選択
迎賓室の扉が開く。
中にいた男が顔を上げた。
銀に近い白髪。灰青色の目。人間の男としては少し高い背丈。
アルバートは足を止める。
見慣れた顔だった。鏡で見るよりも、もっと長く知っている。
――自分の顔だった。
「……」
向こうもアルバートを見る。
少しの沈黙の後、先に口を開いたのは勇者の姿をしたエレオノーラだった。
「お久しぶりです」
「俺の顔で言われると変」
「私も同じことを思っています」
アルバートは少し考える。
「俺はお前の顔だけど」
「ええ」
「お互い様?」
「そういうことになりますね」
隣でヴァルターが息を吐いた。
「話を始めてもいいか」
「うん」
「失礼しました、陛下」
エレオノーラが立ち上がり、ヴァルターへ頭を下げる。
「突然の訪問となりましたことをお詫びいたします」
「それは後でいい」
ヴァルターはアルバートを見る。
「まず事情を聞きたい」
「私もそのために来ました」
エレオノーラの表情が変わる。アルバートのものではない。
同じ顔なのに、やはり違う。
「第二案について?」
アルバートが言う。エレオノーラが頷いた。
「連絡が来たのですね」
「次の新月までにヴァルターを殺さなかったら、第二案に移るって」
「……やはり」
ヴァルターが目を細める。
「あなたも知っていたのか」
「存在だけは」
「内容は」
エレオノーラは一度黙った。
「確定していません」
「確定していない?」
「はい」
ヴァルターとアルバートが顔を見る。エレオノーラは続けた。
「王国側で、和平そのものに反対している者が動いている可能性があります」
アルバートが首を傾げる。
「第二案って、王国の作戦じゃないの?」
「少なくとも、正式なものではありません」
「じゃあ何」
「分かりません」
「誰がやるの」
「それも」
アルバートは少し黙った。
「何も分からない?」
「確定情報がないという意味ではそうですね」
エレオノーラは苦笑した。
「だから私がここに来ました」
*
三人で席につく。
エレオノーラは持参した書類を机へ広げた。
王国の紋章。軍部の記録。神殿からの通達。いくつかの報告書。
ヴァルターは順に目を通していく。
「和平反対派」
「はい」
エレオノーラが答える。
「軍部、貴族、神殿。そのどこにも、和平を快く思っていない者はいます」
「長年戦った相手だからな」
「ええ」
「珍しい話ではない」
「問題は、珍しくないことで済まなくなったことです」
エレオノーラが一枚の紙を指す。
「ここ数日、王都で不自然な動きがありました」
「不自然?」
アルバートが訊く。
「軍の物資が帳簿と合いません」
「盗まれた?」
「その可能性があります」
別の紙。
「神殿でも、一部の術式道具の所在が確認できていない」
「それも?」
「はい」
さらに一枚。
「そして、魔族領へ向かう商隊の経路について調べていた者がいる」
ヴァルターの表情が険しくなる。
「テロか」
「可能性が高いと考えています」
アルバートが聞く。
「何するの」
「分かりません」
「魔王城を攻撃する?」
「可能性はあります」
アルバートは少し考えた。
「面倒」
「非常に」
エレオノーラが頷く。
「誰が糸を引いているのか、まだ分かっていません」
ヴァルターが書類を置く。
「第二案という言葉は」
「私が聞いたものと同じです」
「なら、この動きと繋がっている可能性がある」
「はい」
「確証は?」
「ありません」
「なるほど」
ヴァルターは椅子にもたれた。
「最悪だな」
「同感です」
アルバートが二人を見る。
「じゃあ第二案は止められない?」
「止めたいのですが」
エレオノーラは少し困ったように笑う。
「誰が止められるのか分からないのです」
「それは困る」
「ええ」
*
少しの間、沈黙が落ちた。
アルバートは机の上の紙を見る。
次の新月まで、あと十一日。
期限は変わっていない。
「じゃあ」
アルバートが言う。
「俺がヴァルターを殺せば?」
ヴァルターがこちらを見る。
エレオノーラはすぐには答えなかった。
「第二案は止まるかもしれません」
「なら」
「ただし」
エレオノーラが遮る。
「それで和平が維持される保証はありません」
「何で」
「魔王陛下が亡くなれば、それ自体が和平を崩す理由になります」
アルバートはヴァルターを見る。
少し前にも本人から聞いた。
国が荒れる。和平も崩れるかもしれない。
「王国はそれでも殺せって言った」
「そうですね」
エレオノーラの声が少し硬くなる。
「私は、その判断自体を見直す必要があると思っています」
「暗殺をやめる?」
「今すぐには」
アルバートは瞬きをした。
「やめない?」
「期限は残します」
ヴァルターが眉を上げる。
「随分と物騒だな」
「承知しています」
「理由は」
「第二案を動かしている者が、第一案の失敗を前提に動いている可能性があるからです」
アルバートが首を傾げる。
「俺が殺さなかったら動く?」
「そう考えるべきです」
「じゃあ殺した方がいい?」
「それもまだ分かりません」
「……面倒」
「先ほども聞きました」
「二回目」
「ええ」
エレオノーラが小さく息を吐く。
「ですから、まず一つ問題を減らします」
「何を」
エレオノーラがアルバートを見る。
「私たちの姿です」
*
アルバートは少し黙った。
「姿?」
「はい」
エレオノーラが自分の――アルバートの姿を指す。
「現在、私は勇者アルバート・シュミットとして王都にいました」
「うん」
「あなたは王女エレオノーラとして、こちらにいる」
「うん」
「この状態は、内部に敵がいないことを前提にしています」
アルバートは少し考える。
「どういうこと」
「私が勇者として狙われた場合」
「勇者だと思われて?」
「それもあります」
エレオノーラは続ける。
「正体を知っている者なら、もっと簡単です」
ヴァルターが先に理解した。
「王女を殺せる」
「はい」
アルバートがエレオノーラを見る。
エレオノーラが死ぬ。勇者アルバートの姿で。
「どうなる?」
「かなり困ります」
「かなり」
ヴァルターが言う。
「王女本人を失い、同時に表向きの勇者も失う」
「はい」
「下手をすれば暗殺計画そのものも露見する」
「その可能性もあります」
アルバートは納得した。
「危ない」
「そういうことです」
エレオノーラが頷く。
「ですから、この偽装を続ける合理性が下がりました」
「戻す?」
アルバートが訊く。
「それを含めて確認に来ました」
「戻せる?」
「術式は預かってきましたが、私だけでは無理です。こちらの魔術師に協力していただく必要があります」
エレオノーラはヴァルターを見た。
「俺、戻れるんだ」
アルバートは静かに言った。
*
ヴァルターは何も言わなかった。
アルバートは自分の手を見る。
細い指。慣れた。
この身体で走れる。戦える。聖剣も使える。
不便はもうほとんどない。
でも、自分の手ではない。
「ただし」
エレオノーラが続けた。
「今すぐ完全に偽装を終える必要はありません」
アルバートが顔を上げる。
「終えない?」
「選択肢があります」
エレオノーラが指を一本立てた。
「一つ目」
「うん」
「変身を解除する。私は王女エレオノーラに戻り、あなたは勇者アルバートに戻る」
「普通」
「そうですね」
もう一本。
「二つ目」
「うん」
「私は王女エレオノーラに戻ります」
「うん」
「あなたには、今の姿のまましばらく私の影武者を続けてもらう」
アルバートは少し考える。
「俺が王女?」
「必要な場面では」
「勇者は?」
「勇者が必要になれば、あなた自身に幻術を使います」
「俺が俺になるために?」
「外見だけなら」
アルバートは眉を寄せた。
「ややこしい」
「私もそう思います」
ヴァルターが横から言う。
「だが理屈は通る」
エレオノーラが頷く。
「王女が二人いるように運用できれば、国内情勢が安定するまで私自身の行動を多少隠せます」
「影武者」
「はい」
「俺が?」
「嫌なら選ぶ必要はありません」
アルバートはエレオノーラを見る。エレオノーラもこちらを見る。
「どちらも、作戦としては成立します」
「どっちがいい?」
エレオノーラが少し笑った。
「アルバート」
エレオノーラが言う。
「あなたは、元の姿に戻りたいですか」
*
一度。似たようなことを聞かれたことがある。
王城で、この作戦を提示されたとき。
――あなたは、それをしたいのですか。
あのとき、自分は何と答えた。
必要なら、するけど。
アルバートは少し考えた。
必要かどうか。どちらでもいい。
影武者を続けることにも意味はある。
元に戻ることにも意味はある。
どちらを選んでも、作戦は続けられる。
……なら、今回は。
「……戻りたい」
声に出してから、自分で少し驚いた。
エレオノーラは何も言わない。アルバートは続ける。
「戻れるなら」
少し間を置く。
「元に戻りたい」
今度は、はっきり言った。エレオノーラが静かに笑う。
「分かりました」
ヴァルターは何も言わなかった。ただ、アルバートを見ていた。
「何」
アルバートが訊く。
「いや」
「言いたいことあるだろ」
「ある」
「何」
ヴァルターは少しだけ笑った。
「戻れるように尽力しよう」
アルバートは瞬きをして、「うん」とだけ答えた。




