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勇者と魔王とお前と俺。  作者: 雪空
必要なこと、やりたいこと
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2/23

案内

――翌朝。


「飲み物は紅茶でよろしいでしょうか」


侍女にそう尋ねられて、アルバートは少し考えた。


「構いません」

「種類は?」

「何でも」

「エレオノーラ様でしたら、『何でも』とは仰らないかと」


アルバートは目の前に並べられた茶葉を見る。

香りを嗅いでも、どれがどう違うのかまではよく分からない。

アルバートが困っている様子を見て、侍女は続けた。


「エレオノーラ様は、普段でしたらダージリンを」

「では、それで」

「……はい」


彼女は本物のエレオノーラにも仕えていたらしい。王都から連れてきた熟練の侍女だった。

アルバートが彼女の顔と立場を借りる以上、身の回りの世話をする者まで全員取り替えれば不自然になる。

だから彼女も同行している。事情は承知の上だ。


「お砂糖は?」

「どちらでも」


侍女が止まった。


「……では、なしで」

「分かりました」


また少し妙な顔をされた。

本物だったらどう答えるのが正解だったのだろうか。


エレオノーラの歩き方。視線の置き方。食事の際の手の位置。人前で笑う時、口角をどの程度上げるか。

必要なものは覚えたはずだった。

紅茶の銘柄や砂糖の量も必要だっただろうか。


「……エレオノーラ様」

「はい」

「こちらでの生活で、何か必要なものがございましたらお申し付けください」

「分かりました」

「その」


侍女が一瞬ためらう。


「必要かどうかではなく、お好みのものでも」


アルバートは瞬きをした。昨日も似たようなことを言われた気がする。


「分かりました」

「……はい」


侍女は歯に衣が挟まったような顔をしていた。不思議な光景だった。


     *


「思ったより早いな」


朝食を終えた頃、魔王がやって来た。

昨日と違い、今日は正装ではない。

黒を基調にした簡素な服装で、腰には剣を下げている。

……こちらの方が見慣れていた。戦場で着ていたものとは違うが、少なくとも剣がある。


「何がですか」

「支度だ。もう少しかかるかと思っていた」

「準備には慣れています」

「そうか」


アルバートは立ち上がる。


「城内を案内してくださるのでしょう?」

「ああ。その予定だ」


魔王が扉へ向かう。アルバートは一歩遅れてその後を追った。


廊下へ出る。

昨日は婚礼のため人が多かったが、今日は随分静かだった。

時折、使用人や兵士が行き交い、ヴァルターを見ると頭を下げた。

アルバートにも同じように礼をする。


……敵意はない。少なくとも、表向きは。


「ここが居住区だ。お前の部屋もこの一角にある」

「はい」

「奥が客室。その先は会議室だ」

「入っても?」

「内容による」

「軍事に関わらなければ?」

「構わない」


……随分自由だ。

昨日も思ったが、人質として扱う気は本当にないらしい。もちろん、それ自体が油断させるための手段という可能性もあるが。


アルバートは廊下の角を曲がりながら、周囲を見る。

扉の数。窓の位置。兵士の配置。

交代の時間はまだ分からないが、あとで確認すればいい。


「随分熱心だな」

「何がですか」

「さっきから周囲をよく見ている」


魔王がこちらを見ていた。

アルバートは一瞬考える。


「珍しいので」

「城が?」

「魔族の国が」

「ああ」


どうやらエレオノーラとして不自然な返答ではなかったらしい。魔王は前を向き直った。


「人間の国とは違うか」

「思ったよりは」

「思ったより?」

「似ています」


アルバートが答えると、魔王が少し笑った。


「城は城だからな」

「そういうものですか」

「人間も魔族も、城というものには実用性と華美さの両方を求めるらしい」

「なるほど」


廊下の向こうから、書類の束を抱えた男が歩いてくる。


「陛下」

「後にしろ。妻の案内をしているところだ」

「では終わりましたらこちらをご確認ください」


男は躊躇なく書類を差し出した。ヴァルターが嫌そうな顔をした。

アルバートは少し驚いた。戦場では見たことのない表情だった。


「……執務室へ置いておけ」

「逃げませんよう」

「逃げん」


男は一礼し、今度はアルバートへ向き直った。


「エレオノーラ殿下。陛下が執務から逃げようとしましたら、どうぞお引き留めください」

「俺は逃げていない」

「くれぐれもお頼み申し上げます、エレオノーラ殿下」


そう念を押して、男はそのまま去っていった。ヴァルターが小さく息を吐いた。


「部下なのですか?」

「ああ」

「随分……」

「何だ」


アルバートは言葉を探す。


「遠慮がない」

「長く仕えているからな」


魔王にもああいう部下がいるらしい。

アルバートの知っているヴァルター・アルヴェインは、戦場で魔法を放ち、剣を振り、兵を率いる姿だけだった。

命令を出す。敵を殺す。味方を動かす。

それ以外のところで、部下とどんな話をするのかなど考えたこともなかった。


     *


「ここは食堂だ。お前は使わんだろうが、一応教えておく」

「はい」

「厨房は奥だ」


魔王がそう言った直後、開いた扉の向こうから声が飛んできた。


「陛下!」


魔王が止まる。


「何だ」

「昨日の夜、食べてませんね」

「……食べた」

「会場で口にしたのは酒だけでしょう。その後は?」

「果物とナッツを少し」

「それを食事とは呼びません」


角が一本ある年配の女だった。

厨房から顔だけを出して、魔王を睨んでいる。


「今日は必ず昼食と夕食を取ってください。折角ですしエレオノーラ殿下と」

「分かった」

「本当に?」

「分かったと言っている」

「エレオノーラ殿下」


突然こちらへ振られた。


「はい」

「陛下を見張ってくださいまし。この方はすぐ食事を忘れるので」

「俺を何だと思っている」

「魔王陛下と思っております」


扉が閉まり、ヴァルターが黙ってアルバートを見た。

アルバートは目を瞬かせた。


「……大変ですね」

「他人事だと思っているな」

「いえ。私は監視役だそうですので他人事ではないかと」


……少しだけ、面白かった。

戦場では考えもしなかったことが、ここではいくつも起こる。


     *


「ここから先が訓練場だ」


開けた中庭。何人もの兵士が剣を振るっている。

金属音が響く。


アルバートの足が自然と止まった。


「興味があるのか」

「少し」

「王女が?」


一瞬だけ間が空いた。


「……護身程度には剣を嗜んでいますので」

「ほう」


魔王はそれ以上追及せず、訓練場へ入った。

兵士たちが一斉に姿勢を正す。


「続けろ」


その一言で訓練が再開される。

アルバートはその様子を眺めていた。


剣。槍。弓。

使うものは人間の軍と大きくは変わらない。

違うのは、魔術を混ぜる者が人間の軍より随分多いことくらいか。


一人の兵士が踏み込む。

遅い。右に重心が残っている。次の一歩に繋がらない。

相手が半歩下がるが、あれだと追い切れない。


「どう見る」


魔王が尋ねる。アルバートは訓練場を見たまま答える。


「遅い」

「何が」

「踏み込みが。右足に体重を残しすぎていて次の一歩が死んでいる。相手が引けば追えない」


アルバートは魔王を見た。魔王もこちらを見ていた。

沈黙。


「……護身程度?」


アルバートは考えた。

王女なら、どう答えるべきだろう。


「……少し、剣が好きで」

「少し?」

「はい」


魔王は訓練場へ視線を戻した。そして突然、近くにいた兵士を呼ぶ。


「剣を一本貸せ」

「はっ!」


渡された剣を受け取り、軽く重さを確かめる。

それから。魔王が剣をアルバートへ差し出した。


「使ってみるか」


アルバートは剣を見た。次に、魔王を見る。


……昨日までは、殺す機会を待てばいいと思っていた。

信用を得る。近づく。隙を探す。

だが、魔王ヴァルター・アルヴェインは、思っていたより周りをよく見る男らしい。


アルバートは王女エレオノーラとして微笑んだ。


「……遠慮しておきます」

「そうか」


魔王は笑わなかった。ただ、少し目を細めて王女を見た。

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