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第42話「あの夜の真実」

 テーバイ市内に戻ったシシュポスは、二人しかいない部屋でデミトリアスを看病していた。いつもの神聖隊の宿舎ではない。神聖隊の宿舎の部屋は、もっと粗末な寝具である。怪我人に向いているものではない。


 今二人がいる部屋の寝具はもっと上等であり、そればかりか部屋の調度品も豪華な物ばかりだ。わざと質素な作りにしている軍の宿舎は比べられるものではないが、一般的な市民の家もここまで立派ではない。父親がスパルタ軍に殺害されるまでは、商人だった父親の下で中の上くらいの生活をしていたシシュポスも、これほどまでに美しい品々は見た事が無い。


 ではこの部屋は一体何なのかと言うと、ペロピダス将軍の邸宅の一室なのである。ペロピダスはテーバイでも有数の名門の出身である。一時期はテーバイを支配していたスパルタの手から逃れるために家財を捨てていたが、スパルタを追い出して帰還してからは、元の家を取り戻している、


 もっとも、遠征続きの生活で、この家で暮らすことが出来るのはごくわずかな期間なのであるが。


 スパルタ軍の襲撃にあった集落を救うため、デミトリアスが一人先行して救援に赴き、結果として被害は少なくなったが重傷を負った。怪我を治すには良い環境で休ませた方が良いとのペロピダスの判断で、こうして彼の邸宅で治療を受けているのだ。


 戦いから一週間経ったが、未だにデミトリアスは目を覚まさない。医者によると、もう峠は越しているとの事なので、命を失う事はない。だが、未だに意識は戻らないのだ。


 意識は戻らずとも、粥の様な流動性のある食事や、水を口に含ませれば本能的に飲み込む。シシュポスはずっとデミトリアスの世話を続けているのだ。


 食事だけではなく、風呂に入れないために定期的に体を拭いてやったりもする。体を拭いていると、布越しにデミトリアスの温もりや、発達した筋肉の張りが伝わってくる。そこからは命の主張が感じられるのに、全く目を覚まさない事にシシュポスは焦燥を感じていた。


「入るぞ」


 そんなある日、デミトリアスの眠る部屋に来訪者が現れた。


 この邸宅の主であるペロピダスと、その親友にしてテーバイ軍の総司令官であるエパミノンダス将軍だ。ここ最近二人はかなり忙しかった様だ。そのため、この家の主はペロピダスなのにも関わらず、殆ど家に戻って来ることは無かった。


「デミトリアスは、まだ目覚めないか」


「はい、残念ながら」


「それでは仕方ないな。デミトリアスは、抜きで出発するしかない。まあ、怪我の事があるから、連れて行くつもりは元からあまりなかったのだが」


「何処かに行く予定があるのですか? ……それはまさか!」


 ペロピダスの言葉に疑問を感じたシシュポスは、すぐにそれが何を意味しているのか察した。


 テーバイ周辺でのスパルタ軍の活動、忙しい軍の上層部、それらの事を総合するとある一つの仮説が浮かび上がる。


「戦争が、始まるのですね? それも、小競り合いではなく、決戦が」


「その通りだ。よくぞそこに辿り着いた。スパルタは、奴らの支配下にあるポリスから兵を集め、このボイオティア地方に向かっている。恐らくその数は一万を超えるだろう」


「一万……ですか。厳しい戦いになりますね」


 スパルタ軍は、世界最強と謳われる精鋭揃いだ。シシュポス達テーバイの神聖隊も選ばれし精鋭部隊であるため、同数なら互角の戦いを演じる事が出来る。しかし、一万の相手に勝つ事は困難だろう。


 だが、それでも「厳しい」と表現するだけで、「負ける」とは口にしないあたりが、シシュポスの矜持を示している。それを感じ取ったエパミノンダスは、口元に笑みを浮かべた。


「そうかもしれんが、勝ち目もある。まず、精鋭中の精鋭であるスパルタ市民軍は千人程度のはずだ。残りは、スパルタの奴隷軍や従属関係にあるポリスが差し出した兵、士気も練度も低いだろう」


 エパミノンダスの述べる事は、一見正しいように聞こえる。だが、スパルタの市民軍はかつて、たった三百人で十万人を超えるペルシア軍に、互角の戦いを繰り広げた。けっして侮る事は出来ない。それに、実のところテーバイ側の兵数は一万に満たないのだ。せいぜい七千と言ったところだ。最初から兵数で負けている。


「そこを、何とかするのが将軍の作戦なのですね?」


「そうだ。お前達神聖隊には、活躍してもらう事になる。苦しい戦いになるだろうがな」


 そこまで、言い終えたエパミノンダスは、出陣の支度があるからと断って部屋を後にした。


 部屋には、眠りについたままのデミトリアスと、向かい合って座るペロピダスとシシュポスの三人が残っている。


「なあ、シシュポスよ。今回の件はすまなかったと思っている。俺がもう少しデミトリアスの事を気にかけていれば、もう少しスパルタ軍の侵入に警戒の目を向けていれば、こんな事にはならなかったかもしれない」


「いえ、将軍が謝る事はありません。これもデミトリアスが選んだ事です。デミトリアスは一人前の男なのですから、その身に起きた事は全て自分の責任です」


「ああ、そうだな。俺にはまだデミトリアスが子供みたいに感じられるんだ。なにせこいつが小さい頃から知っているからな」


 シシュポスが偶然立ち聞きした事だが、デミトリアスがかつて奴隷として囚われていた時、それを助け出したのがペロピダスだったという。そのため、デミトリアスはペロピダスに愛情を抱き、ペロピダスの助けになれるよう必死に努力した。もっとも、ペロピダスが愛しているのはエパミノンダスでありその気持ちは揺らぐことは無かったし、幼い頃から知っている事が仇となり、どうしても息子の様にしか思えなかったのだろう。


「そういえば、何故デミトリアスは危険を冒してまで先に助けに行ったのでしょう? 将軍は知っているのですか?」


「ああ、知っている。お前にも関係が無いとは言えん。心して聞くが良い」


 ペロピダスが語るところによると、次の様な話であった。


 かつて、ペロピダスはテーバイ軍の一部を率いて、スパルタ軍をボイオティア地方から追い出すために各地を転戦していた。その時の戦いとして名高いのがテギュラの戦いだ。神聖隊を率いて戦い、数に勝るスパルタ軍を撃破したのである。これにより猛将ペロピダスの名声は確固たるものとなった。


 このテギュラの戦いは、シシュポスの人生にも大きく関わっている。テギュラの近くの集落に父親と共に宿泊していたのだが、この戦いの余波で父親を失う事になってしまったのである。


 そして、ペロピダスはシシュポスの泊まっていた集落の戦いに、デミトリアスが関わって居たのだと語った。


 当時、デミトリアスはペロピダスの遠征軍に加わっており、ペロピダスの命令で偵察する事を主な任務としていた。そして、その時シシュポスが泊まる集落がスパルタ軍に襲撃されるのを発見したのだ。デミトリアスが率いていた偵察隊は、ほんの十人程度だった。襲撃するスパルタ軍とまともに戦ってはとても勝ち目が無い。そう判断したデミトリアスは、ペロピダスが率いる本隊に救援を呼びに走った。


 結果、スパルタ軍を確実に撃破する事には成功したが、集落は皆殺しの憂き目を見た。


 いや、皆殺しではなかった。ただ一人、隠れていた少年だけが生き残っていた。救援を呼んで戻って来たデミトリアスが真っ先に突入し、たった一人の生き残りを助けたのだ。


「そんな訳で、デミトリアスは後悔していたのだ。救援が来るまで待たずに攻撃を仕掛けていれば、もっと助かる人間が増えたんじゃないかってな」


「そう……ですか」


 ペロピダスの話を聞いて、これまで顔も覚えていなかった、あの自分を助けてくれた兵士が、デミトリアスであることをシシュポスは初めて知った。あの兵士への感謝や憧れが、シシュポスの軍への志願に大きな影響を与えている。まさか、その兵士とこれまで一緒に暮らしていたなんて思いもしなかった。


 まさに運命的な出会いである。


 そして、デミトリアスは、これまで複雑な心境で生きていたのだろうと察する事が出来た。デミトリアスの判断によっては、シシュポスの父親は死なず不幸な生活を送る事は無かったかもしれない。自分の決断が生み出した存在と暮らす心境は、いかばかりだったのだろう。


 デミトリアスはシシュポスと偽装カップルになる事で、本来恋人同士でしか入れない神聖隊に入る手助けをしてくれた。ペロピダスへのデミトリアスの想いを知ったシシュポスは、これをデミトリアスが神聖隊に入ってペロピダスの傍にいるための作戦だと理解していた。デミトリアスもそれを否定していなかった。


 しかし、デミトリアスがシシュポスの素性を最初から知っていたのなら、話は別である。自らの過去の行いを清算しようとし、シシュポスに手を貸してくれていたのかもしれない。だからこそ、あれほど親身になってシシュポスを鍛え上げてくれたのだ。


 そんなデミトリアスの胸の内の一端を知ったシシュポスは、泣き出したい気持ちに駆られた。


「シシュポス、確認する事がある」


「何ですか?」


 シシュポスの心情を知ってか知らずか、ペロピダスが話しかけてきた。


「知っての通り、神聖隊は一対のパートナーだけで構成された部隊だ。デミトリアスが戦場に出れない以上、お前も戦場に出る必要は無い。だが、ついてくる気があるか? ここでこのまま看病をしていても、俺は構わないし、他の皆もそうだろう」


「僕は……」


 シシュポスは少しの間だけ間を置くと、断固たる決意のもとに返事をした。

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