食事
太陽が中天に差しかかる頃に、侍女に声をかけられる。
「エレオノーラ様、昼食のお時間です」
「分かりました」
「本日は陛下もご一緒されるそうです」
アルバートは少しだけ考えた。
厨房の女に頼まれていたことを思い出す。
魔王が食事を忘れないよう見張れ、と。
「では、行きます」
侍女が小さく頷く。
「魔族の食事が口に合うとよいですね」
「食事であれば問題なく食べられます」
「……そうですか」
侍女にまた妙な顔をされた。アルバートは目を瞬かせる。
……最近こういうことが多い。
*
食事室にはすでに魔王がいた。
「来たか」
「お待たせしました」
「いや。俺も今来たところだ」
広さはさほどでもない。
だが、壁には金の縁取りが施され、深い色の絨毯が床を覆っている。窓には厚手のカーテンが下がり、中央の長卓には銀器と白い陶器が整然と並べられていた。
「普段はこちらで?」
「いや。執務室で済ませることも多い」
「それで厨房の方に怒られるのですね」
魔王がこちらを見る。
「あれは大袈裟だ」
「昨日は果物とナッツだったと」
「食べているだろう」
「食事とは呼ばないそうです」
「お前はどちらの味方なんだ」
「監視役ですので、少なくとも陛下の味方ではないかと」
魔王が少しだけ眉を寄せた。
「律儀だな」
「頼まれましたから」
「そうか」
料理が運ばれてくる。
肉を煮込んだもの。硬いパン。香草の入ったスープ。
人間の国で出てくるものと似たものだが、少し香りは違っていた。
「口に合わなければ言え」
「食べられないものはありません」
「そういう意味ではない」
アルバートは手を止める。ヴァルターがこちらを見ていた。
「好き嫌いの話だ」
「ありません」
「本当に?」
「おそらく」
アルバートは少し考えた。
嫌いなもの。食べられないものではなく、嫌いなもの。
……そう聞かれると、すぐには思いつかなかった。
「……考えたことがありません」
「食事について?」
「はい」
魔王が妙な顔をした。侍女もよくする顔だ。
「人間の王女は皆そうなのか」
「いいえ」
「そこは即答するんだな」
本物のエレオノーラなら、きっといくつか答えられるだろう。
エレオノーラなら紅茶の茶葉と砂糖の量にも好みがあるらしい。
ならきっと食事にもいくらか好みがあるのだろう。
アルバートにはよく分からない。
「これは?」
魔王が煮込み料理を指した。
「何ですか」
「この地方でよく食べるものだ。鹿肉を香草と酒で煮込んである」
「食べたことはありません」
「なら食べてみろ」
アルバートは一口食べた。
柔らかい。少し酸味がある。香草の匂いは強いが、嫌ではない。
「どうだ」
「食べられます」
魔王が目を細める。
「……違う」
「?」
「美味いか、不味いかを聞いている」
アルバートはもう一口食べる。さっきより少しゆっくり噛んでみた。
「……美味しい、と思います」
「思います?」
「はい」
「何故疑問形なんだ」
「食べられるかどうか以外で、食事を判断するのは久しぶりだったので」
魔王が黙った。アルバートは首を傾げる。
「何か妙なことをいいましたか?」
「いや」
魔王は小さく息を吐いた。
「何も」
アルバートは今度は先ほどより少し多めに一口食べた。
香草の匂いにも慣れてきた。なるほど、……これは多分、好きなのだと思う。
「……これは好きかもしれません」
口に出すと、魔王が一瞬だけ止まった。
「そうか」
「はい」
「それなら良かった」
それだけだった。けれど、何故か少し妙な感じがした。
*
「人間の国では、どんなものを食べる」
食事の途中、魔王が尋ねた。
「王都では?」
アルバートは少し考えて答えた。
「肉とパン。あとは野菜、時折魚も食べます」
「随分大雑把だな」
「わかればいいかと」
「味付けは」
「塩と香草が多いです。保存食だと燻製や塩漬けも」
魔王の眉がわずかに動く。
「保存食?」
アルバートは止まった。失敗したかもしれない。
「本で読みました」
「何の本だ」
「……兵站の」
魔王が完全にこちらを見た。
沈黙。
「王女が兵站の本を読むのか」
「……興味があって」
「剣にも?」
「……少し」
「兵站にも?」
「少し」
「随分多趣味だな」
「そうかもしれません」
魔王はしばらくアルバートを見て、それから何事もなかったように食事へ戻る。
「……戦場では、保存の利くものが一番だからな。味は後回しにされる」
アルバートは思わず顔を上げた。
「分かるのですか」
「戦場に出る時は魔王であろうと保存食だ」
魔王も戦場にいる時は保存食らしい。
干し肉を食べる魔王ヴァルターの姿を想像すると、少し面白かった。
「干し肉は?」
「硬い」
「やはり」
「人間側も?」
「硬いです」
「やはりそう変わらんか」
人間も魔族も戦場の干し肉は硬いらしい。
「保存性を優先すると仕方がない。だが歯が折れそうになる」
「水で戻せばまだマシでは?」
「時間がない」
「火で炙るとか」
「敵が近い時に火を焚く気にはなれん」
「それはそうですね」
会話が妙に続いた。
補給。保存食。行軍。魔術師の配置。剣士の動かし方。
気付けば、アルバートの返事は少し早くなっていた。
「北側の戦線では雨が多かったでしょう」
「ああ。泥が酷かった」
「足を取られるので騎兵が使いにくい」
「その分、魔術師を前へ出した」
「苦戦しました」
ヴァルターがこちらを見る。アルバートは止まった。
「……聞いたことがあります」
「誰から」
「将軍から」
「王女が?」
「……はい」
魔王は黙った。何かを間違えたらしい。
だが今度は、すぐに話を変えなかった。
「エレオノーラ姫」
「はい」
「戦場へ行ったことがあるのか」
アルバートはヴァルターを見る。
戦場には何度も行った。目の前の男とも三度殺し合った。
もちろん、それを言うわけにはいかない。
「ありません」
「そうか」
魔王はそれ以上聞かなかった。ただ、その声は少し低かった。
*
気づけば皿の上の煮込みはほとんどなくなっていた。
ヴァルターはそれを見て頷いた。
「気に入ったようだな」
「そうでしょうか」
「自分で分からないのか」
アルバートも皿を見る。確かに、他の料理より多く食べていた。
「……好きなのだと思います」
「なら覚えておけ。自分の好みだろう?」
アルバートは目を瞬いた。ヴァルターが立ち上がる。
「必要かどうか以外にも、覚えることはある」
最近よく似たようなことを言われている気がする。
「分かりました」
「本当に?」
「多分」
ヴァルターが少し笑った。
「それなら昨日よりは進歩だな」
「そうですか」
「ああ」
魔王が食事室を出ていく。アルバートはしばらく皿を見ていた。
自分は鹿肉の煮込みが好きらしい。
ヴァルターはそれを覚えておくようにいった。
……魔王を殺すためには必要ない。王女を演じるためにも。
けれど、アルバートはもう一度だけ残ったソースをパンにつけて食べてみた。
鹿肉の味が染み込んだソースは変わらず香草の強い匂いがした。
*
「王女についての資料を集めろ」
執務室へ戻るなり、ヴァルターはそう言った。書類を抱えていた男が顔を上げる。
「人間側から送られてきたものですか」
「ああ」
「何か?」
「確認したいだけだ」
男は少しだけ眉を上げたが、何も言わなかった。
「経歴もだ」
「王女殿下の?」
「そうだ」
今度こそ、男がヴァルターを見た。
「……何をなさったのです、陛下は」
「俺は何もしていない」
ヴァルターは椅子へ腰を下ろす。
王女エレオノーラ・フォン・ハイデンベルク。魔王に輿入れに来た王国の姫。
剣を護身程度に嗜み、兵站や戦場の保存食に詳しく、北側戦線の地形と戦術を知っている。
……そして。
訓練場で兵士の踏み込みを一目見ただけで、問題点を言い当てることができる。
「……妙だな」
ヴァルターは小さく呟いた。




