案内
――翌朝。
「飲み物は紅茶でよろしいでしょうか」
侍女にそう尋ねられて、アルバートは少し考えた。
「構いません」
「種類は?」
「何でも」
「エレオノーラ様でしたら、『何でも』とは仰らないかと」
アルバートは目の前に並べられた茶葉を見る。
香りを嗅いでも、どれがどう違うのかまではよく分からない。
アルバートが困っている様子を見て、侍女は続けた。
「エレオノーラ様は、普段でしたらダージリンを」
「では、それで」
「……はい」
彼女は本物のエレオノーラにも仕えていたらしい。王都から連れてきた熟練の侍女だった。
アルバートが彼女の顔と立場を借りる以上、身の回りの世話をする者まで全員取り替えれば不自然になる。
だから彼女も同行している。事情は承知の上だ。
「お砂糖は?」
「どちらでも」
侍女が止まった。
「……では、なしで」
「分かりました」
また少し妙な顔をされた。
本物だったらどう答えるのが正解だったのだろうか。
エレオノーラの歩き方。視線の置き方。食事の際の手の位置。人前で笑う時、口角をどの程度上げるか。
必要なものは覚えたはずだった。
紅茶の銘柄や砂糖の量も必要だっただろうか。
「……エレオノーラ様」
「はい」
「こちらでの生活で、何か必要なものがございましたらお申し付けください」
「分かりました」
「その」
侍女が一瞬ためらう。
「必要かどうかではなく、お好みのものでも」
アルバートは瞬きをした。昨日も似たようなことを言われた気がする。
「分かりました」
「……はい」
侍女は歯に衣が挟まったような顔をしていた。不思議な光景だった。
*
「思ったより早いな」
朝食を終えた頃、魔王がやって来た。
昨日と違い、今日は正装ではない。
黒を基調にした簡素な服装で、腰には剣を下げている。
……こちらの方が見慣れていた。戦場で着ていたものとは違うが、少なくとも剣がある。
「何がですか」
「支度だ。もう少しかかるかと思っていた」
「準備には慣れています」
「そうか」
アルバートは立ち上がる。
「城内を案内してくださるのでしょう?」
「ああ。その予定だ」
魔王が扉へ向かう。アルバートは一歩遅れてその後を追った。
廊下へ出る。
昨日は婚礼のため人が多かったが、今日は随分静かだった。
時折、使用人や兵士が行き交い、ヴァルターを見ると頭を下げた。
アルバートにも同じように礼をする。
……敵意はない。少なくとも、表向きは。
「ここが居住区だ。お前の部屋もこの一角にある」
「はい」
「奥が客室。その先は会議室だ」
「入っても?」
「内容による」
「軍事に関わらなければ?」
「構わない」
……随分自由だ。
昨日も思ったが、人質として扱う気は本当にないらしい。もちろん、それ自体が油断させるための手段という可能性もあるが。
アルバートは廊下の角を曲がりながら、周囲を見る。
扉の数。窓の位置。兵士の配置。
交代の時間はまだ分からないが、あとで確認すればいい。
「随分熱心だな」
「何がですか」
「さっきから周囲をよく見ている」
魔王がこちらを見ていた。
アルバートは一瞬考える。
「珍しいので」
「城が?」
「魔族の国が」
「ああ」
どうやらエレオノーラとして不自然な返答ではなかったらしい。魔王は前を向き直った。
「人間の国とは違うか」
「思ったよりは」
「思ったより?」
「似ています」
アルバートが答えると、魔王が少し笑った。
「城は城だからな」
「そういうものですか」
「人間も魔族も、城というものには実用性と華美さの両方を求めるらしい」
「なるほど」
廊下の向こうから、書類の束を抱えた男が歩いてくる。
「陛下」
「後にしろ。妻の案内をしているところだ」
「では終わりましたらこちらをご確認ください」
男は躊躇なく書類を差し出した。ヴァルターが嫌そうな顔をした。
アルバートは少し驚いた。戦場では見たことのない表情だった。
「……執務室へ置いておけ」
「逃げませんよう」
「逃げん」
男は一礼し、今度はアルバートへ向き直った。
「エレオノーラ殿下。陛下が執務から逃げようとしましたら、どうぞお引き留めください」
「俺は逃げていない」
「くれぐれもお頼み申し上げます、エレオノーラ殿下」
そう念を押して、男はそのまま去っていった。ヴァルターが小さく息を吐いた。
「部下なのですか?」
「ああ」
「随分……」
「何だ」
アルバートは言葉を探す。
「遠慮がない」
「長く仕えているからな」
魔王にもああいう部下がいるらしい。
アルバートの知っているヴァルター・アルヴェインは、戦場で魔法を放ち、剣を振り、兵を率いる姿だけだった。
命令を出す。敵を殺す。味方を動かす。
それ以外のところで、部下とどんな話をするのかなど考えたこともなかった。
*
「ここは食堂だ。お前は使わんだろうが、一応教えておく」
「はい」
「厨房は奥だ」
魔王がそう言った直後、開いた扉の向こうから声が飛んできた。
「陛下!」
魔王が止まる。
「何だ」
「昨日の夜、食べてませんね」
「……食べた」
「会場で口にしたのは酒だけでしょう。その後は?」
「果物とナッツを少し」
「それを食事とは呼びません」
角が一本ある年配の女だった。
厨房から顔だけを出して、魔王を睨んでいる。
「今日は必ず昼食と夕食を取ってください。折角ですしエレオノーラ殿下と」
「分かった」
「本当に?」
「分かったと言っている」
「エレオノーラ殿下」
突然こちらへ振られた。
「はい」
「陛下を見張ってくださいまし。この方はすぐ食事を忘れるので」
「俺を何だと思っている」
「魔王陛下と思っております」
扉が閉まり、ヴァルターが黙ってアルバートを見た。
アルバートは目を瞬かせた。
「……大変ですね」
「他人事だと思っているな」
「いえ。私は監視役だそうですので他人事ではないかと」
……少しだけ、面白かった。
戦場では考えもしなかったことが、ここではいくつも起こる。
*
「ここから先が訓練場だ」
開けた中庭。何人もの兵士が剣を振るっている。
金属音が響く。
アルバートの足が自然と止まった。
「興味があるのか」
「少し」
「王女が?」
一瞬だけ間が空いた。
「……護身程度には剣を嗜んでいますので」
「ほう」
魔王はそれ以上追及せず、訓練場へ入った。
兵士たちが一斉に姿勢を正す。
「続けろ」
その一言で訓練が再開される。
アルバートはその様子を眺めていた。
剣。槍。弓。
使うものは人間の軍と大きくは変わらない。
違うのは、魔術を混ぜる者が人間の軍より随分多いことくらいか。
一人の兵士が踏み込む。
遅い。右に重心が残っている。次の一歩に繋がらない。
相手が半歩下がるが、あれだと追い切れない。
「どう見る」
魔王が尋ねる。アルバートは訓練場を見たまま答える。
「遅い」
「何が」
「踏み込みが。右足に体重を残しすぎていて次の一歩が死んでいる。相手が引けば追えない」
アルバートは魔王を見た。魔王もこちらを見ていた。
沈黙。
「……護身程度?」
アルバートは考えた。
王女なら、どう答えるべきだろう。
「……少し、剣が好きで」
「少し?」
「はい」
魔王は訓練場へ視線を戻した。そして突然、近くにいた兵士を呼ぶ。
「剣を一本貸せ」
「はっ!」
渡された剣を受け取り、軽く重さを確かめる。
それから。魔王が剣をアルバートへ差し出した。
「使ってみるか」
アルバートは剣を見た。次に、魔王を見る。
……昨日までは、殺す機会を待てばいいと思っていた。
信用を得る。近づく。隙を探す。
だが、魔王ヴァルター・アルヴェインは、思っていたより周りをよく見る男らしい。
アルバートは王女エレオノーラとして微笑んだ。
「……遠慮しておきます」
「そうか」
魔王は笑わなかった。ただ、少し目を細めて王女を見た。




