決着
術式が繋がった。
黒い線が、結界核からヴァルターへ伸びる。
腕。肩。胸元。
ヴァルターが目を細めた。
「見えた」
「本体?」
「ああ」
アルバートは聖剣を構える。
「どこ」
「今開く」
ヴァルターが術式へ手を入れた。
魔力がぶつかる。黒い線が歪む。
幾重にも重なっていた構造が、無理やり引き開けられた。
「右奥に一本」
アルバートは踏み込む。
見える。
一本、本体へ続く線。
聖剣を振るう。切れた。
術式が大きく揺らぐ。別の場所から線が伸びる。
「次」
「上に二本」
切る。
「左から一本」
切る。
ヴァルターが開く。アルバートが斬る。
それだけだった。見えさえすれば、外さない。
接続が消えていく。
最後の一本だけが、ヴァルターの胸元へ深く食い込んでいた。
「これで最後?」
「ああ」
ヴァルターが術式を見る。
「切断した瞬間、残った魔力がこちらへ流れる」
「処理できる?」
「可能だ。衝撃があるから待機していてくれ」
「分かった」
アルバートは聖剣を握り直した。ヴァルターが手を上げる。
「開くぞ」
「うん」
術式が軋んだ。
閉じていた構造が開く。接続の根が露出する。
「今」
アルバートは斬った。音はなかった。
けれど、確かに何かが断たれた感覚。
次の瞬間、膨大な魔力が逆流する。
ヴァルターの身体が揺れた。
アルバートは聖剣を消し、腕を掴む。
「立てる?」
「ああ」
アルバートは手を離した。
「死ななくてよかった」
ヴァルターが一瞬だけ黙った。
「……そうか」
「うん」
*
第二案は止まった。
少なくとも、魔王城へ伸びていた術式は。
「本体は?」
アルバートが訊く。ヴァルターは消えかけた術式を見ていた。
「まだ残っている」
「じゃあまた来る?」
「しばらくは来れないようにする」
ヴァルターが床へ手を触れる。僅かに残った魔力が揺れた。
「あと、これが最大の収穫だ」
「何」
「本体の場所が術式越しに確認できた。王国側の情報と照らし合わせれば、所在が確定できる」
エレオノーラが顔を上げる。
「場所が?」
「ああ」
ヴァルターは目を閉じる。
「王都の地下だ。かなり深い」
エレオノーラの表情が変わった。
「場所までは」
「情報を渡す。絞り込みは頼む」
エレオノーラが魔術師に指示を送った。
「紙を」
魔術師の一人が地図を持ってくる。
王都。城。神殿。軍施設。地下水路。
ヴァルターの情報を地図と照らし合わせると、場所が浮かび上がってきた。
「旧神殿区画……」
エレオノーラが呟く。
「知ってる?」
アルバートが訊く。
「現在はほとんど使われていません。地下には、古い礼拝施設が残っているはずです」
ヴァルターが頷く。
「恐らくそこだろう」
エレオノーラはすぐに立ち上がった。
「連絡を」
「誰に?」
「近衛です」
アルバートが尋ねた。
「信用できる?」
エレオノーラは一瞬だけ黙る。
「全員は」
「じゃあ」
「だから、私個人の指揮下にある者だけを動かします」
アルバートが首を傾げる。
「少ない?」
「十分です」
エレオノーラは紙を取った。
「軍と神殿へは知らせません。内部に誰がいるか分かりませんから」
「うん」
アルバートは頷いた。エレオノーラが部屋を出ていく。
扉の前で、一度振り返った。
「陛下」
「何だ」
「術式の残滓を保存しておいていただけますか」
「証拠か」
「はい」
ヴァルターは笑った。
「任せろ」
「ありがとうございます」
エレオノーラは頭を下げた。
そして。
「アルバート」
「何」
「あなたはここにいてください」
「何で」
「王都は私と近衛で対処します」
「できる?」
「やります」
エレオノーラは出ていった。
*
結果が届いたのは、その日の夕方だった。
アルバートとヴァルターは執務室にいた。
「捕まったって」
アルバートが手紙を読む。
旧神殿区画の地下礼拝所に術式の本体あり。
神殿の術師を四人、軍関係者が三人、貴族家の使用人が二人捕縛。
一部逃走。押収物多数。
手紙の最後。
術式本体は確保しました。
同系統の術式を再構築するための触媒も押収しています。
第二案については、少なくとも再実行には年単位の準備が必要です。
関係者の追及はこちらで行います。
アルバートは読み終える。
「終わった?」
「今回の件はな」
「黒幕はまだ捕まってない」
「そうだな」
ヴァルターは少し考える。
「ただ、戦争を再開させる計画は止まった」
「うん」
「第二案も使えない」
「うん」
「関係者の捜査も始まった」
「うん」
「十分だ」
アルバートは納得した。
全部捕まるまで待っていたら、いつまで経っても終わらない。
アルバートは手紙を机に置いた。
「じゃあ和平は続く?」
「続ける」
ヴァルターが答える。
「王国も?」
「エレオノーラ王女が戻れば、少なくとも和平派は動くだろう」
「そっか」
少し考える。
「よかった」
*
エレオノーラが魔王城を発つのは、翌朝になった。
玄関広間。
人間側の一行が出発の準備をしている。
今度は、エレオノーラが王女としての姿で立っている。
アルバートも、本来の姿でその向かいに立っている。
少し変な感じがした。
エレオノーラが言う。
「私は一度王都に戻ります」
「うん」
「あなたはどうしますか?」
アルバートは首を傾げた。
魔王を殺すために来た。
その任務は、まだ正式には取り消されていない。
けれど。
「城にいる」
エレオノーラは何も言わなかった。
「理由を聞いても?」
アルバートは考える。
必要だから。違う。
任務だから。違う。
「いたいから」
言ってから、自分で少しだけ驚いた。
でも、訂正する必要はなかった。
エレオノーラが微笑む。
「分かりました」
「いいの?」
「私が決めることではありません」
アルバートはその言葉を聞く。
少し前にも、似たようなことを言われた。
「そっか」
「ええ」
エレオノーラはヴァルターを見る。
「陛下」
「何だ」
「アルバートをよろしくお願いいたします」
ヴァルターが小さく笑った。
「分かった」
アルバートにはよく分からなかった。
*
その日の夜。
アルバートはヴァルターの部屋にいた。
「何でいる」
「来たかったから」
ヴァルターが黙った。
「何」
「いや」
「またそれ」
「お前がそう言うとは思わなかった」
「来たかったから来た」
「分かった」
ヴァルターは机の上の書類を閉じる。
少しの沈黙。
アルバートは椅子に座る。
「ヴァルター」
「何だ」
「第二案、終わったね」
「ああ」
「和平も続ける」
「ああ」
「じゃあ」
アルバートは考えた。
一つ、残っている。
「俺の任務」
ヴァルターがこちらを見る。
「そうだな」
「まだ命令は消えてない」
「ああ」
「お前を殺せって」
静かになる。
ヴァルターは何も言わない。
アルバートは考える。
魔王は強い。強すぎる。王国にとって脅威になる。
――だから殺せと言われた。
必要なら、する。そのつもりだった。
でも。
ヴァルターが死ねば、魔族の国は荒れる。
和平も崩れるかもしれない。
実際、それを望んだ人間たちがいた。
なら。
「殺す必要はないと思う」
アルバートが言う。
「今は」
ヴァルターが少し目を細める。
「そうか」
「うん」
アルバートは黙った。
必要がない。だから殺さない。
それで終わる。
いつもなら。
少し前。
術式を切った時。
ヴァルターが生きているのを確認して、自分は言った。
――死ななくてよかった。
「ヴァルター」
「何だ」
「俺」
「うん」
「お前が死ななくてよかった」
ヴァルターは黙っている。
「本当にそう思った」
「ああ」
「あと、お前が死ぬの嫌だ」
アルバートは考える。
紅茶。鹿肉の煮込み。鍛冶場。短剣。戦うこと。
明日。また。次。
全部、ヴァルターがいた。
ヴァルターの目が少し細くなる。アルバートは続けた。
「だから、殺したくない」
静かになった。
ヴァルターがゆっくり息を吐く。
「そうか」
「うん」
「なら、殺さなくていい」
アルバートは瞬きをする。
「いいの?」
「俺に聞くな」
「何で」
「お前が決めたんだろ」
アルバートは黙った。
必要か。必要ではないか。
それだけではない。自分がどうしたいか。
「うん」
*
翌朝。
アルバートはいつもの席に座っていた。
紅茶が置かれる。ラーデンの夏摘み。
一口飲む。
少し渋い。でも、好きだった。
「今日どうする」
アルバートが訊く。ヴァルターが顔を上げる。
「何が」
「戦う?」
「まだやるのか」
「殺さないけど、戦うのは好き」
ヴァルターが少し笑った。
「便利だな」
「何が?」
「お前の中の分類だ」
「そう?」
「ああ」
アルバートは少し考えた。
「じゃあ戦わない?」
「誰がそんなことを言った」
「じゃあ今日?」
「今日は仕事がある」
「明日?」
ヴァルターが笑う。
「ああ。明日だ」
「うん」
明日。また。次。
アルバートはもう、その言葉を不思議には思わなかった。
必要だからではない。
そうしたいから。それでよかった。
――次の新月まで、あと七日。
もう、それは期限ではなかった。
第一部完 ってこれでいいんですか?




