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勇者と魔王とお前と俺。  作者: 雪空
必要なこと、やりたいこと
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10/23

明日

新月まで、あと十二日。

朝食を終えると、ヴァルターは立ち上がった。


「今日は昼まで執務だ」

「そう」


アルバートは紅茶を飲む。

最近名前を覚えた茶葉だった。

少し渋い。でも嫌いではない。


「お前は?」

「何が」

「今日の予定」


アルバートは少し考えた。


「ない」

「本当に?」

「うん」

「なら好きにしていろ」


ヴァルターはそう言って、扉へ向かう。

アルバートはその背中を見送った。


――あと十二日。

次の新月までに、あれを殺す。


そう考えてから、カップに視線を戻した。


「ヴァルター」


魔王が振り返る。


「何だ」

「今日、戦える?」

「朝からそれか」

「夜でもいい」

「今日は遅くなる」

「明日は?」


ヴァルターが少し考える。


「夕食後なら」

「分かった」

「……随分嬉しそうだな」


アルバートは自分の顔に触れた。


「そう?」

「ああ」

「別に」

「なら今の話は忘れるか」

「駄目」


即答すると、ヴァルターが笑った。


「分かった。明日だ」

「うん」


ヴァルターが部屋を出ていく。

アルバートは紅茶を飲んだ。


明日。その言葉を頭の中で繰り返した。


     *


午前中は一人で過ごした。

本を読む気にはならなかったので、城の中を歩く。

王女として出歩く以上、侍女も一緒だった。

すれ違う者には軽く会釈をする。

必要なら微笑む。


エレオノーラならどうするか。

それはもう、以前ほど考えなくてもできるようになっていた。


廊下を曲がる。少し先に、昨日の工房へ続く道が見えた。

アルバートは足を止めた。


「殿下?」


侍女が声をかける。


「いえ、何も」


そう答えて歩き出す。

また来てもいいかと訊いたとき、行ってもいいとヴァルターは言った。

……必要だからではなく、見たいから。


アルバートは少しだけ工房の方向を見る。


「……」


今日はやめた。一人で行く理由もない。

そう思ったところで、少し引っかかった。


一人でも行けばいい。見たいのは剣だ。

ヴァルターがいなくても剣はある。

なのに。

昨日と同じように行きたいと思うと、隣には自然にヴァルターがいた。


「殿下?」

「何」

「本当に何でもありませんか」

「うん」


歩く。考える必要はない。


     *


昼過ぎ。

アルバートが部屋へ戻ると、机の上に小さな包みが置かれていた。


「これは?」


侍女が答える。


「陛下からです」

「陛下から」

「はい」


包みを開く。中にはベルト付きの短剣が一本入っていた。

昨日、工房で持ったものとよく似ている。

いや。

アルバートは手に取る。

同じではない。少し軽い。柄も僅かに細い。

……今の身体の手に合わせてある。


「……」


鞘から抜く。


刃渡り。重心。握り。

昨日のものより、こちらの方が扱いやすい。


小さな紙が添えられていた。


『予備が必要なのだろう』


それだけ。


アルバートは紙を見る。それから短剣を見る。


「……ずるい」

「何か?」


侍女が訊く。


「いえ、何も」


短剣をもう一度握る。

昨日必要かと訊かれて、必要だと答えた。

でも、好きだとも言った。


ヴァルターは両方覚えていたらしい。


必要だから。それだけなら、同じものを渡せばいい。

これは違う。今の自分の手に合わせてある。


アルバートは短剣を鞘に戻した。

腿につける。少し歩く。


邪魔にならない。

抜く。戻す。

もう一度。


「……いい」


侍女が少し笑った。


「お気に召しましたか」


アルバートは短剣を見る。


「とても」


今度はすぐ答えられた。


     *


夕方。

執務を終えたヴァルターが部屋へ入る。

アルバートは椅子から立ち上がった。


「これ」


アルバートはスカートの裾を持ち上げた。

腿に固定した鞘が見える。ヴァルターが一瞬黙る。

「……届いたか」

「うん。何で形違うの」

「昨日のものは少し大きかっただろう」

「見てた?」

「見ていれば分かる」


アルバートはさらに少し裾を上げ、固定具を見る。


「これも違う」

「分かったから、もう下ろせ」

「何で」

「いいから」


アルバートは首を傾げながら裾を戻した。


見ていれば分かる。どこかで聞いた言葉だった。


「俺も昨日それ言った」

「何を」

「持てば分かるって」

「ああ」


ヴァルターが笑う。


「なら同じだな」

「違うだろ」

「何が」

「俺は剣の話」

「俺も剣の話をしている」


アルバートは短剣を見る。

違う気がする。

でも、うまく説明できない。


「……ありがとう」


ヴァルターが一瞬黙った。


「今何と言った」

「ありがとう」

「いや、聞こえなかったわけではない」

「じゃあ何」

「珍しいと思って」

「そう?」

「ああ」

「貰ったから言っただけ」

「そうか」


ヴァルターはまだ少し笑っている。アルバートは眉を寄せた。


「何」

「何でもない」

「さっきからそれ多くない?」

「お前に言われたくない」


それはそうかもしれない。


     *


夕食の後、二人で城の中を歩く。

特に目的はなかった。

ヴァルターが執務室へ戻る途中で、アルバートがなんとなくついてきただけだ。


「どこまで来るんだ」

「知らない」

「俺の執務室だぞ」

「うん」

「用は?」

「ない」


ヴァルターが足を止める。アルバートも止まった。


「なら何故ついてくる」

「……」


訊かれて初めて考える。

何故。特に用はない。話があるわけでもない。戦う予定は明日。何か見たいものがあるわけでもない。

ただ、ヴァルターが部屋へ戻ると言ったから、一緒に歩いてきた。


「分からない」


正直に答える。

ヴァルターが少し目を細める。


「そうか」

「変?」

「いや」

「なら何」

「何でもない」

「またそれ」

「お前もよく言うだろう」


アルバートは少し考えた。


「じゃあいい」


また歩き始める。ヴァルターも隣を歩く。


しばらくして、ヴァルターが言った。


「短剣」

「何」

「気に入ったか」

「うん」

「そうか」


それだけだった。

何故好きなのかとは訊かなかった。性能の話もしない。

好きだと言えば、それで終わった。


アルバートは少しだけ不思議に思う。

以前なら、自分でも理由を探した。

軽いから。握りやすいから。使いやすいから。

何か理由が必要だと思っていた。


でも今は、好きだから持っている。それでいいらしい。


「ヴァルター」

「何だ」

「明日、忘れるなよ」

「何を」

「戦うの」

「ああ」

「約束したから」


ヴァルターが笑う。


「分かった。忘れない」

「うん」


アルバートは頷く。

明日、戦う。

その次の日は分からない。そのまた次も。

新月まで、あと十二日。


あと十二日もある。そう考えた。


     *


夜。

寝台に入り、アルバートは天井を見る。

腿から外した短剣が、机の上に置いてある。


明日はヴァルターと戦う。

その前に朝食を食べる。多分また紅茶が出る。

昼は何をするだろう。

鍛冶場にも、もう一度行きたい。

短剣を作った職人にも訊きたいことがある。

ヴァルターにも。


まだ知らないことがある。

何が好きなのか。何が嫌いなのか。何故、魔王になったのか。

戦場では知らなかったこと。

必要ではなかったこと。


アルバートは目を閉じた。


明日。また。次。

最近、その言葉をよく考える。

それが何を意味するのかは、まだ分からなかった。

――新月まで、あと十二日だった。

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