応酬
夕食からしばらく経った頃。
アルバートは城の奥にある演習場へ来ていた。
昼間、兵士たちが使う訓練場とは違う。
近衛兵が少人数で使うための場所らしく、それほど広くはない。
今は誰もいなかった。
「本当にやるのか」
正確には、向かいに立つヴァルターだけがいる。
「やるって言っただろ」
アルバートは答えた。
王女として着ている服ではない。動きやすい衣服を用意してもらった。
身体そのものはエレオノーラのままだが、長い裾も装飾もない。
「俺は正面から来いとは言ったが、今日来いとは言っていない」
「予定ある?」
「ない」
「じゃあいいだろ」
「お前は本当に……」
ヴァルターは何か言いかけ、諦めたように息を吐いた。
腰の剣を抜く。
アルバートも胸元へ手を当てた。女神アウレリアの紋章が淡く光る。
次の瞬間、光の中から聖剣が現れた。
ヴァルターが目を細める。
「久しぶりに見るな」
「昨日見ただろ」
「印だけだ」
「そうだった」
アルバートは聖剣を握る。
重さ。柄の太さ。刃の長さ。聖剣そのものは変わらない。
違うのは扱う身体だけだ。
腕の長さ。歩幅。重心。筋力。関節の可動域。
――その程度なら、もう把握している。
「始めるぞ」
「ああ」
一瞬。静かになる。
次の瞬間、アルバートが踏み込んだ。
ヴァルターの剣が上がる。
聖剣とぶつかる硬い音。
押し込まない。
今の身体では、真正面から力をぶつける意味がない。
刃を滑らせる。
ヴァルターの剣が僅かに外へ流れる。
その隙間へ身体を落とした。
低く。以前より深く。
腰を捻る。
聖剣がヴァルターの脇腹へ走る。
ヴァルターが退く。刃先が服を掠めた。
「……動きが違うな」
「身体が違うから」
「鈍ってはいないな」
「鈍る理由ある?」
ヴァルターの眉が僅かに上がる。
今度はヴァルターが踏み込んだ。
右から斬撃。
アルバートは避ける。
二撃目。上半身を大きく反らす。
剣が目の前を通り過ぎる。
以前の身体なら、この角度では避けない。
今は違う。腰がよく回る。背も反る。なら使う。
そのまま足の位置を変えずに身体を捻り、返す聖剣をヴァルターの肩へ向ける。
ヴァルターが受けた。
金属音。
距離が離れる。
「今の動き」
「何」
「昔はしなかったな」
「できなかったから」
「……できなかった?」
「今の身体の方が柔らかい」
ヴァルターが一瞬黙る。
「それをもう戦い方に組み込んだのか」
「入れない理由ある?」
「いつ確認した」
「王都にいた時」
「身体が変わって、どれくらいで」
「その日から」
ヴァルターの眉間に皺が寄る。
「何をした」
アルバートは少し考えた。
「走った」
「ああ」
「跳んだ」
「ああ」
「転んだ」
「……何?」
「受け身の確認」
「わざとか」
「当然だろ」
「当然ではない」
アルバートは首を傾げた。
「関節も一通り確認した。どこまで曲がるか、どこから痛むか、どの程度なら無理が利くか」
「限界まで試したのか」
「ああ」
「何故」
「知らない身体で戦う方が危ないだろ」
ヴァルターは額へ手を当てた。
「お前、自分の身体でも同じことをしたのか」
「昔から使ってるから、もっと分かる」
「そういう意味ではない」
「じゃあ何」
「もういい」
アルバートにはよく分からなかった。
――身体の性能を知らなければ、戦えない。それだけだ。
「前より筋力は落ちた」
「だろうな」
「歩幅も短い。腕も短い」
「ああ」
「でも重心は低い。柔軟性は上がった。体重も軽い」
アルバートは剣を構える。
「なら前と同じ戦い方をする必要はない」
ヴァルターがしばらくアルバートを見た。
それから剣を構え直した。
「なるほど」
「何」
「お前らしいと思っただけだ」
次の瞬間、ヴァルターが踏み込んだ。
*
剣が来る。
アルバートは見る。
肩。肘。手首。腰。足。
ヴァルターの癖は知っている。三度戦った。
だが、知っているからといって、同じ手が来るとは限らない。
ヴァルターの左手に魔力が集まった。
術式。剣と同時。
アルバートは見る。
構造。流れ。負荷。脆い場所。
聖剣を振る。
その瞬間、術式の構造がずれた。
「……またそれ」
アルバートが言う。
「お前が斬るからだ」
ヴァルターが答える。
構成途中の術式へ自ら干渉し、組み替えた。
弱点が移る。
普通ならしない。そもそも、普通はできない。
アルバートは剣の軌道を変える。
新しい脆弱点。斬る。術式が弾けた。
ヴァルターの剣がその隙を狙って来る。
受ける。流す。
離れる。
「相変わらず気持ち悪いな」
ヴァルターが言う。
「何が」
「魔術を剣で壊すところが」
「壊せるから」
「普通は打ち消す」
「魔術使えないし」
「だから剣で斬るという発想になるのがおかしい」
アルバートは首を傾げた。
壊せるなら壊せばいい。
それだけだった。
ヴァルターの左手に再び魔力が集まる。
今度は違う。
さっきと似ているが、構造が最初からずれている。
アルバートは見る。
一瞬。脆弱点。
踏み込む。
ヴァルターの剣が来る。
避ける。
術式が発現する。
熱。
アルバートは聖剣を振った。
崩れる。
だが、完全には消えない。
残った魔力が別方向へ流れた。
「……二段目」
「正解」
ヴァルターが笑う。
アルバートは身体を沈める。
熱が頭上を通る。
そのまま懐へ入る。
この距離なら、術式そのものではなく術者と世界の接点が見える。
魔術が現実へ現れるその境目。聖剣を振る。
ヴァルターが即座に術式を崩した。
発現前に自分で捨てる。
アルバートの剣が空を切る。
そのまま首へ。
ヴァルターが仰け反る。
刃先が喉元を掠める。
距離が離れた。
しばらく、二人とも動かなかった。
「……今」
ヴァルターが言う。
「術式を狙ったな」
「ああ」
「首を斬れた距離で?」
「どっちでもよかった」
「どっちでもよくはない」
「止めた方が次につながるかと思って」
「その判断を一瞬でするな」
アルバートは少し考える。
「するだろ」
「しない」
「そう?」
「そうだ」
ヴァルターは深く息を吐いた。
だが、笑っていた。
*
再び剣を交える。
ヴァルターはアルバートの癖を知っている。
だから利用する。
以前なら、右へ誘えばアルバートはそこで一歩踏み込んだ。
ヴァルターの剣が先に動いた。
待っていた軌道。
アルバートは見た。
読まれている。
なら、踏み込まない。
身体を沈める。今の身体だから取れる角度。
剣の下へ潜る。
足を払う。
ヴァルターが跳ぶ。
そこへ聖剣を返す。
空中でヴァルターが身体を捻る。
着地。距離を取る。
沈黙。
「……今の」
「何」
「前のお前なら踏み込んだ」
「ああ」
「読んでいたんだが」
「分かったから変えた」
「いつ」
「今」
ヴァルターが黙る。
「今?」
「ああ」
「今の一回で?」
「お前、俺が前と同じ動きをすると思って待ってただろ」
「……」
「だからやめた」
ヴァルターが小さく息を吐いた。そして笑った。
「それだ」
「何が」
「それが嫌だった」
「嫌?」
「戦場でもそうだった。一度見せた手が、次には通じない」
「通じたら困るだろ」
「普通はもう少し時間がかかる」
アルバートにはよく分からなかった。
見る。覚える。次に備える。対処する。通じなければ変える。
それだけだ。
だが、ヴァルターも同じだった。
アルバートに見切られた術式を、そのまま二度使わない。
脆弱点を移す。発現のタイミングをずらす。剣を混ぜる。二段目を仕込む。
読まれたら、変える。
アルバートはふと気づく。
「お前も同じだろ」
「何が」
「一回見切った術、そのまま使わない」
ヴァルターが笑った。
「使ったら斬るだろう」
「ああ」
「だから変える」
「それなら同じじゃないか」
「一緒にするな」
「何で」
「俺はお前ほど早くない」
アルバートは少し眉を寄せた。
そうだろうか。
少なくとも今まで戦った相手の中でヴァルターほど長く、アルバートの見切りについてきた相手はいなかった。
――同じ技を潰せば、違う技が来る。
――違う技を見切れば、組み合わせを変える。
――それも見れば、さらに変える。
終わらない。それが、
「楽しい」
アルバートは言った。
ヴァルターが止まった。
「……何?」
「楽しい」
「何が」
「お前と戦うの」
今度はアルバートが少し考える。
大抵の相手は見れば終わる。二度目には対処できる。
そこから先は、ただ同じことを繰り返すだけになる。
ヴァルターは違う。
見た後に変わる。その変化をまた見る。
それが、
「嫌いじゃない」
ヴァルターが少しだけ目を見開いた。
それから、笑った。
「それは光栄だな」
「殺す相手だけど」
「ああ」
「関係ある?」
「お前にはないんだろうな」
「ない」
即答すると、ヴァルターはまた笑った。
*
しばらくして、ヴァルターが剣を下ろした。
「今日はここまでだ」
「まだ決着ついてない」
「つける気か?」
「そのためにやってる」
「本気で決着をつけたら、どちらか死ぬ」
「ああ」
「今日は死ぬ予定はない」
アルバートは眉を寄せる。
「予定?」
「仕事が残っている」
「明日なら?」
「そういう問題ではない」
「じゃあいつ」
ヴァルターが黙る。
「……お前」
「何」
「本当に俺を殺す気はあるんだな」
「ああ」
「これだけ楽しそうに剣を振っておいて?」
「関係ある?」
今度はヴァルターが黙った。
アルバートには分からない。
楽しいことと。殺すこと。任務は別だ。
「ないのか」
「ないだろ」
「そうか」
ヴァルターは何か考えるような顔をした。
それから剣を鞘へ戻す。
「次は予定を決めてからにしろ」
「いつ空いてる?」
「今聞くな」
「何で」
「仕事に戻る」
「じゃあ後で聞く」
「……好きにしろ」
アルバートも聖剣を胸元へ戻した。
光が消える。
演習場を出ようとして、ふと振り返る。
ヴァルターはまだそこにいた。
「何だ」
「いや」
アルバートは首を振った。
戦場で三度、ヴァルターと戦った。
相手の動きを覚えた。癖を覚えた。術式を覚えた。
殺すために。
今日も同じように見ていた。
けれど、少し違った。
見切れば終わる相手ではない。
ヴァルターもまた、アルバートが見た後に変わっていく。
……それが何を意味するのかは分からない。
ただ、次に戦えば今日とはまた違うものが見られる。
そう思うと、少し楽しみだった。
「……次は勝つ」
アルバートが言う。ヴァルターが笑う。
「俺の台詞だ」




