第27話「エパミノンダス参上」
「すごいな、シシュポス。まさかお前に負けるなんて思ってなかったよ」
起き上がったデミトリアスは、素直にシシュポスの勝利を称賛した。自分が負けたことについて、不思議さは感じているようだが、悔しさなどは感じていない。純粋にシシュポスの成長を喜んでいる。
デミトリアスに褒められたシシュポスは、その嬉しさで点に舞い上がらんばかりだった。これまでも、シシュポスの努力と成功に関しては、デミトリアスから何度も褒められている。しかし、それは全てデミトリアスの指示を忠実に遂行したからこそ達成したものである。デミトリアスの手のひらの上であったとも言える。
しかし、今回のシシュポスの勝利は、デミトリアスの予想を遥かに超えるものだった。シシュポスがデミトリアスにレスリングで勝利するなど、デミトリアスも含めて誰も予想していなかった。当のシシュポスだって昨日までは思ってもみなかったのだ。
つまり、今初めてシシュポスは、デミトリアスと対等の存在になれたとも言える。
デミトリアスの言う事に従えば、それ相応の成果を出すことが出来る。しかし、それはパートナーとは言い難い。親子や師弟なら、その様な不均衡な関係もあるかもしれないが、神聖隊のパートナーはそれらの関係とは一線を画す。
もちろん、シシュポスとデミトリアスの関係は、他の神聖隊のパートナーの様に熱い愛情で結ばれているのではなく、神聖隊に所属する資格を得るためという利害関係に基づいている。だが、他の神聖隊の男達は対等に愛し合うパートナーばかりであるため、それとは違う上下関係のあるパートナーでは連携に齟齬が生じる恐れがある。異端とはそういうものだ。
その様に考えれば、シシュポスとデミトリアスは他のパートナー達と近い関係に成長したと言えるだろう。二人はそこまで自覚はしていないのだが。
「だが、今の戦い方は、どこで身につけたんだ? こんなのは見た事が無いぞ」
「ああ、それは……ほら。あそこにいる小父さんが教えてくれたんだ」
シシュポスはデミトリアスに訓練場の片隅を示した。
そこには、昨日シシュポスに話しかけてきた男が立っており、シシュポス達の方を見ていた。シシュポスの戦いぶりも、観戦していたのだろう。
「あ、あの方は……」
「え? あの小父さんの事、知ってるの? 僕、名前を聞きそびれちゃったよ」
「みんな! 訓練一時中止! すぐ集合しろ! エパミノンダス将軍が来られたぞ!」
デミトリアスがすぐさま大声で周囲に指示をすると、静まり返った神聖隊の男達は一目散に整列を完了させた」
「デミトリアス、あの人そんなに偉いの? 確かに『エパミノンダス』って名前は聞いた覚えがあるけど」
「しっ! 静かに」
事情が良く吞み込めないシシュポスは、周囲の雰囲気についていけない。昨日話した感じでは、気のいい中年男性だと思ったのだが、どうやらそれだけの男ではないらしい。
「久しいな、デミトリアス。そう、かしこまらなくても良い。確かに私はテーバイ軍の将軍だが、諸君らと同じテーバイの市民であり、共に戦う同志なのだからな」
「はっ」
エパミノンダスは柔らかい口調でそう言うと、整列した神聖隊の兵士達に座るように手で促した。
エパミノンダスは、テーバイ軍の将軍中でも高位の人物であり、これから起こると予想されているスパルタ軍との決戦の際は、総司令官に任命されると噂される人物である。
一応テーバイ市民の中では名士層にあたるのだが、元々有名な人物ではなかったため、テーバイがスパルタに支配された時も捕らえられたりすることは無かった。しかし、かれの活躍はここから始まる。反スパルタを掲げ、テーバイの外に逃げた者達と連携し、スパルタを追い出す運動の中核となったのだ。エパミノンダスの智謀は神の如き輝きを示し、反抗は不可能と思われていたスパルタに勝利して、テーバイの独立を回復させたのだ。
この独立の戦いの過程で、周辺地域のスパルタからの解放も次々と果たしている。そのため、現在ではテーバイはボイオーティア地方の盟主として振舞っているのだ。
そして、この戦いにおいては、神聖隊の指揮官でもあるペロピダス将軍と硬い友情で結ばれ、二人でテーバイを勝利に導くことになった。
ペロピダス将軍は、テーバイでも有数の名士であったため、スパルタにテーバイが支配されていた時は外部に逃れ、独立活動をしていた人物だ。テーバイ独立回復後はテーバイ軍の先頭に立って戦い、数々の戦いで栄光を勝ち取っている。剛勇をもって知られ、少数の神聖隊を率いて最強と謳われるスパルタ軍を打ち破った経験もある。
エパミノンダスは知略で戦うため、ペロピダスとは対照的な人物だ。違う個性で相手を補っているからこそ、お互いを更に輝かせる事が出来るのだ。
二人が何故固い友情で結ばれているのかと言うと、過去の戦いでペロピダスが窮地に陥った時、エパミノンダスが命をかけて助けたのがきっかけだと言う。これが無ければ、二人は生まれた階層や、育ちの経験も違い、性質も違っているので、信頼関係を築く事が出来なかったかもしれない。その様な対照的な二人に縁が結ばれたからこそ、今のテーバイの発展があるのだから、運命とは不思議なものだ。
「先ずはシシュポス、デミトリアスほどの男を相手に、よくぞ勝利を収めた。アドバイスをしたのは確かだが、はっきり言ってここまで見事に成長するとは思ってなかった。良い意味で私の予想を裏切ってくれた。御父上から教わった数学の教えを良く理解していたようだね」
「はい、ありがとうございます!」
「数学……ですか?」
エパミノンダスのシシュポスへの称賛の言葉の一部に、レスリングとは関係なさそうな単語が混じっている事に、デミトリアスは疑問の声を発した。
「うむ。私がシシュポスに何をアドバイスしたのか、これから皆に教えてあげよう。秘密にするつもりはないしね。それどころか、その内スパルタ軍と激突する時の作戦に関係してくるのだよ。別に、シシュポス君を贔屓していたのではない」
スパルタ軍との決戦は、神聖隊の兵士達の一番の関心事項である。より真剣な表情を露わにした神聖隊の男達に、エパミノンダスは自らの考案した戦いの理論について語り始めた。




