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第32話「酒宴」

 ペロピダス将軍がテーバイに帰還してからすぐ、彼が率いていた神聖隊の主力も戻って来た。


 神聖隊は150組のカップル、つまり300人の男達を定員としており、シシュポス達テーバイに残留して訓練していたのはその内100人だった。残り200人の男達はペロピダスと共にボイオティア地方の各地を転戦し、スパルタの尖兵と死闘を繰り広げてきた。


 この神聖隊の主力達も交えた戦闘訓練が始まったのだ。当然ながらこれまで以上に厳しいものとなる。シシュポス達新米の中には実戦を経験した者は限られた数しかいないのに対し、主力の先輩たちは百戦錬磨の精鋭である。その経験の差はいかんともしがたいものがある。


 経験値が違う兵士を一つの部隊として運用する時、その連携が非常に重要になる。戦争では個人の戦闘技術の重要性は、部隊としての団結や連携に比べたら比重はかなり下がる。経験に差があり過ぎる者達を混在させた時、連携が取れなければ例え個人個人の能力が高くても、敵に敗北する事になりかねないのだ。


 普通は、ベテランの兵士が新米の兵士をフォローする様に行動する事で、連携が十分に取れる様に配慮する。新米兵士がいくら努力しても、ベテラン兵士の動きに合わせるのは非常に難しい。特にこの時代のギリシアにおける軍隊は、専門の兵士ではなく市民がポリスの防衛のために参集しているだけだ。それ程多くの訓練を出来るのではない。それを考慮すると当然の事である。決して新人を甘やかしているのではない。ベテラン兵がその実力を背景にいきがって新兵をフォローしなければ、戦争では負けてしまうだろう。


 だが、神聖隊はポリスから給金も武装も支給されている専門の兵士である。つまり、あらゆる時間を訓練に集中する事が出来るのだ。ならば新人兵士もベテラン兵士に追いつく事も(理論上は)可能だ。そして新人だとしても精鋭部隊とされている神聖隊に所属しているプライドがある。そのプライドに懸けてもそれに相応しい練度に到達しようとし、自主的に能力の向上を望むようになる。


 自主積極性は、単にやらされている時よりも大きな成果を上げるものだ。これは現代の仕事やスポーツ等に関しても同じであろう。


 この様な事情から、シシュポス達新兵はベテランと共に訓練をするようになって、すぐに追いついていった。これには訓練を見ていたペロピダスは大いに喜んだし、追いつかれたベテラン達も頼りになる後輩の存在を歓迎した。


 その日の夜は、神聖隊の食堂で宴会をしていた。


 厳しい訓練を継続するには、適度な息抜きや休息が必要である。そのため、この日は訓練が終わってから酒を飲む事か解禁されたのだ。


 軍隊における酒宴は、単なる気分転換ではない。共に酒を酌み交わすことで互いの団結を強める働きもある。


 現代に生きる我々からしてみれば、この様に聞くと何か前時代的な習慣に感じるし、アルハラの様なネガティブな事も警戒してしまうかもしれない。しかし、シシュポス達の生きているのは文字通り前時代であり、酒宴のロジックが今よりも生きている時代であった。それに、彼ら兵士は平和な時代に生きる我々とは違う特性がある。


 明日、戦場で死ぬかもしれず、そこで互いに命を預け合うのだ。その様な事を考慮すると酒による効用は現代よりもあったに違いない。また、今シシュポス達が飲んでいるのは葡萄酒であるが、この時代では水などで割って飲むのが一般的だ。悪い酔い方をするまで飲む者は少数派だ。


 現にこの夜のシシュポスは、先輩の兵士達と仲良く酒を酌み交わし、楽しく談笑している。


 シシュポスは、本来同性愛のカップルしかいない神聖隊において、デミトリアスと偽装カップルを結成して入隊した異端の存在だ。本来彼はここで仲良く談笑するのは難しい。珍しい存在だからこそ知り合ったばかりのベテラン兵士達にも、その辺りの事情は知られている。


 しかし、シシュポスの実力もまた、これまでの戦闘訓練で既に知られており、一目置かれていた。そして今こうして酒を酌み交わし、互いに話し合うと自然と意気投合するものだ。


 シシュポスが過去に家族を殺され、その復讐のために神聖隊を志した事を聞いたベテラン兵士達は、心の底から同情するとともに目的が果たされる事を応援した。そこにはシシュポスの事を排除しようと言う意識は、全く見られなかった。


 もちろん、これは単に酒に酩酊しているというだけの理由ではない。酒の効果はあくまで副次的なものだ。


 これには、シシュポスがつい最近まで貧相な少年であったのが、決死の訓練で神聖隊でもトップクラスの実力まで登りつめた事、テーバイ軍の指揮官であるエパミノンダスに目をかけられているという、様々な事情がある。


 また、シシュポスと偽装カップルを組んでいるデミトリアスの存在も、理解を後押ししていた。


 デミトリアスは以前から神聖隊の兵士達の訓練をコーチしており、その実力はこの前まで一緒に訓練していた新兵達よりもむしろベテラン兵士の方がよく知っている。だからこそ、そのデミトリアスが掟破りの行動に出た事を理解しようとしたのだ。言わばシシュポスは、デミトリアスのおこぼれを貰ったとも言える。


「まあ頑張んなよ。スパルタを倒す時は俺達も一緒だ。応援してるよ」


「私もだ。君ならきっとやれるだろう。何と言ってもデミトリアスが見込んだ男なのだからね」


 ベテラン兵士達は口々にシシュポスの事を応援した。そこでデミトリアスの名前を聞き、シシュポスはデミトリアスが周囲に見えない事に気が付いた。


「あれ? そういえばデミトリアスは来てないのかな?」


 この様な酒宴の場は、あまり接点の無い者と交友を持つことが重要だ。だから、いつも同じ部屋で寝ているデミトリアスとは、酒宴が始まってから話していなかったのだ。その姿を見た覚えがない。


「訓練場の方に歩いていくのを見たぞ」


「酔ったんで、夜風にでも当たりにいったんじゃないか?」


「そうですか、僕、ちょっと探してきます」


 そう言い残すと、シシュポスはデミトリアスを探しに食堂を後にした。


「中々いい子だったな。最初は同性愛者でもない奴が、この神聖隊に入るなど許せんと思ってたが、彼ならまあいいだろう」


「そうだな。流石、デミトリアスが見込んだやつだ」


 残されたベテラン兵士達は、シシュポスを笑顔で見送った。その後も料理を食べながら酒をちびりちびりとやっていたが、一人の男がふと何かを思い出したようにして呟いた。


「そういえば、シシュポス君が家族を殺されたっていうテギュラの戦いの時、デミトリアスも加わっていたんじゃなかったか? 特別任務をペロピダス将軍に命じられて、決戦には参加していなかったはずだが」

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