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第14話「神託」

 自らの胸に倒れ込んできたシシュポスを、デミトリアスは力強く、それでいて優しく受け止めた。


「よく頑張ったな。信じていたぞ」


 シシュポスが限界を遥かに超えて力を尽くしたのは、シシュポスを抱きかかえるデミトリアスには文字通り手に取るように分かった。


 デミトリアスとシシュポスは、現在お互いに一糸纏わぬ姿だ。シシュポスの体が発する熱も、早鐘の様な心臓の鼓動も、荒い息遣いも、全てが肌と肌を通して伝わるのだ。


 この勝利は、デミトリアスの作戦が上手くいった事が大きな要因だが、決してそれだけではない。


 作戦を成功させて勝利の栄冠を勝ち取る為には、限界の限界まで力を尽くさねばならなかった。それは決して楽な事ではない。それをできる能力があり、やれば勝てると頭では理解していたとしても、実際にやってみるのとは天地の開きがあるのだ。


 特に、競技の途中で苦しくなって来た時、デミトリアスの言っている事を信じられなくなった事もあるだろう。それなのによくぞここまで戦ってくれたものだ。


「僕も、デミトリアスの言う通り頑張れば絶対勝てるって信じてたよ。だから、最後まで戦えたんだ」


「そうか、ありがとう!」


 シシュポスの言葉にデミトリアスは感極まったのか、力強く抱き締めた。シシュポスもそれに応え抱き返す。もう体力の限界のために弱々しいものだったが、しっかりとしたものだった。


「おめでとう!」


「よく頑張ったな!」


「お二人さん、幸せにね!」


 抱き締め合う二人に対して、応援に駆けつけた周辺の住民や、デルポイの神殿の神官や巫女が拍手や祝福の言葉が投げかけられた。


 二人は、約470スタディオン(90km)と言う気が遠くなる様な距離を超えて、幾多の苦難を超えてここまで辿り着いた。


 その勝利の喜びを全身で分かち合う二人の姿は、何者にも勝るほど美しい。それを見た群衆は、自然とその美しさを、純粋な心で称えたのである。


 なお、デルポイの神殿の巫女達の中には、鼻血を流して感涙に咽ぶ者もおり、全裸の美しい男達が抱き合う光景を、腐った目で見ている可能性も無きにしも非ずだが、その様な事は深く考えないのが幸せである。


 もしかしたら、腐った視線で見る事は、ある意味純粋と言えるのかもしれませんし。


 そして、周囲からの拍手や祝福の声を受けたシシュポスは、今自分がデミトリアスと抱き合っている事に気がついた。


 全裸で。


 全身全霊の精力を尽くして走って来たため、意識が朦朧としていてこれまで気がついていなかったのだ。


 肌を合わせているので、胸の鼓動や温もりが伝わってくる。


 また、密着しているので顔と顔の距離が近くなり、荒い吐息が顔にかかってくるし、何より下半身にぶら下がっているモノとモノとがぶつかりそうだ。


「うわっ!」


 デミトリアスの事は尊敬に値すると思っているし、その実力を信頼はしているが、シシュポスに同性愛の嗜好は無い。慌てて離れようとする。


 が、もう体力の限界がきているため、その場に倒れてしまいそうになった。


 だが、それをデミトリアスは素早く、そして優しく受け止めた。


 背中と足を抱え込む、いわゆるお姫様抱っこである。


 

「ちょ、ちょっと話してよ!」


「ダメダメ。こうしてないと、危ないぞ。しばらくこうしてるから、リラックスして休んでな」


「でも、みんな見てるし……」


「見せつけてやろうぜ。勝利者の栄光の姿をな」


 そう言う事ではないのだが、シシュポスにはもはやこれ以上喋る気力が無かったので、デミトリアスの腕の中で休む事にした。


 デミトリアスの鍛え上げられた逞しい腕は、しっかりと、そして優しくシシュポスの体を支える。これがシシュポスには心地良かった。


 自分もいつか、デミトリアスの様に屈強な肉体を持ち、優れた戦士にならなくてはとシシュポスは決意した。


 シシュポスの決意をよそに、お姫様抱っこをする全裸の男達を見て、巫女の何人かが鼻血を勢いよく噴出して失神したのであるが、それはどうでも良い話である。


「おい」


 デミトリアスの腕に抱かれたシシュポスに、話しかけてくる者がいた。最後まで一位の座を争ったテセウスである。


「俺は、お前達のことを完全には認めていない。神聖隊は愛し合う男達だけの集団なんだからな。だが……」


「だが?」


「今回の勝負では負けたんだ。お前達の努力は認めるしかないと思う。……頑張ったな」


 それだけ言うと、テセウスはシシュポスとデミトリアスから離れて行った。恋人のクレイトスと一緒に、後続のまだ走っている集団を応援しにいく様だ。


「何だったんだろう?」


「ま、素直じゃないのさ」


「二人とも、いい走りだったぞ」


 テセウスを見送る二人に対して、今回の競技会を企画したディオスドトスが話しかけて来た。


 ディオスドトスはテーバイの有力者であり、市民軍の将軍の一人である。シシュポスは慌ててデミトリアスの腕から降りようとしたが、ディオスドトスはそれを制して続けた。


「今回優勝した二人には、褒美が与えられる。呼び出しがあったら神殿の奥まで個別に来る様に」


「褒美ですか? 今回の競技会は、名誉だけを賭けて戦うと聞いてましたが?」


 デミトリアスは怪訝そうに尋ねた。スポーツの採点であるオリュンピア祭でも、勝者に与えられるのはオリーブで出来た冠と名誉だけだ。その後の立ち回りで財を築けるかもしれないが、それは直接的な褒美ではない。


「それはまあ、サプライズと言うか、お前達の奮闘する姿を見て、デルポイの神官の方々から申し出があったのだよ」


「と言う事は……」


「そうだ。お前たちには神託が下される事になった。名誉な事だ。喜ぶがいい」

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