必要
翌朝。
「おはようございます、エレオノーラ様」
侍女がカーテンを開ける。
差し込んできた朝日に、アルバートは目を細めた。
「おはようございます」
いつも通りの声。いつも通りの口調。
昨日、魔王に正体が露見したところで王女のフリを辞めていいという訳ではないのは当然だった。
寝台から起き上がり、支度を整える。
髪を梳かれ、衣服を選ばれ、食事の予定を確認される。
何も変わらない。……少なくとも、表向きは。
「本日は午前中に魔王陛下がお越しになる予定です」
「陛下が?」
「はい。朝食をご一緒されるそうです」
昨日あれだけ話した後で、朝食。
拘束もされていない。監視が増えた様子もない。本当に何も変えるつもりがないらしい。
「分かりました」
侍女は頷いた。
それから少しだけ、アルバートの顔を見た。
「……何か?」
「昨夜から少し、雰囲気が違うような気がいたしまして」
アルバートは瞬きをした。
「そうでしょうか」
「気のせいかもしれません」
侍女はそう言って、髪飾りを整えた。
アルバートは鏡を見る。
映っているのは、見慣れてきた王女の顔。昨日までと同じだ。
けれど、魔王にはもう、この顔を王女だと思われていない。
……その事実は少し不思議だった。
*
朝食が運び込まれてしばらくして、魔王が来た。
「おはようございます、陛下」
侍女がいるため、アルバートは王女として挨拶する。
「ああ」
魔王もそれ以上は何も言わず、卓についた。
パン。卵。薄く切った肉。果物。
侍女が茶を注ぐ。
アルバートは何事もなかったように食事を始めた。魔王も同じだった。
少しの沈黙の後、侍女が聞く。
「エレオノーラ様、本日は城内でお過ごしになりますか?」
「そうですね」
「必要なものがございましたら、お申し付けください」
「ありがとうございます」
王女として答える。魔王が向かいからこちらを見ていた。
食事が終わり、侍女が食器を下げる。
「では、失礼いたします」
扉が閉まる。アルバートはしばらくそのまま座っていた。
完全に足音が遠ざかったのを確認する。
……それから。
「疲れる」
背もたれに身体を預けた。魔王が眉を上げる。
「随分変わるな」
「何が」
「さっきまでの王女はどこへ行った」
「出ていった」
「侍女と一緒にか」
「多分」
ヴァルターが小さく笑った。アルバートは茶を飲む。
「演じなくていいって言っただろ」
「言った」
「だからやめた」
「切り替えが早いな」
「必要ないから」
「……またそれか」
ヴァルターの顔から笑いが消えた。アルバートは首を傾げる。
「何」
「いや」
ヴァルターは茶へ手を伸ばした。
「今はいい」
「そう」
昨日から、妙なところで引っかかる。戦場ではもっと分かりやすかった。
殺す。避ける。読む。騙す。
――それだけだった。
今は違う。魔王は時々、アルバートにはよく分からないところを気にする。
ヴァルターがアルバートに向き直り話す。
「ところで、昨日の続きだ」
「何」
「お前の任務について確認しておきたい」
「いいよ」
「軽いな」
「聞くんだろ」
「そうだが」
ヴァルターは少し黙り、続けた。
「人間側との連絡手段は」
「こちら側からはない」
「ない?」
「ああ」
ヴァルターの眉間に皺が寄る。
「では、暗殺の期限は」
「連絡が来るまで」
「合図は」
「いらない。俺だけだから」
「次の指示は」
「必要ない。やることは決まってる」
少しの沈黙の後、ヴァルターが額へ手を当てる。
「お前」
「何?」
「本当に一人で送り込まれたのか」
「ああ」
「暗殺後の支援も?」
「ない」
「脱出経路も?」
「自分で考える」
「考えていたのか」
「一応」
「……聞こう」
アルバートは少し考える。
「魔王を殺した後、城内が混乱している間に外へ出る」
「それで」
「徒歩か馬で国境まで」
「それで?」
「終わり」
ヴァルターが黙った。
「何」
「いや」
「何か問題が?」
「問題しかない」
「そうか?」
「そうだ」
ヴァルターが深く息を吐いた。
「お前の国は勇者を何だと思っている」
アルバートは考える。
「勇者」
「そういう話ではない」
「じゃあ分からない」
「だろうな」
ヴァルターは疲れたように言った。
*
「もう一つ」
ヴァルターが続ける。
「俺を殺す方法は決めていたのか」
「検討中」
「候補はあるのか。聞いても?」
「いいけど」
「本当にいいのか?」
「どうせ正面から来いって言っただろ」
「それはそうだが」
アルバートは指を折る。
「寝ている時に首を落とす」
「禁止した」
「毒」
「禁止した」
「食事に混ぜる」
「同じだ」
「風呂」
「却下」
「……じゃあ正面から斬る」
「最初からそれにしろ」
「成功率が下がる」
「知るか」
昨日も聞いた言葉だった。アルバートは少し考える。
「でも」
「何だ」
「正面からなら、前より条件はいい」
ヴァルターが眉を上げる。
「何故」
「城内ならお前も大規模な魔術は使えない」
「お前も聖剣を振り回せば城が壊れるが」
「……加減する」
「俺にも加減しろと?」
「いや」
「なら何故俺だけ制限される」
「魔王だから」
「理不尽だな」
アルバートはパンの残りをちぎった。
「戦場で三回やって決着つかなかったし」
「あれは戦況に邪魔された」
「二回目はお前が部下に呼ばれた」
「お前も騎士団に引き戻されただろう」
「三回目は雨」
「最悪だったな」
「剣が滑った」
「魔術を使うにしても視界が悪い」
会話が自然に続く。気づけば戦場の話をしていた。
これなら分かる。
アルバートは少し楽になった。ヴァルターも同じように見えた。
「今度は邪魔は入らないな」
アルバートが言う。
「ああ」
「じゃあ決着つけられる」
ヴァルターが少し笑った。
「楽しそうだな」
「そう見える?」
「見える」
「そうか」
アルバートは考えた。
別に殺し合いが好きなわけではない。
ただ、ヴァルターと剣を交えるのは嫌いではなかった。
それを口にする必要はないとも思った。
*
「そういえば」
ヴァルターが急に言った。
「何」
「お前、紅茶は何が好きなんだ」
アルバートは止まった。
「何で急に」
「王女ではなく、お前の好みを知らないと思ってな」
「別に」
「別に、は答えではない」
「飲めれば何でも」
「昨日も似た話をした気がするな」
「昨日?」
「食事だ」
アルバートは鹿肉の煮込みを思い出した。
……好きかもしれない。そう言った。
「……茶は」
考える。
王女として飲んでいたもの。
戦場で飲んだ薄い茶。
宿で出されたもの。
王城で飲んだもの。
……比較したことがない。
「分からない」
「そうか」
「必要?」
ヴァルターがアルバートを見る。
「必要かどうかを聞いているんじゃない」
まただ。アルバートは少し眉を寄せる。
「じゃあ何で聞く」
「知りたいから」
「何を」
「お前のことを」
アルバートは黙った。意味が分からない。
敵の好みを知ってどうする。
「お前を殺す相手だぞ」
「ああ」
「何で知る必要がある」
「必要はない」
即答だった。アルバートは余計に分からなくなった。
ヴァルターは平然と茶を飲む。
「必要ではないが、知りたい」
「……」
「昨日、お前が言っていただろう」
「何を」
「必要だからやっただけだ、と」
アルバートは覚えている。
「世の中には、必要だからすること以外もある」
「例えば?」
「今これを聞いている」
アルバートはヴァルターを見る。冗談を言っているようには見えない。
「……変なの」
「お前に言われたくはない」
「そう?」
「ああ」
しばらく沈黙。アルバートは自分の茶を見る。
香りは悪くない。少し渋い。
「これ」
「何だ」
「今飲んでるやつは、嫌いじゃない」
ヴァルターが少しだけ目を細めた。
「そうか」
「名前は?」
「あとで侍女に聞け」
「お前知らないの?」
「俺が淹れたわけじゃない」
「そう」
アルバートはもう一口飲む。
必要ではないが、覚えておいてもいいのかもしれない。
*
「それで」
アルバートがカップを置いた。
「今日はどうする?」
「何が」
「殺していい?」
ヴァルターが真顔になる。
「朝から?」
「今なら予定ないだろ」
「ある」
「何」
「仕事」
「じゃあ終わってから?」
「お前は俺の予定表に暗殺を組み込む気か」
「駄目?」
「駄目に決まっている」
アルバートは少し考える。
「夜は?」
「寝込みは禁止した」
「寝る前」
「同じだ」
「夕食後」
ヴァルターが黙った。
「……食後すぐはやめろ」
「何で」
「身体に悪い」
アルバートは首を傾げた。
「殺し合いするのに?」
「殺し合いするからだ」
「分かった」
「本当に分かっているか?」
「食後は少し空ける」
「そこではない」
アルバートには違いが分からなかった。ヴァルターは深く息を吐いた。
昨日からよくため息をつく。もしかすると自分のせいかもしれない。
ただ、必要なことではなかったので口にはしなかった。




