第36話「悪意」
その日、シシュポス達神聖隊に課せられた訓練は、一般の市民軍との合同訓練だった。
古代ギリシアにおける各ポリスの軍隊は、三十歳までの男は全て軍の宿舎で強制的に生活させることで常備軍化したスパルタや、特別の精鋭部隊として編制されているテーバイの神聖隊を除いて、基本的に一般市民が出動する態勢をとっている。そのため、平和な時期にはまとまった軍隊は存在しない。しかし、訓練をしなければ有事に使いものにならないので、市民兵として招集される年齢の男達は定期的に訓練を受ける事になっている。ましてや今のテーバイの情勢は、軍事大国であるスパルタとの睨み合いが続いている。市民兵が訓練を受ける頻度はかなり高まっているし、一部の者達は実際に戦闘をする事もある。
シシュポス達がこの日合同訓練をしている相手は、その様にして集められた者達だった。
訓練の内容は、前半が協同して密集隊形のファランクスを組んで機動する訓練であり、後半が対抗方式で模擬戦をする予定になっていた。
この合同訓練を取り仕切るのは、テーバイ軍の総司令官たるエパミノンダスであり、市民軍側の指揮官は元神聖隊隊員のディオスドトス、神聖隊側は神聖隊の指揮官であるペロピダスだ。この三人は実戦経験豊富であり指揮官としての能力に優れるだけでなく、戦士としても非常に優秀だ。訓練で兵を指導するのにこれほど適任な者達はいないだろう。
午前中の訓練は、非常に上手くいった。
国から給金が支給される専門の兵士であるために、生活の全てを戦闘訓練に集中できる神聖隊に対し、市民兵は日頃は農業や商業等の一般的な生活を営んでいる。そのため、ファランクスを組む速度や組んだ後の防御の堅さ、密集隊形を保ったままの移動速度には雲泥の差があった。
当然だ。神聖隊は訓練の量もさることながら、同じ顔触れと連携する訓練を繰り返している。それに比べて市民兵達は、これまで顔も知らなかったような者達と連携しなければならないのだ。練度の差が出るのは当たり前の事である。
これに気を良くして勝ち誇る神聖隊の兵士達ではない。自分達が訓練に集中できるのは、この様な市民兵達が納めた税から給金や武装、食糧が賄われている事は重々承知している。そのため、自分達の知るファランクスのコツを市民軍に伝授した。
神聖隊の見事なファランクスは良い手本となったし、実際に実行している所見せてやれるからこそ自信をもって教える事が出来る。市民軍は神聖隊には及ばないものの、訓練開始当初と比べて午前の訓練が終わる頃には格段に動きが良くなった。
これは、神聖隊に期待された目的の一つである。
神聖隊がいくら強いと言っても、たった三百人程度の小部隊である。ギリシア世界の覇権を制する様な決戦では、一万を超える軍が衝突する事もあるのだ。いくら神聖隊がスパルタ軍以上の精鋭部隊であろうと、戦いの趨勢を変えるには規模が足りない。兵士の質だけで勝負を決したければ、スパルタ軍の様に全員を精鋭の兵士として育成する様な事をしなければ効果は出るものではないのだ。そして、それを実行するためには成人男子を常に兵士として訓練させねばならず、経済、生産活動に大きな影響が出る。
だが、神聖隊の様に小規模な部隊を精鋭として育成し、一般兵士と合同訓練をさせる事で、一般兵を飛躍的に向上させる事が可能である。もちろんスパルタ軍程とはいかないが、それでも効果はかなりのものだ。手本となる者さえいれば、教育効果は高まるのである。
神聖隊の中でもシシュポスは、コツを教えるのが非常に上手いため、午前中の訓練でかなり活躍する事になった。シシュポスは、元々は神聖隊の中でも劣等生であった。そのため、自分の動きを改善するためにかなりの試行錯誤をしてきたために、どの様に工夫すれば動きが改善されるのか理解しているのであった。
期待した効果が得られていると判断したエパミノンダス達首脳陣は、満足げな表情だった。
ここまでは順風満帆であったが、問題は昼食休憩をとっているときに発生した。
神聖隊と市民軍の一部の者達が、言い争いを始めたのである。
それに気が付いたシシュポスは声のする方に近づいてみると、同僚のテセウス達が殴り合わんばかりの剣幕で睨み合っているのを見つけた。
「貴様……! もういっぺん行ってみろ!」
「ああ、言ってやるさ! お前らは、いくつになっても男同士でいちゃついている変態だってな!」
言い争いの内容は、大体こんなところであった。
神聖隊は全員が男同士の恋人達から成り立っている。これは、愛の力で戦争に勝利するための作戦である。
古代ギリシアにおいては同性愛は一般的であり、奇異な目で見られることは少ない。しかし、だからといって偏見が全く存在しないと言う訳ではない。同性愛に理解の無い者は一定数存在する。また、同性愛については理解しているものの、家の存続だったり女性への愛に目覚めて結婚する者は多い。と言うよりも、そちらの方が一般的だ。
つまり、神聖隊の男達の様に人生の全てを懸けて純粋な男同士の愛を貫く者達は、少数派であり異端なのである。
異端であり普通の者には真似出来ないからこそ、彼らの存在を尊いと感じる者はいる。アテナイの偉大なる哲学者であるプラトンがその著書の中で記述した通り、男同士の愛こそが至高の愛、いわゆる「プラトニック・ラブ」であるとの考え方は、知識人の中には広まっている。
しかし、少数派であると言う事は、弱者でもある。神聖隊の様に最強の戦士達の集団であっても、社会的に少数派であれば社会的弱者であると言えるのだ。
異端には奇異の目が向けられ、それは容易く悪意に変わる。今、シシュポスの目の前で起きているのは、その様な根深いものなのだ。




