬鹿馬鹿しい存在だ。これを最初に聞いた時、クレオンブロータスは冗談なのかと一瞬本気で思ったほどだ。


 スパルタ軍の兵士は、例え既婚者であろうと三十歳までは軍の宿舎で寝泊まりする義務がある。このため、同性同士の性行為も珍しくはない。だが、それは、単に生理的欲求を解消するための行為に過ぎない。


 神聖隊のように男同士の愛がどうだとか言っているのは、スパルタ軍を率いるクレオンブロータスからしてみれば噴飯ものだ。戦場において愛などと寝言をぬかす軟弱者達を、散々に打ち破ってやるのも一興だろう。


 この戦いに勝利して彼らを捕虜にした後、性的欲求の処理に使ってやるのも面白いかもしれない。連中は全員が同性愛者なのだから、男同士の行為のテクニックは優れているだろう。


 その様な愚にもつかぬ事をクレオンブロータスは考えるほど、この戦いにおける勝利を確信していた。


 だが、戦闘が開始してからしばらく経過した時、その表情は曇っていった。


「おい! 何故まだ敵軍を撃破できないんだ? 前線は、優勢に戦闘しているんだろう。もそろそろ敵の士気が崩壊して逃亡兵が出てもおかしくないはずだ。」


「分かりません。確かに有利に戦況が進んでいるようなのですが、敵は恐れる事無く次々と向かってくるようです」


「何だとぅ?」


 側近から報告を受けたクレオンブロータスは、予想外の無いように驚愕した。これは予想外の事である。恐れを知らぬ精鋭部隊であるスパルタに対し、敵は戦いの素人が集まった軍隊である。これほどまでに勇敢に立ち向かってくるなど予想していなかった。


「なら、左翼はどうした? 奴らの列が薄い所にぶち当たれば、鎧袖一触たおせるはずだ!」


「左翼はまだ敵と交戦していません。左翼は同盟軍ばかりですが、連中はどうも日和見を決め込んでいるようで、動く気配がありません」


 この報告を聞いたクレオンブロータスは、王としては下品であるが思わず舌打ちをした。同盟軍とはいいつつも、実際はスパルタの支配下にある事を良く思っていない彼らである。士気が低いのはクレオンブロータスも重々承知していた。スパルタ軍主力の戦闘がもっと有利に進んでいたら、彼らも積極的に交戦したのだろうが、今の戦況は走ではないと言う事なのだ。


 実は開戦前、同盟軍の指揮官たちにエパミノンダスが裏工作をしており、そのために行動が鈍くなっているのだが、クレオンブロータスはそこまで察する事は出来なかった。


「王よ! これより私が一軍を率いて奴らの側面に回り込みます。さすれば一気に戦況が好転するでしょう」


「うむ。よくぞ言った。連中の横っ腹に風穴を開けてこい!」


 別動隊による側面からの攻撃を提案した将軍の意見具申を、クレオンブロータスは即座に承認した。これまで何度も記述してきた通り、ファランクスは側面からの攻撃に弱い。例え敵が五十列いようが、弱点を攻撃されて隊列を乱せばもはやそんな事は関係ない。一気に敵を壊滅出来るはずだ。その様になれば、同盟軍も重い腰を上げて戦闘を開始するだろう。


 そして、側面からの攻撃と言うのは、言うのはたやすいが実行するのは非常に難しい。この攻撃を実施するためには、実行部隊は方向転換も含めた複雑な機動をしなければならない。それは、隊列を組まなければ容易いかも知れないが、それでは効果が薄い。決定的な一撃を加えるためにはこちらもファランクスを組んだまま複雑かつ迅速な機動をしなければならない。


 この様な動きが可能なのは、ギリシア広しといえども生まれた時から戦闘訓練を受けているスパルタ兵だけなのだ。他のポリスの軍隊には真似が出来ない。


 これから実行するような、スパルタ軍別動隊による側面攻撃を防ぐには、同様に別動隊を繰り出してぶつける事が適切である。しかし、これをするためにはスパルタ軍と同じだけの、高レベルの機動をやってみせなければ追いつく事が出来ない。つまり、実質不可能という訳なのだ。


 だが、クレオンブロータスは本日三度驚かされる事になる。


「報告! 側面攻撃に向かった別動隊が、敵の別動隊に捕捉され交戦中です!」


「何だと? 馬鹿な事をぬかすな! この世界のどこに、そんな事が出来る奴らがいると言うのだ!」


 報告を受けたクレオンブロータスは、その内容をにわかに信じることは出来なかった。信じる事が出来なかったため、増援を送るべきか、他の対策をとるべきかの判断が遅れる事になる。


「続報です! 別動隊、敗れました! 敵の別動隊がそのままこちらに向かってきます! 神聖隊です!」


 クレオンブロータスは、四度目の驚愕をした。

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