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第15話「燃える村」

 辺りを喧騒が支配していた。


 村人の悲鳴、馬のいななき、燃え落ちる家、兵士の雄叫び、剣戟の響き。


 昼まで平和だった集落が、戦いの狂気に包まれている。


 まだ少年であるシシュポスは、商人の父に連れられてこの村に立ち寄り、一晩の宿を借りていただけであった。運悪くその一晩に、この集落に敵対する勢力の襲撃があったのである。


 攻めて来たのはスパルタ軍の一団だと、父や集落の大人達は言っていた。近々この地域の周辺でスパルタ軍と、それに反抗するテーバイ軍の戦いが起きると予想されているため、テーバイ派のこの集落を略奪がてら滅ぼしにきたのだろう。


 この地域一帯は、最近までスパルタの傘下に組み込まれていたのに、テーバイに同調して分離したために、周辺のポリスや集落への見せしめも兼ねている可能性もある。


 だが、まだ少年のシシュポスにとって重要なのは、何故この様な事になったのかではなく、これからどうなってしまうのかだ。


 たまたま集落に宿営していたテーバイ軍の一団は、集落を守るために勇敢に戦った。しかし兵力差があまりにもあり過ぎたため、衆寡敵せず次々と命を落としていった。当初はあちこちで聞こえていた戦いの音も、しばらくすると聞こえなくなってしまった。


 また、応援を呼びに伝令を出したらしいが、それが間に合うとは思えない。抵抗する戦力がいなくなったスパルタ兵達は、集落のあちこちに火をかけ、飛び出して来た住民を切り殺していった。


 侵略が目的ならば、虐殺は占領後の利益を損ねるので普通は適当に切り上げるものだ。


 しかし、今回の虐殺は見せしめの意味が強い。スパルタ兵達は老人、女子供に至るまで、丹念に殺していった。集落の一角にある民家に隠れているシシュポスにも、その悲鳴が絶える事なく聞こえて来る。


 シシュポスの父は既に殺されている。スパルタ兵が民家に侵入する前に、シシュポスを大きな水瓶の中に隠した後、スパルタ兵の注意を引きつけるように外に飛び出し、惨殺されたのだ。


 この時シシュポスは何も出来なかった。


 そして、どれだけの時間が経過したのか分からないが、辺りに静けさが戻ってきた。集落の住民を殺し尽くしたらしく、何事か話し合うスパルタ兵の声しかしなくなった。


 その時それは起きた。


 シシュポスの隠れる民家に、スパルタ兵が侵入して来たのだ。その音に、水瓶の中に隠れるシシュポスは恐怖に身を縮こませた。


「殺しまくったせいで喉が渇いたな。水だ水」


「お、そこにあるぞ」


 スパルタ兵の声に、シシュポスは恐怖に震えた。彼らは水を求めて、シシュポスが身を潜める水瓶にやって来るだろう。そして、シシュポスを見つけ……その後は考えたくもない。


「おい、ちょっと待て。その水瓶の周り、やけに水で濡れていないか?」


「ん? 水を汲んだ時、こぼれたんじゃないか?」


「いや、量が多すぎる。まるで何かを隠すために水を抜いたような……」


 隠れている事に感づかれたと悟ったシシュポスは、人生の終わりが近づいている事に絶望した。心臓は口から飛び出んばかりに高鳴り、その音で隠れているのに気付かれそうだ。


 そして、父が殺されていると言うのに、その仇を討つとか、虐殺された集落の無念を晴らすために一矢報いるとか、男らしく勇敢であろうとかの考えは一切浮かばなかった。


 水瓶の中のシシュポスは、ただ恐怖に震え、絶望し、少しでも命を永らえるのを祈るばかりである。恐怖のあまり失禁している事にすら気がつかない。


「じゃあ、蓋を開けてみるぞ。せーの……ギャア!」


「なんだお前は! グフッ」


 水瓶の蓋を開けた直後、スパルタ兵の二人は断末魔の悲鳴を発して息絶えた。


 何事が起きたのかと混乱するシシュポスの視界に、一人の兵士の姿が入ってくる。


 その兵士はスパルタ兵ではなかった。立派な兜や鎧を身につけているが、この様式はスパルタではなくテーバイ軍のものだ。


「大丈夫か? 今までよく頑張ったな。遅くなって……すまない!」


 テーバイの兵士は、シシュポスを水瓶から引き出すと、まだ震えるシシュポスを慰める様に抱き締めた。


 その抱擁は力強く、そして優しく、恐怖を払い除けていった。


 暗い水瓶の中から出たばかりなので、兵士の顔はぼやけてハッキリと見えない。そして、緊張から解放されたシシュポスは、兵士の腕の中で意識を失った。




「おい、大丈夫か? しっかりしろシシュポス」


 自分を呼ぶ声に目を開けると、シシュポスの目の前には心配そうな顔のデミトリアスがいた。


 頭を何度か振ると、混乱した頭の中が整理されてくる。


 ここは、テーバイに位置する神聖隊の兵舎で、シシュポスとデミトリアスの部屋である。


「随分とうなされていた様だが、どうしたんだ?」


 シシュポスとデミトリアスは別のベッドで寝ているのだが、それでもデミトリアスが起きてしまうほどうなされていた様だ。シシュポスの全身は水浴びの直後の様に、汗で濡れている。運動の後の様な爽やかな汗ではなく、なんとも嫌な感じしかしない。


「ああ、悪い夢を見ていた様だね」


「そうか……」


 打倒スパルタについては隠していないシシュポスだが、過去の出来事について誰かに詳しく話した事はない。なので夢の内容に関しては詳しく語らず、デミトリアスも深くは尋ねなかった。


「水でも浴びて、汗を流してくるんだな。そのまま寝たら風邪をひくぞ」


 デミトリアスの勧めに素直に応じ、シシュポスは浴場に行って汗を洗い流した。心の中に溜まった嫌なものが抜け落ちる様で、デミトリアスの勧めに感謝した。


 部屋に戻ると、デミトリアスがベッドのシーツを替えて待っていた。元のシーツはびしょ濡れであり、そのまま寝たら体調を悪化させたかもしれない。デミトリアスの気遣いに感謝した。


「さあ、寝るぞ」


 そう言ったデミトリアスはシシュポスのベッドの上に上がった。


 神聖隊は男同士のカップルだけで構成されている関係上、ベッドは大きめに作られている。なので二人で寝るのには全く支障が無い。


 しかし、シシュポスとデミトリアスは偽装カップルである。そのためこれまでの数週間の間、共に寝泊まりしても同衾した事は一度もない。


 これに対してシシュポスは、「どうして?」とは聞かなかった。シシュポスが落ち着いて眠れる様に、添い寝をしてくれるというデミトリアスの心遣いなのは聞かなくても分かる。


 何も言わずにベッドに上がり、二人で毛布を被った。


 隣に寝ているだけなので、身体を大きく密着している訳ではない。


 だが、すぐ隣に横たわるデミトリアスの逞しい肉体から伝わる温もりが、シシュポスの心を落ち着かせた。


 心理的に安定したシシュポスは、すぐに眠りに落ちた。


 もう、悪夢は見なかった。

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