期限
翌日の午後。
アルバートが部屋へ戻ると、侍女が一通の手紙を持って待っていた。
白い封筒。
封蝋には王家の紋章が押されている。
「王都からです」
アルバートは手紙を受け取った。
「誰から」
「エレオノーラ殿下付きの侍従から、ということになっています」
「なってる」
「はい」
アルバートは封を切る。
便箋は二枚。
書かれているのは、王都の近況だった。
庭園の薔薇が今年は早く咲いたこと。
城下では焼き菓子の店が流行っていること。
国王は変わりなく政務にあたっていること。
王都では朝晩に少し冷える日が増えたこと。
最後には、遠く魔族領へ嫁いだ王女の身体を気遣う言葉まで添えられている。
どこから見ても普通の手紙だった。
アルバートは一度、最後まで読む。それから最初に戻った。
「……」
文章をもう一度追う。
今度は内容ではなく、位置を見る。
行。文字数。句読点。
決められた場所だけを拾う。
一行目。三行目。次は二行飛ばす。不要な文字を捨てる。
残ったものだけを読む。
――任務状況ヲ確認スル。
アルバートは次へ進む。
――次ノ新月ノ夜マデニ実行ヲ確認デキナイ場合、
そこで一度、指が止まった。
そのまま続きを読む。
――第二案ヘ移行スル。
アルバートはしばらく便箋を見た。
もう一度読む。変わらない。
「何かありましたか」
侍女が訊く。
「期限が決まった」
「期限?」
「次の新月」
侍女の表情がわずかに強張る。
アルバートは便箋を畳んだ。
「それまでに実行を確認できなければ、第二案に移る」
「第二案とは」
「知らない」
「……書かれていないのですか」
「うん」
「事前にも?」
「聞いてない」
侍女が黙る。
アルバートは手紙を見る。
第二案。
暗殺が失敗した場合。自分が死んだ場合。連絡が途絶えた場合。
……その後、王国側がどうするのか。
考えたことはあった。ただ、自分の役目ではない。
だから聞かなかった。
必要なら、そのとき指示が来る。
「確認とは、どういう意味でしょう」
侍女が言う。アルバートは少し考えた。
「多分、ヴァルターが死んだと分かればいい」
「王都からでも?」
「流石に魔王が死ねば隠しきれない」
国が動く。軍が動く。城が動く。
王が表に出なくなる。
……それだけで十分だ。
「それまでに、ということですね」
「うん」
アルバートは窓の外を見る。少し欠けはじめた月が、空に浮かんでいた。
「あと何日」
侍女が日付を答える。アルバートは頭の中で数えた。
十数日。魔王を殺すだけなら、十分のはずだ。
「アルバート様」
「何」
「どうされるのですか」
アルバートは侍女を見る。
質問の意味が少し分からなかった。
「殺す」
侍女が黙る。
「そのために来たから」
「ですが」
言葉が止まる。アルバートは待った。
「……いえ」
「そう」
手紙を机に置く。
やることは変わらない。
期限がついただけ、第二案があると分かっただけ。
知らないものは考えようがない。
だから今考える必要はない。そう判断した。
*
夕食の席で、魔王がこちらを見た。
「何かあったか」
アルバートが顔を上げる。
「何で」
「静かだ」
「いつも静かだろ」
「今日は考えている顔をしている」
アルバートは少し考えた。
……隠す必要はない。
魔王は、自分が暗殺者だと知っている。任務が続いていることも知っている。
「王都から手紙が来た」
魔王の手が止まる。
「内容は」
「表向きは季節の挨拶」
「表向きは?」
「暗号が入ってた」
魔王は食器を置いた。
「何と」
「次の新月まで」
「……何が」
「お前を殺す期限」
少しの沈黙の後、魔王がゆっくり息を吐いた。
「随分と気軽に言うな」
「隠しても仕方ないだろ」
「それはそうだが」
魔王はアルバートを見る。
「期限を過ぎれば?」
「第二案に移る」
「第二案?」
「知らない」
ヴァルターの眉が寄る。
「知らない?」
「書いてなかった」
「事前にも聞いていないのか」
「うん」
「失敗した場合の処理を?」
「俺の役目じゃないから」
魔王は少し黙った。
「お前から王都へ連絡は?」
「できない」
「問い合わせも?」
「無理」
「第二案の内容を確認する手段は」
「ない」
魔王が目を閉じる。
「……なるほど」
「何」
「いや」
「言いたいことあるだろ」
「ある」
即答だった。アルバートは待つ。
「お前が失敗した場合に何が起きるのかも知らされていない」
「うん」
「期限だけは決められる」
「うん」
「連絡手段もない」
「そう」
ヴァルターはしばらく黙っていた。
「それでよく平然としていられるな」
「何を気にするんだ」
魔王の表情が少し険しくなる。
「第二案がお前を巻き込むものだったら」
「その時はその時」
「この城を巻き込むものだったら」
アルバートは少し止まった。
「……分からない」
「そうだろうな。知らされていないんだから」
ヴァルターの声は低かった。アルバートは黙る。
ヴァルターは一度息を吐いた。
「お前の国は、本当に」
そこで言葉を止める。
「何」
「今言っても仕方ない」
「そう」
アルバートは食事に戻る。
鹿肉の煮込みだった。
少し前に、好きだと分かったもの。
一口食べる。美味しい。
次の新月までにヴァルターを殺せば、ここで食事をすることはなくなる。
アルバートはもう一口食べた。
紅茶の名前を訊くこともない。
昨日の鍛冶場にも行かない。
あの短剣をもう一度持つこともない。
ヴァルターと戦うこともない。
スプーンが止まる。
「どうした」
「別に」
また食べる。美味しい。
また食べたいと思った。
昨日の短剣も、もう一度持ってみたい。
ヴァルターとも、また戦いたい。
「……」
それと任務は別だった。
「期限はいつだ」
魔王が訊く。
「次の新月の夜まで」
「あと十数日か」
「うん」
魔王はしばらくアルバートを見ていた。
「それでもやるのか」
「やる」
「次の新月までに」
「うん」
迷う理由はなかった。
ヴァルターを殺す、それが任務だ。
「……そうか」
魔王はそれ以上何も言わなかった。
アルバートも食事を続ける。
鹿肉の煮込みは美味しい。また食べたい。
鍛冶場にもまた行きたい。
あの短剣も、もう一度持ちたい。
ヴァルターとも、また戦いたい。
全部、本当だった。
それでも魔王は殺す。
それはそれ。これはこれだった。
必要だから、次の新月までに殺す。




