第17話「武術の才」
神聖隊で本格的な戦闘訓練が始まってから、一週間程経過した。
武器を使った戦闘訓練は、剣に限られるものではない。槍、盾、投槍、投石、弓矢等多岐に渡る。戦場においては様々な武器を使いこなすことが必要なのだ。
テーバイ市民軍の通常の兵士達なら、それ程多くの武器を使いこなす必要は無い。役割が決まっているので、槍なら槍、投石なら投石といった風に自分の使う武器だけを訓練すれば事足りる。
しかし、神聖隊は戦士としてはエリート集団だ。普通の市民兵は武装を自前で用意するし給料は出ないのに対して、神聖隊は武装は支給されるし給料も支払われる。また、市民兵は自らの仕事をしつつ有事には兵士として戦うのに対し、神聖隊は他の仕事はせず兵士としての訓練に専念する。
つまり、神聖隊の兵士達は、戦争におけるありとあらゆるものに習熟する事が求められるのだ。今は武器の訓練をしているが、もう少ししたら馬術訓練も始まる。この時代騎馬民族以外で馬術を身につけているのは、馬を飼育できる財力を持った上流階級ばかりだ。だが、騎兵は戦争において偵察から突撃まで様々な面で活躍する。戦士としてエリートである神聖隊の兵士にも、この様な能力が求められる。
その様な訳でシシュポスは、この一週間ありとあらゆる武器の訓練に勤しんでいる。
シシュポスと一緒に訓練を受ける者達は、神聖隊の兵士の中でも新米に属する。そのため、武器の扱いには習熟していない者が大半だ。だが、一部には入隊前から武器の訓練をして来た者達もいる。古代ギリシアにおいて重視されていた体育の一環としてや、元市民兵だったり色々事情はある。
中でもデミトリアスはあらゆる分野の武器に習熟している。彼は実戦経験があるらしく、試し切りでも試合でも、抜きんでた実力を示した。また、その他の経験者達も未経験者とは隔絶した技量を身につけており、未経験者達に格の違いを見せつけた。
経験者と未経験者の技量の差は、これを埋めるのは並大抵の事ではない。戦闘訓練を正式に受けてきたと言う事は、過去の才能のある戦士の経験が受け継がれていると言う事なのだ。つまり、才能の無い者であったとしても、限界はあるのだが天才たちの動きに近い事が出来るようになる。これに対して未経験者が自らの才能だけで勝利するのは非常に困難だ。
だが、例外がここで発生した。シシュポスである。
シシュポスはまだ最低限の体力作りが出来たばかりだ。なので、剣をなんとか振れるだけの筋力が身についているだけであって、周囲の筋骨隆々の者達と違い、自由自在に振り回すことはまだ無理である。
それだけ基礎体力の違いがあるにも関わらず、いざ試合をしてみるとなると、それらの豪傑たちを退けて勝利を重ねて行ったのだ。
戦闘に関する直感が異常に敏感である。例え相手がシシュポスよりも鋭く、力強く、素早く剣を繰り出そうと、シシュポスはそれらをかわして剣を喉元に突きつけるのだ。決して素早い剣ではないのだが、相手の隙をついて剣をするりと突き出す。また、間合いの取り方が非常に上手く、相手が攻撃しようとしている時は攻撃しづらく、無理をして剣を振るとシシュポスは自分の有利な間合いに入り込んでしまうのだ。相手からしてみればやりにくい事この上ない。
ついこの前は長距離走の競技会を開催したが、この様な力試しは若者達の闘争心を刺激し、訓練の効果を非常に高める事が出来る。そのため、剣と槍の大会も開かれた。まだ一週間程しか訓練していないので経験者が活躍したのだが、未経験者達も未熟ながら闘争心を発揮して力を競った。
また、試合は一人で参加するが、その戦いぶりは恋人の目にさらされる。彼らは恋人に格好良い所を魅せつけようと力の全てを出し尽くして戦った。
そして、シシュポスはここで恐るべき実力を発揮した。未経験者も経験者も薙ぎ倒して勝ち進み、あれよあれよと言う間に決勝戦まで勝ち進んだ。シシュポスの恐るべき才能の前には、愛の力で限界以上の実力を発揮する神聖隊の兵士達も、皆一様に敗北していった。
そのシシュポスに決勝戦で相対するのは、彼と偽装カップルとなっているデミトリアスであった。最終的にはこのデミトリアスに、体力差や経験の差で敗北してしまったのだが、シシュポスの剣技や槍技は神聖隊の中で知れ渡る事になる。
シシュポスは男性の恋人同士だけで構成されている神聖隊において、偽装カップルでありながら入隊していると言う異端の存在であった。そのため、彼は周囲に良く思われていなかった。先日のデルポイの神殿への長距離走のでの優勝でそれはある程度改善されていたが、まだ悪感情は残っていた。
それが、この剣術や槍術の大会での活躍で、流れが完全に変わった。周囲の者達はシシュポスの事を愛を偽る排除すべき異物から、戦場で頼りになる仲間と認識を改めたのだ。
また、単にシシュポスが力を示したからだけでなく、この結果がデミトリアスの導きによるものを評価している。
古代ギリシアにおいて男性同士の愛は普通の事であるが、これは経験豊富な男が未熟な少年を教え導くという形が多い。つまり、一人前の兵士として完成された実力を持つデミトリアスが、才能こそあったが未熟極まりなかったシシュポスを一人前の兵士に導いた事は、古代ギリシア人にとっては愛の形として理解し易い事だったのだ。
なので、シシュポスはデミトリアスの事を愛の対象として自覚はしていないのだが、周囲の者達は典型的な同性愛の完成形として見る事が出来たのだ。となれば、偽装カップルではなく神聖隊の仲間である。
戦闘訓練の面でも、周囲との関係の面でも、流れはシシュポスにとって良い方向に向かっている。
この時はそう考えていた。




