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第35話「神託の謎」

 最近シシュポスの胸のつかえとなっているのは、デミトリアスの事だ。この前の酒宴の夜に、デミトリアスとペロピダスが話しているのを目撃してからずっとこうだ。


 シシュポスが神聖隊に入隊して以来、デミトリアスはシシュポスのパートナーとして傍にいてくれた。寝食を共にし、どんなに苦しい訓練も一緒に乗り越えてきた。


 一緒に、と言ってもそれは対等な関係ではなかった。戦士として完成された実力を持つデミトリアスに比べ、シシュポスはあまりに未熟であったのでデミトリアスに頼り、その導きを受ける事が多かった。だが、そのおかげでシシュポスは飛躍的な成長を遂げ、今では精鋭揃いの神聖隊の中でも有数の実力をもっている。それに、今では単にデミトリアスに助けられるだけの不均衡な関係ではない。エパミノンダス将軍の助言のおかげでもあるが、一対一のレスリングの戦いでデミトリアスを倒すことに成功した。もう、ただ導かれるだけの存在ではなく、対等な関係になろうとしていたのだ。


 デミトリアスはシシュポスの憧れの存在であった。そのデミトリアスに並べるほど成長し、これからは逆にデミトリアスの助けになれるかもしれないと、シシュポスは内心期待していたのだ。


 そんな折に判明したのは、デミトリアスはペロピダス将軍を愛していたと言う事である。


 ペロピダスは同性愛者のカップルだけで構成された神聖隊を率いる将軍だ。彼の傍で戦うためには神聖隊に入るしかない。そして、神聖隊に入るには誰かとカップルになるしかない。だが、デミトリアスが愛しているのはペロピダスであり、他の者と恋人関係になる事は出来ない。その様な事情を抱える彼の前に現れたのが、同じく恋人はいないが神聖隊に入る事を希望していたシシュポスだったのだ。


 同性愛者ではないシシュポスは、誰かと恋人になる事は出来ない。そんなシシュポスは偽装カップルを組むのにちょうどよい人間だったのだ。


 この様にデミトリアスの事情を理解したシシュポスは、「だから何だと言うのか?」と自分に言い聞かせようとした。


 デミトリアスが誰を愛していようが関係の無い話ではないか。


 元よりシシュポスは、同性愛者ではなく、同性愛者しか入れない神聖隊に入る決意をしたのも、スパルタ軍に復讐をするためである。資産の無いシシュポスは、古代ギリシアにおける主力戦闘部隊である重装歩兵として戦うために、武装を揃える事が出来ない。これではスパルタ軍に復讐が出来ないと考えたため、武装や給料が支給される神聖隊に入る事にしたのだ。


 この様な個人的な事情から神聖隊に入ることにしただけでなく、本来男同士の恋人たちしか入れないのを解決するために、デミトリアスに偽のパートナーになって貰ったのである。


 つまり、相手を利用したのはシシュポスも同様である。デミトリアスに利用されていたとして、それに対して恨みに思うのはお門違いだ。


 シシュポスの胸のわだかまりは、恨みの類ではない。そうでないことはシシュポスも自覚している。では、一体何をそんなに悩んでいるのかは分からないために、こうしてシシュポスは困っているのだ。


 そして、シシュポスはある事を思い出した。


 かつてシシュポスはデルポイの神殿で神託を受けた事がある。神聖隊で行われたテーバイからデルポイまでの長距離走でシシュポスとデミトリアスが優勝したため、その戦いぶりに感動した神官たちから褒美として神託を受ける事になったのだ。


 その時、「大切なものを得るが、大切なものを失うだろう」という神託を受けたのである。


 これだけではあまりにも曖昧過ぎ、幾つも解釈が出来るために、何を示しているのかさっぱり分からない。


 これはシシュポスが受けた神託だけに限った話ではなく、解釈の難しい曖昧なものが下される事はしばしばある。歴史上名高いのは、ペルシア軍の襲撃に際しアテナイに下った神託であり、「木の壁によれ」というものがあった。これをアクロポリスの丘の神殿の壁の事だと解釈した市民は、ペルシア軍に虐殺され、軍船の事であると解釈した者達は海に逃れ、世界最強と呼ばれたペルシア軍にサラミスの海戦で大勝利を得た。


 ある意味どうとでも解釈出来るので、何が起きても外れた事にはならない様にしている神殿側のテクニックとも言えるかもしれない。だが、ギリシア世界においてデルポイの神託は、絶対的な権威があるためそれを受けた人々の中には常に神託の内容が付きまとう事になる。


 これは、人々に栄光をもたらす事にもなるし、絶望に突き落とす事にもなる。ペルシア軍と戦ったアテナイ市民の話はまさにこの典型である。また、「ソクラテスより賢い人間はいない」との神託を受けたソクラテスは、その神託の真偽をしかめるために数々の人間と議論し、その名声を高める事により後世まで称えられる事となった。そしてその名声のために死を与えられることになった。


 これらの例を見てみると、神託は祝福でもあり呪いでもある。


 だがシシュポスは、それでも良いと考えていた。シシュポスは、「大切なものを得る」と言う事をスパルタ軍への復讐が成功する事だと解釈していた。そして、「大切なものを失う」というのは自分の命を失うと言う事だ。これ等の事は、戦場に出たのなら普通に起こりうることだ。神聖隊に入る決心をした時から戦死する覚悟は出来ていたし、それで目的を果たせるのなら構わないと考えていた。


 だが、今にして思う。


 神託が謳う「大切なものを失う」とは、自らの命ではなく別のものではなかったのかと。


 上手く言語化する事は出来ない。しかし、シシュポスは、何か大切なものを失っているのを感じていた。

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