術式
翌日。
朝食を終えたところで、エレオノーラが部屋へ入ってきた。
「分かりました」
アルバートは紅茶を飲む手を止めた。
「何が?」
「第二案です」
ヴァルターが顔を上げる。
「確定したのか」
「かなり」
エレオノーラは机の上へ書類を置いた。
昨日より少ない。
三枚だけだった。
「王都から追加の報告が届きました」
アルバートが一枚取り、すぐに返した。
「読まないのですか」
「あとで説明して」
「そうすると思いました」
エレオノーラがヴァルターへ向き直る。
「軍から消えた物資と、神殿から所在不明になっていた術式道具の一部が見つかりました」
「どこで」
「国境近くの旧礼拝所です」
ヴァルターが眉を寄せる。
「旧礼拝所」
「戦争中に放棄された場所です。現在は使われていません」
アルバートが訊く。
「誰がいた?」
「誰も」
「逃げた?」
「おそらく」
エレオノーラが二枚目を広げる。
「ただし、術式は残っていました」
「何の?」
「分かりませんでした」
「また?」
「王国側では、です」
アルバートはヴァルターを見る。
ヴァルターもこちらを見た。
「持ってきたの?」
「写しを」
エレオノーラが最後の一枚を差し出した。
紙いっぱいに、細かな線と文字が書かれている。
ヴァルターは黙って読む。
アルバートは紅茶を飲み終えた。
「分かった?」
「少し黙ってろ」
アルバートは黙った。
*
「これは攻撃術式だ」
しばらくして、ヴァルターが言った。
アルバートが顔を上げる。
「何を攻撃するの」
「人ではある」
「誰」
ヴァルターは答えず、紙を指でなぞった。
「対象指定が妙だ」
「妙?」
「通常なら、術式の対象は場所か、存在条件で指定する」
「うん」
「これは違う」
エレオノーラが訊く。
「個人ですか」
「対象は個人だ。だが、そこへ到達するまでの経路にも攻撃性がある」
ヴァルターがさらに紙を見る。
「しかも対象をかなり深く固定している」
アルバートはよく分からなかった。
「名前?」
「名前だけなら簡単に外せる」
「じゃあ何」
「魔力特性」
ヴァルターの声が低くなる。
「一度捕捉されれば、場所を変えても追う」
アルバートが首を傾げる。
「逃げても?」
「追う」
「結界は?」
「程度による」
「魔王城なら?」
「防げる可能性はある。だが」
ヴァルターが紙を見たまま言う。
「これは結界を破ることも前提にしている」
エレオノーラの顔が険しくなる。
「誰を狙っていますか」
ヴァルターはようやく顔を上げた。
「魔王だ」
部屋が静かになった。
アルバートはヴァルターを見る。
「お前?」
「そう見える」
「確定?」
「術式そのものだけなら、まだ」
エレオノーラが別の紙を差し出した。
「では、こちらを」
ヴァルターが読む。
一瞬。
顔つきが変わった。
「何」
アルバートが訊く。
エレオノーラが答えた。
「術式に使われていた触媒の記録です」
「それが?」
「歴代魔王の魔力を記録したものが含まれていました」
ヴァルターが記録を見ながら呟く。
「……魔王を狙っているのか」
アルバートは少し考える。
「じゃあ」
アルバートはもう一度、机の上の術式を見る。
「これ、ヴァルターを殺すためのもの?」
「そう考えるのが自然です」
エレオノーラが答えた。
*
アルバートは椅子にもたれた。
次の新月まで、あと九日。
「第二案は術式」
呟く。エレオノーラが頷く。
「おそらく」
「俺が殺さなかったら」
「この術式を使うでしょう」
「ヴァルターを殺すために」
「はい」
アルバートは黙った。
第一案。
勇者が魔王を殺す。
第二案。
勇者が殺さなければ、別の方法で魔王を殺す。
「変なの」
「何がだ」
ヴァルターが訊く。
「最初からこれ使えばいいのに」
「簡単に使えるならな」
「使えない?」
「条件が多すぎる」
ヴァルターが術式を指す。
「対象の魔力情報。大規模な触媒。神殿式の基盤。そして」
指が止まる。
「起動時期」
「新月?」
「おそらく」
エレオノーラが頷いた。
「神殿の記録でも、新月にしか成立しない術式はいくつかあります」
「じゃあ期限って」
アルバートが言う。
「俺を待ってたんじゃなくて」
ヴァルターが続ける。
「第二案の準備が整うまでの猶予でもあった」
「なるほど」
アルバートは納得した。
それから少し考える。
「嫌だな」
ヴァルターとエレオノーラがこちらを見る。
「何が」
ヴァルターが訊く。
「和平をするのに、魔王城の人を巻き込むの、嫌」
ヴァルターは少し黙った。
アルバートは机の上の術式を見る。
「止める」
「そのつもりだ」
「どうやって」
ヴァルターは紙を持ち上げた。
「まず、本体を探す」
*
術式の手がかりは、思ったより早く見つかった。
翌日、城の地下。普段は入らない場所。
石造りの広い部屋の中央で、巨大な結界核が淡く光っている。
その一部に、黒い線が絡みついていた。
「これ?」
アルバートが訊く。
「一部だ」
ヴァルターが答える。
「外から干渉されている」
「もう始まった?」
「準備段階だろう」
エレオノーラも後から入ってくる。
「新月まではまだあります」
「本起動はな」
ヴァルターが黒い線に手を触れず、近くで見る。
「先に対象との接続を作っている」
アルバートが見る。
「これ、切る?」
「待て」
「切れそう」
「だから待て」
アルバートは手を引っ込めた。ヴァルターが黒い線を追う。
結界核。床。壁。
見えない何かを探すように。
「……なるほど」
「分かった?」
「少し」
「また少し」
「全部分かると思うな」
「ヴァルターなのに」
「俺を何だと思ってる」
アルバートは少し考えた。
「強い魔王」
「雑だな」
エレオノーラが小さく笑った。
*
黒い線は、切っても意味がなかった。
「ここを切れば、この接続は消える」
「じゃあ切る」
「だが別の場所から繋ぎ直される」
「何で」
「本体が残るからだ」
アルバートは考える。
「本体まで行けばいい?」
「場所が分からない」
「辿れない?」
「通常なら難しい」
「通常なら?」
ヴァルターが少し笑った。嫌な笑い方だった。
アルバートは知っている。
戦場で何度も見た、何か思いついた時の顔。
「何するの」
「繋がせる」
アルバートは瞬きをした。エレオノーラが先に言った。
「危険では?」
「危険だ」
「じゃあ駄目じゃん」
アルバートが即座に言う。ヴァルターがこちらを見る。
「説明させろ」
「うん」
ヴァルターが結界核を指す。
「この術式は、俺への接続を完成させる必要がある」
「うん」
「完成すれば、こちらからも辿れる」
「向こうまで?」
「理論上は」
「危ない?」
「接続されるからな。ただし、本起動前なら俺が制御できる可能性が高い」
アルバートは黙った。
「可能性」
「絶対とは言えない」
「本当に制御できる?」
「できるようにする」
「答えになってない」
「これ以上は言えない」
アルバートは黙った。ヴァルターも黙った。
しばらくして。
「……分かった」
アルバートが言う。ヴァルターが少し目を細める。
「じゃあ、やろう」
*
接続を待つことになった。
その日の夜。
結界核に絡む黒い線は、少しずつ増えていた。
一本。
二本。
三本。
ヴァルターはその前に座り、術式を観察している。
アルバートも隣にいた。
「寝ないの」
「お前こそ」
「俺はいい」
「俺もいい」
「魔王だから?」
「関係ない」
アルバートは壁にもたれる。
「明日、戦う予定だった」
「そうだったな」
「できない?」
「これが終わったらな」
「いつ終わる?」
「分からない」
「じゃあまた?」
ヴァルターがこちらを見る。アルバートは少し考えた。
「次?」
「そうなるな」
「そっか」
嫌ではなかった。
また。次。まだ使える。
――その時、結界核が強く光った。
黒い線が、一斉に動く。
ヴァルターが立ち上がる。
「来た」
アルバートも壁から離れた。
「何する?」
「繋げる」
「うん」
「俺が術式をこじ開ける」
「うん」
「構造を展開するから、お前は切れ」
アルバートは聖剣へ手を伸ばす。
胸元の紋章が光る。聖剣が現れる。
アルバートは握った。
「分かった」
黒い線が、ヴァルターへ伸びる。
ヴァルターが手を上げた。
魔力がぶつかる。
術式が軋む。
そして、繋がった。
――次の新月まで、あと八日。




