第41話「瀕死の勇士」
デミトリアスを探し、シシュポスは燃え盛る集落の中に走り出した。目指すのはひときわ戦いの喧騒が激しい一帯だ。ペロピダス将軍の言葉が正しいなら、デミトリアスはそこにいるはずだ。
焼け崩れた家を避けながら進んで行くと、互いに剣を交えている一団が見えてくる。片方は完全武装した兵士達だ。その兜や鎧の様式からスパルタ軍だと判断出来る。もう片方は鎧や兜を身につけておらず、剣や槍だけで応戦している。防具を身につけているかどうかは戦闘力にかなりの差が生じる。ましてや相手は世界最強と謳われるスパルタ軍なのだ。圧倒的不利は否めない。そして彼らテーバイの兵士達を指揮している人物に、シシュポスは見覚えがあった。昼間に神聖隊の事を侮辱し、争いの種を捲いた男であるイアソンだ。彼は名門の生まれであるため、市民軍でも指導的な立場にある。この集落に宿泊していた部隊は、彼が指揮していたのだろう。
防戦一方のテーバイの兵士達は円陣を組んで応戦している。よく見れば円陣の中には、この集落の人間と思しき老人や女子供が守られているのが見えた。実力では絶対に敵わないのを知っているだろうに、戦う術の無い民を守る彼らの姿に、シシュポスは不覚にも感動を覚えた。かつてシシュポスが同じような状況に遭遇した時に、救援が遅れたために家族も含めて集落が皆殺しの目に遭った経験があるからかもしれない。
また、昼間の争いの事があったので、イアソンの事を自分勝手な取るに足らない人物だと評価していたのだが、それを改めた。少なくとも彼には、自分の危険を省みずに弱き者を助ける気概がある。
「テーバイの勇敢な兵士達よ! よく耐えた、援軍が来たぞ! テーバイ最強の神聖隊の到着だ!」
シシュポスは走りながら大声で叫んだ。救援の存在は、味方の勇気を奮い立たせ、敵の指揮を挫く。この場に到着している救援はシシュポス一人なのだが、それでも効果は大きかった。イアソン達は歓声を上げて反撃を開始し、スパルタ軍は互いに顔を見合わせ、どうするべきかと動揺している。
結局、このまま戦うのは無理だと判断したようだ。市民軍を攻撃していた彼らはすぐに反転し、集落の外に向かって走り去っていった。例え戦闘継続を決断していたとしても、士気の回復したイアソン達をすぐに撃破するのは難しかっただろうし、すぐに追いついて来たペロピダス将軍率いる神聖隊と戦えば、壊滅的な被害を受けていただろう。判断は正しかったと言える。
「大丈夫ですか? 怪我人はいませんか?」
「俺達は大丈夫だ。すぐに防御態勢に移ったから、なんとか持ちこたえていた。だけど……」
安否を確認するシシュポスに、イアソンが答えた。昼間はシシュポスの作戦に散々打ち破られた彼だが、それ程無能な訳ではなさそうだ。
そんな事を考えたシシュポスだったが、イアソンが指し示す方向を見て顔色が変わった。そこには、倒れ伏したデミトリアスの姿があった。その全身は、真っ赤に染まっている。
「デミトリアス! 何で?!」
「敵に押しまくられて、もうだめだと思った時に助けに来てくれたのが、彼だったんだ。スパルタ軍の指揮官を倒してくれたおかげで、敵の攻撃の手が緩まったんだ。だが、敵の数が多すぎてデミトリアスは……、おい、お前ら! 早くデミトリアスの手当てをしないか!」
イアソンに叱咤された市民兵は、それに反応してすぐにデミトリアスの応急手当を始めた。服を脱がせると、体のあちこちに深い切り傷や刺し傷が刻まれているのが確認できる。胸は上下しているので生きているのは確認できるが、適切な処置をしなければすぐに命を失ってしまうだろう。
「すまん! 遅くなった! そっちの状態はどうだ?」
悲しみに暮れるシシュポスに、燃え盛る炎の音に負けない蛮声が投げかけられた。神聖隊の主力を率いてきたペロピダスだ。彼を始め神聖隊の兵士達の鎧や槍には血が付着している。ここに来るまでスパルタ軍の別動隊と交戦してきただろう。
「集落の民や市民兵は大丈夫です。だけど、デミトリアスが……」
「……! だから、自分の未来を考えて生きろと言ったのだ。馬鹿者が……。いや、よく戦ってくれた。感謝するぞ」
ペロピダスは沈痛な面持ちになって嘆いた。デミトリアスはかつてペロピダスに助けられ、それ以来ペロピダスを慕いそばに仕えていたと聞いている。デミトリアスにとってペロピダスは特別な人物だったし、ペロピダスにとってもデミトリアスは可愛い存在だったのだ。本音では何を犠牲にしても、自分の事を大切にして欲しかったに違いない。だが、テーバイの将軍の立場としては、デミトリアスの戦いぶりを褒めるより他にない。
「聞け! デミトリアスはまだ死んではいない! そして死なせてはならん! すぐにテーバイに搬送するぞ。荷車を借りるぞ。テセウスとクレイトス、お前らはテーバイまで先に走って医者に準備をさせておけ、デミトリアスが着いたらすぐに治療が出来るようにな」
「走るのだったら僕の方が……」
「シシュポス、お前はデミトリアスの傍にいてやれ」
「はい……」
ペロピダスは、厳しくも優しさの感じられる口調でシシュポスに言った。確かにここからテーバイくらいまでの距離なら、テセウス達の方が速いかもしれない。また、神聖隊のパートナーとして、シシュポスにはデミトリアスの傍にいる義務があると言える。
だが、デミトリアスが本当に愛しているのはペロピダスであり、シシュポスは単なる偽装の恋人である。
本当にデミトリアスの傍にいてやる資格があるのだろうか?
そんな思いが頭の中でぐるぐると巡るシシュポスだったが、指揮官はペロピダスである。結局言う事を聞くより他に無かった。




