第26話「リベンジマッチ」
その日も神聖隊の訓練内容はレスリングであった。兵士として学ぶべきことは多岐に渡るが、それらを一つ一つ集中的に訓練し、体に染み込ませるのが今の神聖隊の方針である。故に連続でレスリングを訓練しているのだ。
神聖隊の男達は、全員が同性愛者であるのだが、男と愛し合っているからと言って感性がいわゆる「女性的」と言う訳ではない。そのため、闘争心は普通の男と変わらない。いや、男同士で愛し合う事で逆にいわゆる「男らしさ」が刺激されるのか、皆が勇猛果敢な兵士である。
この辺りの事情は、ギリシア最強を目されるスパルタ軍の男達が、幼少から三十歳を過ぎるまで軍の宿舎に集められて暮らし、男を磨き合っているのと同じ様相なのかもしれない。
と言う訳で、昨日のレスリングの勝負のリベンジマッチを申し込む者達が多発する。例え実力差があろうと、負けたままで良しとする者などここにはいないのだ。
シシュポスもそれに漏れず、リベンジマッチを申し込む。相手は彼とパートナー関係にあるデミトリアスだ。
「おいおい、やる気満々なのは良いが、勝つ算段はあるのか? 気合だけじゃ俺は倒せないぞ」
「そうだろうね。でも僕には、作戦がある」
「作戦ね。ま、いいさ。昨日は訓練が終わった後、一人で何か訓練したのは知っている。やれるだけやってみな」
デミトリアスとしてはシシュポスの自主性を尊重したいので、特に否定的な事は言わなかった。だが、デミトリアスは優れた運動のコーチである。運動能力の向上にどれだけ労力を要するか、他者よりも熟知している。その彼からしてみれば、昨日今日でシシュポスがデミトリアスに勝利するのは、まずあり得ないと言えた。
レスリングは、非常に体格や筋力がものを言う競技である。シシュポスは間合いの取り方や俊敏さに才能があるが、レスリングという競技をするには、体格が貧弱だと言える。最近はデミトリアスの指導によりかなりの筋肉が付いているのだが、それでもレスリング向きの体格ではない。まして、相手をするデミトリアスはテーバイ軍でも有数の肉体を持っている。彼にレスリングで勝つのは、同じ様に優れた肉体を持ち、レスリングを専門で練習しているようなオリュンピア祭出場選手でもなければ難しいだろう。
その様な事を考えていたデミトリアスだったが、試合が始まった瞬間、自分が地面に組み伏せられているのに気が付いた。
「……! な、何?」
デミトリアスは何が起きているのか信じられなかった。シシュポスがとても俊敏なのは知っており、目にも止まらぬスピードでタックルして来るのは知っていた。しかし、どんなに素早くタックルされようと、シシュポスの筋力ではデミトリアスを組み伏せる事は不可能だったはずだ。
それどころか、今地面に組み伏せられた瞬間、デミトリアスは強い力をかけられた感触が無かった。それなのに、押し倒されてしまったのである。
「続いていくよ!」
「くっ」
今日の訓練も、五本勝負で実施されている。そのため、一回組み伏せてフォールしただけでは終わらない。シシュポスは更にデミトリアスを攻めたてようと、後ろに回り込んで組み付いた。その状態でデミトリアスと一緒に、地面を一回転すればもう一回フォールした事になる。
もちろん、デミトリアスはそれに抵抗しようと力を込めた。筋力や体重では遥かにデミトリアスの方が上回っている。立った状態なら偶然バランスを崩すこともあるため押し倒すことが出来ても、寝た状態ではデミトリアスを自由に転がす事は出来ない筈だった。
だが、その予想はまたもや覆された。デミトリアスがどんなに力を込めて抵抗しようとしても、全く手ごたえを感じなかった。そして、強い力を加えられている感覚が無いのに、いつの間にか背中を地面に押し付けられているのであった。
このままでは不味いと焦ったデミトリアスは、素早く立ち上がって間合いを離そうとした。何が起きているのかは分からないが、シシュポスに攻められていると対応する事が出来ない。守っていても最早どうにもならないのであれば、自分から攻撃するしかない。
デミトリアスが本気でタックルすれば、シシュポスの様な小柄な者は成す術もなく倒れてしまうはずだ。
デミトリアスはタイミングを見計らい、一気に突撃した。シシュポスも間合いを詰める動きは速いが、デミトリアスもそれに勝るとも劣らない。突進の威力は、言ってみれば「体重×スピード」である。スピードが同等なら、体重に勝るデミトリアスのタックルの方が威力が勝っている。であれば、例えシシュポスも同様にタックルして組み合おうとしても、デミトリアスは確実に勝つ事が出来る。
一度形勢が逆転して勢いに乗ってしまえば、その後も連続でフォールを決める事が出来るだろう。
そう判断していたデミトリアスだったが、その目論見は完全に外れた。
デミトリアスに対抗してタックルして来る構えを見せていたシシュポスだったが、真正面から他突っ込んで来ることは無かった。ほんの少しだけ横にずれ、デミトリアスの凄まじい勢いの突撃を逸らしてしまう。そしてデミトリアスの側方から組み付き、力を加えてきたのだ。
デミトリアスは、今まで自分が何をされていたのかに気付いた。
試合が始まって以来、シシュポスは徹底的にデミトリアスとの力の勝負を避け、デミトリアスが抵抗しにくい方向から力を加えてきたのである。例えシシュポスの方が力が弱くとも、真正面から争わなければ勝てるのだ。
例えば、多少の力の差があったとしても、後ろから急に引っ張られたとしたら、態勢を崩してしまうだろうし、場合によっては転倒してしまうだろう。シシュポスは、その様な戦い方をより計算づくで実行したのである。
この時代のレスリングは、まだまだ技術の発展がしておらず、試合は力の強い方が勝つ事が多かった。もちろん、レスリングの訓練を重ねるうちに、自然と相手の抵抗しにくい方向から攻撃する事が身に付いていく者もおり、オリュンピア祭で優勝するような名選手はその類である。しかし、未だにその様な技術が体系立てられてはない。
そのため、あらゆる分野のトレーニング方法を熟知しているデミトリアスも、今のシシュポスの様な戦い方は知らなかったのである。昨日のデミトリアスは、尻の穴や鼻の穴を攻撃するという裏技をやって見せたが、これはスポーツとしてのレスリングの技術ではなく、戦場で敵を組み伏せて止めを刺すための技術なのであった。
ただし、流石のデミトリアスである。自分が実際に受けてみる事で、シシュポスが実践してみせた技術についてすぐに理解した。
しかし、この様な戦い方を、シシュポスがどの様にして身につけたのか、全く見当もつかなかった。シシュポスは聡明な方である事は知っているが、流石に昨日今日で思いつくとは信じられない。
驚き呆然とするデミトリアスの前で、シシュポスが勝利の喜びに飛び跳ねていた。周囲で訓練していた神聖隊の仲間たちも、予想外の大金星を間近で見せられ、驚愕の余り訓練の手を止めて二人を見守るのであった。




