第22話「プラトニック・ラブ」
デミトリアスが課した訓練である、ランダムに動作される相手の踊りに全く遅れずに合わせると言うことは、普通に考えると不可能に近い。
何故なら、人間には神経の伝達速度に限界があるので、相手の動きを見てからでは絶対に間に合わないのだ。しかし、シシュポスはつい先ほどデミトリアスの踊りに全く遅れる事無く連動する事が出来た。
これは、何故なのか。
ある仮説に辿り着いたシシュポスは、デミトリアスの動きに注意深く目を凝らすのを止め、自然体になった。そして、デミトリアスの事だけを考えることにした。
打倒スパルタの復讐心や、訓練についていけないことによる不安などは捨て去り、そこには純粋にデミトリアスの事だけがあった。
その様にすると、不思議と自分がどの様に動けばよいのか理解出来るようになって来た。いや、理解出来ると言うより体が自然に動く。そして、その動きはデミトリアスの踊りと完全に一致していた。
「分かって来た様だな、シシュポス!」
「うん!」
シシュポスの得た結論はこうである。
見てから動いたのでは、絶対に間に合わない。それならば、見るより前に相手の動きを予測すれば良いのだ。そして、それを可能にするためには、連携する相手への想いで心を満たせば良いのである。
シシュポスはデミトリアスとは、出会ってまだ一カ月程度にすぎないが、その一カ月はとても濃密な時間であった。
同じ部屋で寝泊まりし、時には同じベッドで眠り、食事も風呂も一緒である。また、苦しい訓練をデミトリアスに支えられながらくぐり抜けて来たのだ。シシュポスとデミトリアスは、他の神聖隊の兵士達の様に恋人同士ではないが、この様にして共に濃密な時間を過ごしていると、同じ様な絆が生まれてくる。
シシュポスとデミトリアスは恋人同士ではないので、体こそ重ねていないが、精神的なつながりは非常に強くなっているのだ。
シシュポス達が生きているのと同時代に、プラトンという高名な哲学者がいる。彼の著書には真の愛とは何かについて論じられているものがある。
基本的には、異性愛よりも同性愛の方が純粋で素晴らしいという意見が述べられているのだが、そこでは肉体的な愛と精神的な愛についても述べられている。そして、肉体的な愛は加齢等による容色の衰えなどの影響を受けるが、精神的な愛にはその様なものは無い至高のものであると賛美しているのだ。
この、精神的な愛への賛美こそが「プラトニック・ラブ」であり、現代までこの言葉は残されているのである。
なお、先程記述した内容の通り、「プラトニック・ラブ」には、精神的な愛というだけでなく、本来同性愛の事についての言葉であると言う事は、あまり知られていないのが残念である。
さて、タイトル回収したところで話を進めるが、デミトリアスの事を思う事でシシュポスは動きに完全についていけるようになった。
シシュポスが付いてこれるようになったのを見て取ったデミトリアスは、ふっと満足そうに笑うと動きをさらに激しくしていく。
自分についてこれるかと挑発するように、そして誘うように。
シシュポスもそれに遅れは取らない。デミトリアスがどの様に動くのかを全て感覚で理解できるようになったシシュポスは、全く動じることなくついていく。
もはやデミトリアスの踊りは、最初に示した基本の動作に留まる事は無い。
四方八方にステップ、ジャンプを繰り返し、時にターンをしてくるりと回る。当然相手から視界が逸れてしまうが、それでも二人の動きは全くぶれる事はない。
二人の動きは更に複雑さを増していき、もはや鏡合わせの動作に囚われなくなる。
時に手を取り合ってステップを踏み、時にデミトリアスの胸にシシュポスが飛び込んでいき現代の社交ダンスの様に抱きかかえられ、時に互いに相手を高く持ち上げて月夜の空に舞った。
これらは訓練の最初にデミトリアスが説明した、相手と鏡合わせの動きで踊ると言う事からは完全に外れている。しかし、目的からは外れていない。仲間と連携する事がこの訓練の目的である。彼らの一見自由なように見えてその実相手のしたい事を察している今の踊りは、その目的に完全に合致しているのであった。
そしてこの事は、何も二人だけにしか通用しないの訳ではない。
二人の間程深く結びついているのではないが、他の神聖隊の兵士達も同じく苦しい訓練をくぐり抜けてきた仲間である。それなりの絆は築いている。ならば、ファランクスの密集隊形で息を合わせて動く位の単純な動きなら、仲間の事を思いやる気持ちさえ忘れなければ苦も無く出来るだろう。
デミトリアスは、これを伝えたくてシシュポスを踊りに誘ったのだ。
デミトリアスは運動のコーチをしている時に、目で見るだけでは相手の動きに対応出来ない事に気付き、どうすればその問題を解消できるのかと考えた。そして、長年の訓練の結果、目で見て間に合わないのであれば予測して事前に動くことが重要であり、そのためには相手が何をしたいのか理解する事が必要であると結論づけたのだ。
もちろん、対戦相手のパンチやタックルに対応すると言うのは、仲間と協力して動く事とは正反対の行為である。しかし、悪意と好意は表裏一体であり、対応するためには相手の事を考えて良く理解しなければならないと言う事は同じである。だからデミトリアスはこの様な訓練方法を思いついたのであった。
なお、普通のアスリート達はデミトリアスの様に理屈をつけて考えなくても、自然と相手の考えを予測する事を無意識にしているし、他の神聖隊の兵士達は、戦友でもある恋人の事を日夜思っているため、連携と言う面では全く問題が無かった。
つまり、密集隊形での連携に対応できないという問題は、これまで本格的な運動をしておらず、デミトリアスとの関係も偽装カップルであったシシュポス特有であったのだ。
しかし、この夜の訓練で、それは完全に解消された。もはや、集団戦闘での連携でシシュポスが困る事は無いだろう。
問題は解決され、もはや二人が踊り続ける必要性は無くなった。しかし、心を重ね合わせて踊ると言う行為は、体を重ねる肉体的な快楽を上回る精神的な快感を二人に与えていた。
今、踊りを止めてしまうのは惜しい。
その様に思った二人は、日が昇るまで満月が照らす訓練場で踊り続けたのであった。




