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勇者と魔王とお前と俺。  作者: 雪空
必要なこと、やりたいこと
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1/23

婚礼

――鐘が鳴っていた。

人間の国で聞き慣れたものより、少し低い音だった。

厚い石壁にぶつかり、天井の高い聖堂をゆっくりと震わせる。


その音を聞きながら、アルバート・シュミットは白い裾を踏まないように歩いていた。


普段より歩幅を狭くする。

背筋を伸ばす。肩を張らない。顎を上げすぎない。

――何度も教えられた通りに。


今日の自分は、勇者アルバート・シュミットではない。

人間の王女、エレオノーラ・フォン・ハイデンベルクだ。……少なくとも、この場にいる者たちにとっては。


左右に並ぶ参列者の多くは魔族だった。

角を持つ者。長い耳を持つ者。人間とほとんど変わらない姿の者もいる。

少し前まで、戦場で見れば剣を向けていた相手たちだ。

今は誰も武器を抜かない。和平が結ばれたからだ。


百年近く続いた、人間と魔族の戦争。

その終わりを保証するため、人間の王女が魔王へ嫁ぐ。

……それが今日の婚礼だった。


聖堂の最奥に、一人の男が立っている。


黒い正装。黒髪は短く整えられているが、襟足だけがシャツの襟に触れている。人間よりわずかに長い耳。


――魔王、ヴァルター・アルヴェイン。


顔を見るのは初めてではない。むしろ、よく知っていた。


戦場で三度、殺し合っている。

肩を裂いたこともあれば、脇腹を焼かれたこともある。互いに決め手を欠いたまま、戦線の都合で引き離されたこともあった。


あの男がどの距離から魔術を放つか。剣をどう振るうか。こちらの踏み込みにどう合わせてくるか。

……そういうことなら、知っている。

だが、正装した姿を見るのは初めてだった。


戦場では、魔王が立っていればそこは危険な場所だった。目が合えば、次に来る攻撃を考えていた。


アルバートは白いドレスを着て、その男のところまで歩いている。

魔王は剣を抜かない。アルバートも剣を抜かない。


あと十歩。まだ届かない。

九、八、七歩。ここからなら、聖剣を呼び出しても初撃は防がれる。

六歩。五歩。ヴァルターなら、おそらく右へ捌く。

四歩。三歩。今なら届く。


二歩。

だが、今日は殺さない。

一歩。

……アルバートは足を止めた。そして、練習した通りに笑った。


「お初にお目にかかります、魔王陛下」


ヴァルターがアルバートを見た。当然、その目に敵意はない。

目の前にいるのが、自分と三度剣を交えた勇者だとは思っていないのだから。


「ヴァルター・アルヴェインだ」


低い声。戦場では怒号と剣戟の向こうから聞いていた声だ。


魔王が手を差し出す。

この手が剣を握るところを知っている。魔術を放つところも知っている。アルバートの首を狙ったこともある。

その手が今は、王女を迎えるために差し出されている。

魔王は何も知らない。少しだけ、面白かった。

アルバートはその手を取った。


胸の奥で、心臓が一つ鳴る。

そのすぐ上。

ドレスの下に隠された勇者の紋章には、聖剣が眠っている。

……必要ならいつでも呼び出せる、魔王を殺すための剣。


――アルバートがここへ来た、本当の理由だった。


     *


「あなたが死ぬ可能性が高い作戦です」


王城の一室。

そう言ったエレオノーラは、随分険しい顔をしていた。

アルバートは椅子に座ったまま、これから自分が成り代わることになる彼女を見ていた。


「魔王も死ぬ」

「魔王の話をしているのではありません」

「分かってる」

「分かっていません」


エレオノーラには即答された。

アルバートは少し考える。

今回の任務は危険だ。それは理解している。

和平の証として魔族領へ入り、王女として魔王の妻になる。近くで様子を探り、確実に殺せる機会を待つ。

成功した後、生きて戻れる可能性はほとんどない。魔王を殺した直後に魔族の国の中心から逃げるのだから、当然だろう。


……けれど。


「俺がやるのが一番いいんだろ?」


そう尋ねると、エレオノーラは口を閉ざした。代わりに、窓際に立っていた男が答える。たしか公爵だったはずだ。


「成功率だけを考えれば」

「なら、やる。正面から戦う方が好きだけど」


……それは本当だった。

騙して近づくより、剣を持って向かい合う方がいい。

魔王とは、そうして戦ってきた。

だが、好きな方法ではないことと、やらないことは別だった。


「必要なんだろ」


公爵が続けた。


「はい。歴代の中でも魔王ヴァルターの力は飛び抜けています。彼を排さなければ対等な和平の道はありません」


エレオノーラはアルバートに尋ねた。


「私に成り代わり嫁ぐなど、どう考えても無理があるでしょう。できるのですか?」


アルバートは黙った。エレオノーラの癖。

歩きはじめは右足から。体重移動の際重心をわずかに右に寄せる癖がある。


「所作の模倣はできる」


公爵が喜色を浮かべた。


「よろしい。長くなればボロが出るかもしれませんが、どうせ暗殺すれば終わりなのですから構いません」


「あなたはどう思っているのですか?」

エレオノーラが尋ねる。


魔族が信用できるか。魔王を殺すべきか。暗殺という手段を取るべきか。

……そういう意味だろうか。


「魔王は強い」

「……はい」

「あいつがまた戦うって決めたら、人間側の被害は大きいと思う」


「そうではなく」


エレオノーラはそこで一度言葉を切った。


「あなたは、それをしたいのですか」


アルバートは首を傾げた。


「必要なら、するけど」


エレオノーラが目を閉じた。

何か間違えたらしい。だが結局、任務は取り消されなかった。


――だからアルバートはここにいる。


     *


長い儀式だった。人間側と魔族側、それぞれの形式を混ぜているらしい。

誓いの言葉を交わし、杯を交わし、互いの名を呼ぶ。


「エレオノーラ・フォン・ハイデンベルク」

「はい」

「ヴァルター・アルヴェインを伴侶とし、両国の和平を共に支えることを誓うか」

「誓います」


……嘘ではない。和平が続くなら、その方がいい。

ただ、そのために魔王を殺す。それだけだ。


隣を見ると、魔王は真っ直ぐ前を向いていた。


「ヴァルター・アルヴェイン」

「ああ」

「エレオノーラ・フォン・ハイデンベルクを伴侶とし、両国の和平を共に支えることを誓うか」

「誓おう」


戦場では聞いたことのない声音だった。静かで、迷いがない。

アルバートは少しだけ横目で見る。……この男も、和平を望んでいるのだろうか。


とはいえ、魔王は脅威だ。魔王がいる限り、人間は安心できない。

だから殺す。

任務を受けるには、それで十分だった。


鐘が鳴る。参列者たちが頭を垂れる。


――こうして、人類の勇者アルバート・シュミットは。

王女エレオノーラ・フォン・ハイデンベルクとして、魔王ヴァルター・アルヴェインの妻になった。


     *


「疲れただろう」


式が終わり、ようやく人目のない部屋へ通された後、魔王が最初に言ったのは、それだった。


「いいえ、この程度なら問題ありません」


反射的に答える。


「そうか」


部屋は広かった。

人間向けに整えられているようで、家具の高さも王都のものと変わらない。


アルバートは室内を見回す。

窓が二つ。廊下へ続く扉が一つ。奥にも扉がある。

窓から地上までの高さは、おそらく三階程度。

飛び降りることはできる。


「エレオノーラ」

「はい」


呼ばれて振り返る。

……危ない。まだ、この名前に慣れていない。

魔王は気づいた様子もなかった。


「先に話しておくことがある」

「なんでしょうか」

「この婚姻についてだ」


アルバートは姿勢を整えた。

魔王は少し離れたところに立っている。戦場ならば遠い。


「和平の保証として、お前と俺は夫婦になった」

「はい」

「公の場では、それらしく振る舞う必要があるだろう」

「承知しています」

「だが、それ以外まで夫婦である必要はない」


アルバートは瞬きをした。


「……はい?」

「部屋も別に用意してある。ここはお前の部屋だ。俺は勝手に入らない」

「そうなのですか」


意外さを滲ませた返答をすれば、魔王が眉を寄せた。


「何か問題でも?」

「いえ」


アルバートは少し考えた。

王女として嫁いだ以上、そういうことも任務に含まれると思っていた。


「必要であれば、私は構いません」


ヴァルターが黙った。


「……何か?」

「いや」


魔王の眉間に皺が寄っている。


「必要なら構わない、という話ではない」

「はい」

「お前が望むかどうかの話をしている」

「はい」

「…………」

「?」


魔王はしばらくアルバートを見ていた。やがて小さく息を吐く。


「なら聞くが。お前は俺と同じ部屋で暮らしたいのか」


アルバートは考えた。

同じ部屋にいた方が、相手の行動を観察しやすい。寝ているところも狙える。

暗殺という意味なら、その方が都合がいい。


「その方が都合は」

「そういう話ではない」


遮られた。アルバートは口を閉じる。

魔王は額を押さえていた。


「……もういい。今日は疲れているんだろう」

「疲れてはいません」

「そういうことにしておけ」

「はい」


……よく分からない。戦場ではもっと話の通じる男だった気がする。

攻撃すれば防ぐ。防げば次を打つ。それ以外のことは何もなかった。

今はどうやらそうではないらしい。


「明日、城内を案内させる」

「案内?」

「ああ。お前は今後ここで暮らすことになる。立ち入りを禁じるのは軍事区域だけだ。それ以外は好きにして構わない」

「……自由に?」

「そうだ」


アルバートは少し驚いた。人間の王女なのだから、もっと監視されると思っていた。


「侍女も人間側から連れてきた者をそのまま置く。必要なものがあれば言え」

「分かりました」


「それと」


魔王がこちらを見る。


「ここでは、お前は人質ではない」


アルバートは目を瞬いた。


「婚姻の始まりが政治的なものであっても、お前を人質のように扱うつもりはない。ここでは俺の妻として遇する」

「はい」

「……本当に分かっているのか?」

「分かっています」


魔王はまた何とも言えない顔をした。

……やはり、何か間違えているらしい。

けれど今は、それより気になることがある。


戦場で知っていた魔王と今、目の前にいる魔王は同じ男のはずだった。

剣の間合いも、魔術を放つ癖も、こちらの攻撃への返し方も。

魔王を殺すために必要なことなら、随分知っているつもりだった。

……けれど。


「どうした」

「いえ」


知らないことが、思ったより多いらしい。アルバートは王女らしく微笑んだ。


「これからよろしくお願いいたします、陛下」

「ああ」


魔王はそれ以上追及しなかった。この男を知り、信用を得る。

――そして、確実に殺す。

それが勇者アルバート・シュミットに与えられた、新しい使命だった。

はじめて一次創作かきます。AIとチャットしながらかいてたらデータ消えて泣いた

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