第38話「神聖隊VS市民軍」
シシュポス達神聖隊百人と、市民軍三百人の模擬戦は、昼食休憩後すぐに開始された。
互いに拓けた草原で向かい合い、凄まじいばかりの殺気を発して威嚇し合っている。戦争において、勢いは非常に重要だ。もしも戦意に乏しく勢いが失われたならば、どれだけの大軍を擁していたとしても敗北してしまうだろう。その様な戦例は現代まで数え切れない程ある。では勢いをつけるにはどうしたらよいのかというと、睡眠や食事をしっかりとって、無駄な体力を消耗しないことは勢いを失わないための大前提であるが、勢いを増すには今彼らがやっているように威嚇すると言うのが一番手っ取り早い。単純な話であるが、文明化して闘争本能を失った人類が、それを取り戻して戦うためには野獣に戻るのが一番理にかなっているのである。
一応述べておきますが、ここでいう「野獣」とは、性的な意味合いではありません。念のため。
とは言え、戦争において兵士はその獣性を開放して戦うので、様々な欲望に歯止めが効かなくなるのも事実だ。だから、本来勝利のためには無関係であるはずの殺戮、暴行、略奪などを起こしてしまうのだ。これを防ぐには、戦場においても獣性を制御するだけの厳しい訓練を積むか、卓越した指揮官による統制しかない。
今回の模擬戦では、双方同じポリスに所属する仲間であり、野蛮な行為が起きる心配は本来ない。だが、ついさっきの休憩中、神聖隊の誇りに関わる様な侮辱がされているため、報復として本来の模擬戦では起こり得ない規模の流血が発生するかもしれない。それは、敵対していきり立つ市民軍側も同じである。
今回神聖隊を率いる事になったシシュポスとしては、その様な事態に発展させる事は避けたかった。身内同士で争ってしまっては、本当の敵であるスパルタの思うつぼである。スパルタへの復讐に燃えるシシュポスとしてはそれは面白くない。それに、この模擬戦はエパミノンダス将軍らが観戦している。エパミノンダスはシシュポスの父の友人であり、出会ってからはシシュポスに気を配ってくれている。エパミノンダスを失望させるような事はしたくない。
「突っ込め!」
エパミノンダスが模擬戦開始の合図の角笛を吹くや否や、シシュポスは突撃を命じた。
神聖隊も市民軍も、密集隊形のファランクスを組んでいる。ファランクスは非常に強い防御力を持っているが、欠点として密集した仲間が邪魔になったり、隊形を保ちながら移動しなければならないため機動力に欠ける事が挙げられる。そのため、ファランクスを組んだ軍隊は、ゆっくりと相手に接近するのが常套手段であるが、神聖隊のスピードはその常識を遥かに超えている。
常日頃同じ仲間と戦闘訓練をしているからこそのスピードだ。全員凄まじい密度の訓練をしているのが主要因であるが、全員が同性愛の恋人同士だという連帯感もこれを助長している。
予想を遥かに超える速度で突撃して来る神聖隊を目の当たりにした市民軍側は、混乱状態に陥った。戦争は勢いだと前に述べたが、相手の勢いが凄まじければ、その分自らの勢いが失われる。それを考慮するのなら、神聖隊ほどのスピードが出なくともすぐに前進を開始すべきであった。だが、もはや後の祭りである。
「はい、命中! 退場だ! 次、お前もだ!」
勢いに乗った神聖隊は、次々と市民軍の兵士達を木製の槍で打ち据えていく。特に先頭で指揮をしながら槍を振るうシシュポスの働きは鬼神の様だ。委縮してしまった市民兵達は大した抵抗も無く退場していく事になる。抵抗が無い分怪我をする者がいないのが救いだが、市民軍を指揮する事になったイアソンとしては、怒り心頭だ。
今回の諍いは、イアソンが同性愛者の集まりである神聖隊を侮辱した事に端を発しているのである。それなのにその神聖隊相手に敗北するなど有ってはならないのだ。テーバイでも有数の名門としての誇りに掛けてもだ。
「落ち着け! こっちは相手の三倍いるんだ。第二部隊、相手の側面に回って突き崩せ! 第三部隊、第一部隊を掩護しろ!」
市民軍側は、神聖隊側の三倍の兵力を有しているため、部隊を三つに分けていた。今は第一部隊が壊滅的な被害を受けているが、残りの二つは無傷である。これをうまく運用すれば勝利はまだまだ手の中だ。
ファランクスは非常に強い防御力を持っているが、それは部隊の前面に対してである。密集した隊形で盾を前方に並べる事により兵士同士で守り合い、槍を同じく前方に向ける事で敵の接近を防止する事が出来るのだが、側方や後方に対してはこれは出来ない。方向転換をすれば対処は出来るのだが、密集隊形が仇となって非常に時間がかかるのだ。側方や後方からの攻撃に弱いと言うのは、あらゆる軍隊共通の弱点ではあるのだが、ファランクスは特に顕著なのである。
つまり、市民軍の第一部隊との戦闘にかまけている今の神聖隊は、イアソンにとって絶好の獲物なのである。今側面に回り込めば勝利は確実である。神聖隊は、とてつもない戦闘技術をもつ精鋭揃いだが、集団戦において不利な態勢になってしまえば、その戦闘技術を発揮する機会も無く敗北してしまうだろう。それに、第三部隊を第一部隊の援護に回せば、まだ前線は保つはずである。そこまで簡単に崩壊する事はないだろう。
イアソンは勝利を確信した。だが、
「何をやってる! 早く、早く回り込め!」
第二部隊の移動は遅れに遅れた、先程の神聖隊の疾風の様な突撃は元々期待していなかったのだが、それにしたって遅すぎる。
「おいおい、相手の横に回り込むって事は、自分達が動く時に方向転換しなけりゃならないって事だ。ファランクスにとって苦手な方向転換をな。よほど訓練をしていれば、そういう動きも出来たかもしれないが……お前達にはまだ無理だったようだな」
「お……お前は、お前は確かデミトリアス……」
思うように戦況が進まず、地団駄を踏むイアソンの背後から、デミトリアス達神聖隊の兵士が十人ほど出現した。予想外の敵の接近に、イアソンは驚愕する。
「それに、味方があれだけ圧倒的にやられているんだ。腰が引けてしまって中々進めなくなったって、おかしくは無い。作戦を立てる時に、その辺の事を考慮するべきだったな」
「お前達、一体どこから?」
「戦闘開始でシシュポス達が突っ込んだ時に、注目が逸れている内に草むらに潜んだんだ。で、こうして手持ちの兵を全部使ってしまった間抜けな指揮官を、討ち取りに来たって訳だ」
「そんな!」
デミトリアス達がそんな動きをしているなど、イアソンは全く気付いていなかった。デミトリアス達の動きが巧妙だったのも理由だが、数が少なすぎて注意が行かなかったと言うのもある。もちろん、イアソンが指揮官としての視野が狭すぎたというのが、一番の理由だ。
「覚悟!」
「ま、まて! 降参する。降参だ!」
「注目! 指揮官が降参したぞ! 俺達の勝利だ!」
この模擬戦のルールでは、例え指揮官が討ち取られたとしても勝敗には関係が無い。指揮官のいない状態で戦闘が継続するだけである。しかし、指揮官が降参だと言ってしまった以上、そこで模擬戦の勝敗は決してしまう。だからこそ、デミトリアスは隠密にイアソンを始末するのではなく、心理的な動揺を誘うようにわざと声をかけたのだ。
デミトリアスが別動隊を率いてイアソンを攻撃すると言うのは、シシュポスが考えたさくせんである。しかし降参を誘うような心理戦については、特に指示されていない。だが、デミトリアスが自分で状況を判断した結果、それが最善であると判断したのだ。
デミトリアスは戦場で戦った経験はあるが、一兵卒としてである。本来その様な駆け引きには縁が無い。だが、草むらに潜伏した状態からイアソンに攻撃を仕掛けようとした瞬間、シシュポスだったら降参させるように仕向けるだろうと何となく思ったのだ。何故そう思ったのかは分からない。
シシュポスとの共同生活も長くなってきたので、考え方に影響が出てきたのかもしれない。
「しかし、ここまで見事に勝ってしまうとはな。あいつも成長したもんだ」
デミトリアスの視線の先では、神聖隊の兵士達が勝利の雄叫びを上げていた。その中心にいるのは、この作戦を立案し、最前線で指揮しながら戦ったシシュポスだ。
デミトリアスとシシュポスはパートナー関係にあるが、他の神聖隊の兵士達と違って恋人同士ではない。互いの利害関係のために、偽装カップルを組んだのである。シシュポスはスパルタへの復讐のためであるし、デミトリアスは神聖隊を率いるペロピダス将軍を傍で守りたいと言う個人的な思いのためだ。
最初はひ弱だったシシュポスは、自らの目的のためにあそこまで成長を果たした。その姿は、デミトリアスにとってまぶしく感じ、心の何処かに痛みが走るのであった。




