対峙
――新月まで、あと十一日。
夕食を終えると、アルバートは立ち上がった。
ヴァルターがこちらを見る。
「行くのか」
「うん」
「随分早いな」
「約束しただろ」
「食後すぐはやめろと言ったのも覚えているか」
「覚えてる」
「なら座れ」
アルバートは少し考えて、座り直した。
「どれくらい」
「せめて少し休め」
「少しって」
「半刻」
「長い」
「お前は俺を殺す前に自分の腹を痛めたいのか」
「別にそれくらいなら動ける」
「動けるかどうかの話ではない」
アルバートは不満だったが、紅茶を飲むことにした。
昨日と同じ茶葉だった。確かラーデンの夏摘みのもの。
「……」
「何だ」
「別に」
ヴァルターは書類を一枚取り出した。食後にも仕事をするらしい。
アルバートはそれを見る。
「まだ仕事あるの」
「ある」
「戦った後も?」
「生きていればな」
「じゃあ早く終わらせた方がいいんじゃない?」
「何故そうなる」
ヴァルターが呆れたように息を吐く。
アルバートは紅茶を飲んだ。
……美味しい。
昨日もそう思った。明日も飲めばそう思うだろう。
そう考えてから、カップを置いた。
自分がヴァルターを殺せば明日はない。
ヴァルターがアルバートに視線を向ける。
「アルバート、どうした?」
「……何でもない」
「そういうことにしておこう」
ヴァルターは書類に視線を戻した。
アルバートも何も言わなかった。
*
少しして、二人は城の奥にある訓練場へ向かった。
前に使った場所だった。夜になれば人はほとんどいない。
ヴァルターが事前に人払いをしていたらしく、周囲どころか、訓練場のある棟にも兵士の姿はなかった。
「誰もいない」
「ああ」
「何で」
ヴァルターがアルバートを見る。
「今日は手合わせではないんだろう」
アルバートは少し黙った。
「うん」
次の新月までという期限があるのであれば、待つ理由はない。
ヴァルターもそれを知っている。
「分かってた?」
「顔を見れば分かる」
「またそれ」
「何が」
「見れば分かる」
ヴァルターが少し笑う。
「便利だろう」
「俺は分からない」
胸元へ手を当てる。
光が走る。
女神アウレリアの紋章から、聖剣が現れる。
身体は違っても手に馴染む。
エレオノーラの身体は、勇者アルバートのものとは重心も、腕の長さも、踏み込みも違う。
けれどもう、この身体で聖剣を扱うことにも慣れていた。
ヴァルターが剣を抜く。
「確認しておく」
「何」
「俺を殺すつもりで来たんだな」
「うん」
「手加減は」
「しない」
「そうか」
魔王が剣を構えた。
「なら来い、勇者」
その呼び方に、アルバートは少しだけ目を細めた。
そして踏み込んだ。
*
最初の一撃を、魔王が受け流す。
金属が鳴る。
アルバートはそのまま身体を沈め、二撃目を横へ振る。
避けられるとは分かっていた。
そこへ三撃目。
ヴァルターの剣が噛み合う。
「速いな」
「今更?」
「今の身体で、だ」
「もう慣れた」
「知っている」
魔力が動く。
アルバートは一歩下がった。
ヴァルターの左手に術式が組まれる。
火。違う。途中で形が変わる。
アルバートは聖剣を振った。
術式の弱い場所へ刃を通す。
崩れる。同時に、もう一つ。
足元。アルバートは跳ぶ。
熱が床を走った。
着地。
踏み込む。ヴァルターの首まで、あと一歩。
防がれる。
「前のときから変えた?」
「同じなら斬るだろう」
「うん」
アルバートは笑った。
それを見て、ヴァルターも少しだけ笑う。
「楽しそうだな」
「楽しい」
剣を返して今度は肩。避けられる。
「殺しに来ているのに?」
「関係ある?」
「お前は本当に」
言葉の途中で、アルバートが懐へ入る。ヴァルターは身体を捻った。
聖剣が衣服を裂く。
浅い。魔王の服に血が少しだけ滲む。
*
相手の癖を読む。術式を見る。動きを覚える。一度通らなかった手を捨てる。
その繰り返しで、相手は少しずつ選択肢を失う。
ヴァルター以外の相手だと、それで終わりだった。
だがヴァルターは違う。
読めば変える。変えたものを読めば、また変える。
三度戦ったときもそうだった。前の手合わせでも。
今日も。
だから楽しい。
アルバートは一度距離を取った。
「次」
「待て」
「何」
「少し休め」
「まだ動ける」
「知っている」
「じゃあ」
「俺が休みたい」
アルバートは黙る。
「……分かった」
「素直だな」
「お前が休みたいって言ったから」
「そうか」
二人とも剣は下ろさない。
距離だけを保ったまま、少し呼吸を整える。
アルバートはヴァルターを見る。
首元に汗がある。
肩の傷は浅い。
さっき切った服の隙間から血が見える。
殺せる。
そのために戦っているのだから、当然の話だ。
「ヴァルター」
「何だ」
「お前が死んだらどうなる?」
ヴァルターが眉を上げる。
「今訊くのか」
「今思ったから」
「国が荒れる」
「それだけ?」
「それだけで済めばいいが」
アルバートは少し考える。
「和平は?」
「崩れる可能性が高い」
「王国側は、それでも殺せって言った」
「ああ」
「ヴァルターが強いからって」
「そうだな」
少し黙る。ヴァルターが訊いた。
「気になるのか」
「何が」
「俺が死んだ後」
アルバートは考える。
任務には関係がある。
魔王を殺した後、魔族側がどう動くかは当然、考えるべきことだ。
「……分からない」
「そうか」
それ以上、ヴァルターは訊かなかった。
「もういい?」
アルバートが剣を上げる。
「休憩は終わりか」
「うん」
「なら来い」
再び、剣がぶつかった。
*
今度はアルバートが先に変えた。
低く入る。ヴァルターが剣を下げる。
そこから身体を捻る。今の身体だからできる。
ヴァルターが一瞬遅れる。聖剣が脇を抜ける。
魔術。近い。
アルバートには見えた。
術式が世界へ繋がる場所。
そこを斬る。魔力が弾ける。
ヴァルターが自分で術式を潰す。
予想通り。
その瞬間に首へ刃を返す。ヴァルターが避ける。
浅く頬を切った。
「……そこまで組んでいたか」
「うん」
「嫌な奴だな」
「知ってる」
ヴァルターならそう言うと思った。それが少し可笑しかった。
次。ヴァルターの剣が来る。受けずに逸らす。
一歩。二歩。
互いの間合いが近くなる。
アルバートはヴァルターの肩を見る。
視線。足。剣先。
次にどこへ動くか。
――分かる。
右。
ヴァルターが動く。
アルバートも同時に動いた。
聖剣が剣を弾く。ヴァルターの手から武器が離れ、床へ落ちた。
音が響く。アルバートは踏み込んだ。
聖剣の切っ先を、ヴァルターの喉へ。
――あと少し、そのまま押し込めばいい。
首を落とす必要もない。十分深く斬れば死ぬ。
心臓でもいい。
……今なら届く。
ヴァルターは動かない。避けられない。
勝った。そう思った。
剣先が皮膚に触れる。
――そのとき、訓練場の扉が激しく叩かれた。
「陛下!」
アルバートの手が止まる。
ヴァルターが眉を寄せた。
「何だ」
扉の向こうから、兵士の声がする。
「至急、お耳に入れたいことが!」
「今でなければならないか」
「はい!」
ヴァルターがアルバートを見る。
聖剣はまだ喉元にある。
「……どうする」
アルバートは少し考える。
殺すなら今だ。ここで一度離れれば、次も同じ形になるとは限らない。
それでも。
「聞けば」
剣を下ろした。
ヴァルターが少し目を細める。
「いいのか」
「必要なんだろ」
「そうらしいな」
アルバートは聖剣を消した。
ヴァルターが扉へ向かう。
「入れ」
扉が開き、兵士が入ってくる。
アルバートは王女としての姿勢を取った。
兵士は一瞬だけ荒れた訓練場を見て、ヴァルターに視線を戻した。
「何があった」
ヴァルターが訊く。
「人間側から使節団が到着しました」
兵士の答えにアルバートが顔を上げる。
「予定は聞いていない」
「先触れもありませんでした。ですが、王国の正式な紋章を確認しています」
ヴァルターの表情が変わる。
「代表は」
兵士が一度、アルバートに視線を向けた。
「勇者アルバート・シュミット様です」
沈黙。アルバートは瞬きをした。
ヴァルターも黙っている。
「迎え入れる用意をする。迎賓室へ案内しろ」
「承知しました」
兵士が去る。
少しして、ヴァルターがアルバートを見る。
「……エレオノーラ王女か」
新月まで、あと十一日。
王女エレオノーラ・フォン・ハイデンベルクが、勇者アルバート・シュミットの姿で、魔王城へやって来た。




