第34話「野外訓練」
シシュポス達神聖隊の新兵グループは、テーバイ市内の訓練場を出て、野外での訓練を実施していた。
軍隊の訓練と言うと、武器を使った戦闘技術を磨くことを思い浮かべる事も多いが、戦争に赴いた時実際に戦っている時間はほんのわずかである。数か月の軍事行動をしたとして、実際に剣を交えて戦うのはほんの一週間程度と言う事すら珍しくはない。場合によっては一日、それもその日の内の数時間程度と言う場合だってあるのだ。
では、戦闘以外の時間は何をしているのかと言うと、歩いたり、テントを張って宿営場所を整えたり、武器の手入れをしたり、調理をして食事をとったりしているのだ。
これらの事は、ある意味戦闘技術よりも重要だ。
何故なら、行進技術が未熟な軍隊は、目的地にたどり着く事すら出来ない。シシュポス達が生きた紀元前の時代は、乗り物がまだ未発達であり、目的地に歩いて行ける体力が無ければ話にならない。馬車や乗馬による機動はまだ一部の人間にのみ許された交通手段だ。また、例え歩く体力があったとしても、地図が未発達なこの時代において、自分が今どこにいて、どの方向に進めば良いのか判断するのは非常に難しい。街道を進めばある程度簡単なのだが、軍事行動では行動を秘匿するために道を外れ、時には山野を行かなくてはならない。もしも方向を失ってしまっては、野垂れ死んで野獣の餌になるだろう。
なお、この「野獣の餌」とは性的な意味ではなく、文字通りの意味である。
テントを張るなどの野宿をする技術も非常に重要である。町を離れて建物の外で長期間行動すること自体が体力を奪っていく。それを防ぐのが様々な宿営技術なのである。風雨に晒され続けては、いかに訓練された兵士であろうと長時間耐えることは出来ないのだ。仮に耐えられたとしても、わざわざ体力をすり減らした状態で敵と殺し合いをする羽目になるのは割に合わない。
なお、筆者はテントで野宿をしている時に固定が甘かったためか、暴風でテントが崩壊して死ぬかと思った経験があります。
料理に関しては最重要と言えるかもしれない。この時代においては保存食は殆ど発達していない。干物や塩漬けなどがあるくらいであろう。缶詰やレトルト、即席麵などは当然ない。そのために本拠地のポリスから輸送してきたり各地で調達した食料品は調理しなければならない。料理は女性の仕事などというのは、長い人類の歴史においては新しい概念といえよう。なぜなら、狩りにしろ戦争にしろ、長期間家を離れて行動する男達が料理をしない訳にはいかないのである。もしもここで「男は料理などしない」などと寝言をぬかすものは、栄養状態の悪化により死ぬしかない。まあ、その様な阿呆の遺伝子はその様にして淘汰されてきたのかも知れないのだが。
なお、食事、栄養状態、衛生状態という者は軍隊とは切っても切り離せないものであり、近代の戦争であっても戦死者の内訳をよく見てみると、敵に殺されるよりも栄養状態の悪化やそれに伴う病気で死ぬ者が多い事は多々ある。更に言えば保存食品は軍事目的のために進化してきた側面がある。例を挙げれば缶詰の元とも言える瓶詰は、世界史に名高い将軍であるナポレオンが、食糧を長期間持ち運べる手段として募集・採用したものである。
これらの事から、戦闘のプロの集団である神聖隊も、当然これまでに挙げた様な技術を身につける訓練をしなければならないのだ。体力や戦闘技術では既に世界最強とも呼ばれるスパルタ軍に匹敵するものがあるが、戦う前に戦闘力を減らしてしまっては勝てるものも勝てなくなるのだ。
なお、テーバイの宿敵であるスパルタの男達は、ある程度の訓練が終了すると武器を持たされただけの粗末な格好で野外に放り出される。そこで野外活動に慣れ、食糧を調達し、生き延びる事が一人前の男として認められる条件なのだ。言わば成人儀式の様なものである。その際に、奴隷の村を襲撃して虐殺して略奪したりするのだが、倫理的な事を考慮しなければ一人前の兵士を育てるには中々に考えられた訓練である。
もっとも、それが許されるのはスパルタだからであり、シシュポス達が住むテーバイ周辺でその様な蛮行は許されるものではない。だから、計画的な訓練をするのである。
その様な訳でシシュポス達はテント生活を続けているのだが、これはシシュポスにとっては苦にならなかった。シシュポスは幼少から父の行商の旅に同行しており、この様な活動には慣れている。神聖隊の他の兵士の中には、テーバイ市内から殆ど出た事の無いシティーボーイも多くおり、その様な者達は例えスポーツで体を鍛えていたとしても、時間とともに体力をすり減らしてしまうのだ。
その様な環境であるため、シシュポスは他の者達に野外活動のコツを教えたりして指導的な立場に立っている。入隊当初はあまりにも貧弱な体力しかなく見下されていたシシュポスであるが、過酷な訓練に耐える事で他の者達に追いつき、いまやトップクラスの戦闘力を身につけている。それに加えて今回の訓練だ。今や神聖隊の若手グループの中心人物と言っても良い。
父がスパルタ軍に殺されてから、親類をたらい回しにされて、あまり人と深く触れ合う機会の無かったシシュポスにとって、周囲の者達から信頼さるのは初めての体験であり、非常に戸惑うものだった。だが、心地の良いものでもある。
そんなシシュポスであったが、気掛かりな事があった。
デミトリアスの事である。




