帰還
翌朝。
アルバートは見慣れない部屋にいた。
城の中でも、普段使われている区画から少し離れた場所。
床一面に術式が描かれている。
円。文字。幾重にも重なる線。
その中心に、椅子が二つ置かれていた。
「……大がかり」
アルバートが言う。
「秘術ですから」
エレオノーラが答えた。
彼女はまだアルバートの姿をしている。
昨日と同じ。銀に近い白髪。灰青色の目の自分の顔。
「もっと簡単に戻せないの?」
「戻せるなら、最初からそうしています」
「それもそう」
部屋には他にも人がいた。
魔族側の魔術師が数人。
エレオノーラが連れてきた人間側の術師が二人。
……そしてヴァルター。
アルバートが見る。
「お前もいるの」
「俺が呼んだ魔術師がいる」
「ヴァルターは見てるだけ?」
「問題が起きたら対応する」
「何か起きる?」
「起きないことを願っている」
アルバートは少し考えた。
「怖い?」
「俺が?」
「うん」
ヴァルターが眉を寄せる。
「お前は怖くないのか」
「戻れるんだろ」
「予定ではな」
「ならいい」
ヴァルターがため息をついた。
「そういうところだぞ」
「何が」
「何でもない」
*
再施術の確認は長かった。
エレオノーラが持ってきた術式を、魔族側の術師が読み解く。
人間側の術師が説明する。
また止まる。
書き直す。確認する。
アルバートには半分も分からなかった。
「ここ」
魔族の術師が指す。
「身体情報の固定部分です」
「はい」
人間側の術師が頷く。
「変身時には、対象の肉体を王女殿下の身体情報へ合わせています」
「戻す場合は?」
「元の情報を参照して再構築します」
アルバートが訊く。
「俺の元の情報って残ってるの」
「エレオノーラ様の幻影術式を参照します」
「分からない」
「そうでしょうね」
ヴァルターが横から言う。
「お前は分からなくていい」
「何で」
「今から自分の身体を作り直す術式に口を出すな」
「見れば分かるかもしれない」
「分からなくていい」
エレオノーラが少し笑った。
「陛下のおっしゃる通りです」
アルバートは不満だった。
*
問題は、術式そのものよりも、その規模だった。
変身させたときと同じだけの魔力が必要になる。
しかも今回は逆方向。
一度固定された肉体を崩し、元の形へ戻す。
失敗すれば。
「どうなる?」
アルバートが訊く。
術師たちが少し黙った。
人間側の術師が慎重に答える。
「途中で停止した場合、変身が不完全な状態で固定される可能性があります」
「半分戻る?」
「……極端に言えば」
「面白い」
「面白くない」
ヴァルターが即座に言った。
「そう?」
「そうだ」
エレオノーラも頷いた。
「私も嫌です」
「二人とも?」
「当然です」
アルバートは少し考えた。
「じゃあ失敗しないで」
術師たちの顔が引きつった。
ヴァルターが額を押さえた。
「簡単に言うな」
「頑張れば?」
「お前は本当に」
言葉が途中で切れる。
アルバートは首を傾げた。
*
昼を過ぎて、ようやく準備が整った。
アルバートとエレオノーラは、術式の中心に向かい合って座る。
「手を」
エレオノーラが言う。
「何で」
「術式の同期に必要です」
アルバートは手を出した。自分の手ではない手。
向こうから差し出されたのは、自分の手。
触れる。
変な感じがした。
「……」
「どうしました?」
「俺の手」
「そうですね」
エレオノーラが少し笑った。
周囲の魔術師たちが配置につく。ヴァルターは術式の外側に立っている。
アルバートが見る。視線が合った。
「何」
ヴァルターが言う。
「別に」
「そうか」
アルバートは少し考えてから言った。
「戻ったら」
「何だ」
「明日の戦い、どうする?」
部屋の空気が止まった。
エレオノーラがアルバートを見る。術師たちも見る。
ヴァルターだけが少し黙ってから答えた。
「まだそれを考えているのか」
「期限あるし」
「身体を戻す直前にする話か?」
「今思った」
ヴァルターはしばらくアルバートを見た。
「戻ってから考えろ」
「分かった」
「今は戻ることだけ考えろ」
「うん」
*
術式が動く。
最初に感じたのは、熱だった。
胸の奥。皮膚の内側。骨の中。
身体全体に、見えない何かが入り込んでくる。
――アルバートは眉を寄せた。
「痛い?」
エレオノーラが訊く。
「前と同じくらい」
「そうですか」
光が強くなる。視界が白く染まる。
身体の感覚が曖昧になる。
指。腕。肩。脚。
どこまでが自分なのか分からない。
身体が引っ張られる。一度、小さくなるような感覚。
次に、伸びる。
骨が軋む。筋肉が引かれる。呼吸が止まりそうになる。
「……っ、ぐ……」
初めて、声が漏れた。
「アルバート」
今度はヴァルターの声だった。近い。
でも姿は見えない。
「大丈夫か」
「大丈夫」
「痛いか?」
「痛い」
「意識は」
「大丈夫」
「なら喋れ」
「何を」
「何でもいい」
アルバートは少し考える。視界が眩しい。
「紅茶」
「何」
「ラーデン」
ヴァルターが一瞬黙った。
「……覚えていたのか」
「うん」
「そうか」
「少し渋い」
「知っている」
「でも好き」
――また少し沈黙。
「そうか」
ヴァルターの声がした。アルバートは目を閉じた。
*
どれくらい経ったのか分からない。
突然、身体が落ちた。そう感じた。
椅子へ身体の重みが戻る。
呼吸。心臓。指先。
全部が一気に戻ってくる。
「……」
アルバートは目を開けた。
視界が低い。違う。
今までが低かった、今は。
「アルバート?」
声がする。
エレオノーラ。アルバートは顔を上げる。
本来の姿のエレオノーラがそこにいた。
見慣れた金色の髪。自分がしばらく借りていた顔。
アルバートは自分の手を見る。
大きい。指が長い。節がある。
剣を握り慣れた手。
「……」
立ち上がる。
脚が長い。重心が違う。
肩幅。腕。全部。知っている。
身体を捻る。肩を回す。手を握る。開く。
一歩。二歩。
「アルバート」
エレオノーラが呼ぶ。
「戻った」
声も違う。
自分の声だった。
胸元へ手を当てる。
勇者の紋章がある。そこから聖剣を出す。
いつもの重さ。いつもの距離。いつもの身体。
「……あ」
アルバートは剣を一度振った。
空気を切る。止める。
「戻った」
もう一度言った。
*
「まず座れ」
ヴァルターが言った。
「何で」
「今さっき身体を作り直したばかりだからだ」
「動ける」
「知っている」
「なら」
「座れ」
アルバートは少し考えて、座った。
ヴァルターが近づく。
アルバートを上から下まで見る。
「何」
「確認している」
「何を」
「本当に戻ったのか」
「戻った」
「見れば分かる」
「便利だな」
ヴァルターが少し笑う。
それから、アルバートの顔を見る。
長い間、戦場で見ていた顔。
アルバート自身にとっては、ずっと当たり前だった顔。
ヴァルターが静かに言った。
「久しぶりだな」
アルバートは少しだけ目を細めた。
「そう?」
「俺にとっては」
アルバートは自分の手を見る。
それからヴァルターを見る。
「……ただいま?」
ヴァルターが一瞬黙った。エレオノーラも黙った。
「違う?」
アルバートが訊く。ヴァルターが笑った。
「いや。おかえり、アルバート」
「うん」
*
その日の夜。
アルバートは自室の寝台に座っていた。
机の上には、ヴァルターから貰った短剣が置かれている。
手に取る。
以前より、ずっと軽い。
柄も細い。今の手には小さい。
「……」
合わなくなった。
……当然だった。あれはエレオノーラの身体に合わせて作られたものだ。
アルバートはしばらく短剣を見る。使えないわけではない。
でも、前ほど合わない。
アルバートは短剣を鞘へ戻した。捨てる理由はない。
机の上に置く。
明日。また。次。
元の身体に戻っても、その言葉は残っていた。
――次の新月まで、あと十日。
俺こういうの好きなんですってのを示そうとした結果、王女姿の男になり、元の男に戻るのにここまでかかりました




