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第16話「服を着てトレーニング」

 いつもなら悪夢を見た翌日は、気持ちがどん底まで沈むので活動をするのがとてもつらい。しかし、この日は悪夢を見ても特にその様な気分にはならなかった。


 家族を失い、村が全員虐殺され、自らもすんでの所で命を失うところだった過去を繰り返し見てしまうのだ。気持ちが沈むのも当然だろう。


 だが、この日は気持ちが沈むよりも、その様な惨劇を引き起こしたスパルタへの復讐心や、その時自分を救い出してくれたテーバイの兵への憧れが湧き出てくる。


 この様な心境は、戦闘訓練をするには丁度良い。


 何故、この様な心持ちでいられるのかは全くもって分からない。ただ、昨晩悪夢にうなされた時に、シシュポスの事を心配して朝まで添い寝してくれたデミトリアスにはとても感謝している。


 そういえば、あの日シシュポスの事を助けてくれたテーバイ兵の事は、シシュポスは何も知らない。助けてくれた後すぐにシシュポスは気絶してしまったし、目が覚めた時はすでにその兵士はいなかった。


 シシュポスが神聖隊に入る事を志したのも、その兵士の様に人々を守れる存在になりたかったであるので、またどこかで出会いたいし、その時の礼を言いたいと思っている。シシュポスは神聖隊で立派な兵士になれば、どこかでその兵士と再開できると信じている。


 まあ、立派な兵士になるために入った神聖隊が、全員同性愛のカップルだけで構成されているなど、最初は知らなかったので、今の境遇にはとても驚いているのだが。


 そして、同性愛の嗜好が無いシシュポスの偽装の恋人になってくれたデミトリアスには、とても感謝している。彼がいなければ神聖隊に入る事すら出来なかった。それに、今までまともに体を鍛えいなかったシシュポスは、トレーニングに深い知識のあるデミトリアスの助けがなければ、とても短期間で立派な身体能力を身につける事は出来なかっただろう。


 偽装カップルな上に貧相な体しか持っていなかったシシュポスは、周囲の神聖隊の兵士達から良く思われていなかった。だが、デミトリアスの指導に従ってトレーニングに励んだ結果、テーバイからデルポイの神殿までの約470スタディオン(90km)に渡る長距離走の競技会でトップでゴールする事が出来た。これにより、周囲の評価が格段に向上した。


 手のひら返しなどとは思わない。戦場で命をかける兵士にとって、信頼できない出自や能力の者など邪魔としか思えないのは当然の事だ。そして、能力を示せば素直にそれを認めてくれる。何故なら、命をかけるからこそ頼りになる能力を持った者は、仲間として喉から手が出る程欲しいのだ。


 精鋭揃いの神聖隊の兵士達に勝るだけの能力を開発できたのは、ひとえにデミトリアスのおかげである。


 トレーニング後に体を洗われたり、マッサージを受けたりして身体能力以外の別のナニかが開発されたような気もするが、それは気にしない事にしておく。


 別にどこかの穴が拡張された訳でもないですしね。


 それはともかく、この日も朝食を終えたシシュポスは、訓練場に向かった。そこにはすでに同僚の訓練兵達が何組か到着し、それぞれ談笑していた。


 これはいつもの光景だが、一部違う点がある。


 服を着ているのである。


 通常古代ギリシアの常識に従い、トレーニングの際は全裸になる。それが今日は初めて服を着用しているのだ。


 食堂に服を着て来るように指示する掲示板があったので、シシュポスも同じ様に服を着ている。


 何故、全裸ではなく服を着ているのか。


 それはこの日の訓練内容に理由がある。


「お、集まってるな。じゃあ、使い方を教えるから、一人一本持って行け」


 訓練場に現れたデミトリアスは、待機している兵達の状態を確認してそう言った。彼は、何か棒状の物が入った台車を引いて来た。デミトリアスは、シシュポスと偽装カップルとして神聖隊に入隊する前は、神聖隊でトレーニングのコーチをしていた。神聖隊の兵士ではないが、神聖隊の訓練に関わっていたため、この様に訓練の準備を手伝う事がある。


 シシュポスはデミトリアスの方に近づき、彼が持って来た物を確かめた。それは、腕の長さ程度の剣であった。シシュポスはこれを見て喜びを露わにした。ついに本格的な戦闘訓練に入ったのだ。


「嬉しそうだな」


 シシュポスの表情を見たデミトリアスが、シシュポスと同様嬉しそうな表情で尋ねる。昨晩、悪夢にうなされていたのが後を引いていない様なので、その事を喜んでいるのだ。まあ、シシュポスは剣を扱える喜びでデミトリアスの様子など気付いていないが。


「ああ、やっと戦い方を訓練できるんだからね。それはそうだよ」


「で、何で服を着て訓練するのか分かったか?」


「え~と、何でだろう」


 シシュポスの返答を聞いて、デミトリアスは手刀で下半身の方を切る動作をした。


「あ~」


「使いもしない内にちょん切られたくないだろ?」


 訓練で使う剣は、刃が付いていないとは言っても金属製だ。人体を切り裂く能力は十分に有している。それが、体の柔らかい部分なら尚更だ。


 そして、男性が全裸の場合、下半身にはぶら下がっているモノがあり、剣術の訓練でこれは非常に危ない。形状や大きさは人それぞれだが、前方に少し飛び出ているため、傷つけられてしまうリスクが高いのである。


 更に、非常にデリケートな部分なので、剣が少しかすっただけで男は一様に悶絶するし、その部位は使用不能・再起不能に陥ってしまう恐れがある。筋肉と違って鍛えようがないのだ。


 筋肉が無くてもその部分の特性を活かして固くすればいいじゃんと、奇想天外な発想をした読者の諸姉諸兄がいらっしゃるかもしれませんが、固くした場合更に前方に長く突き出てしまうので、危険性は増大してしまう。


 そもそも剣に対抗できるほど固くできる男は、そうはいないだろう。


 馬鹿話はともかく、剣を手に取った神聖隊の兵士達は、皆目を輝かせている。彼らは皆シシュポスよりは先に入隊したのだが、基礎トレーニングばかりで武器を手にするのは初めてだ。男はどうしても武器などに心を惹かれる性質がある。


 剣が行き渡ると準備運動を実施し、剣の訓練が始まった。

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