距離
今回はヴァルター視点寄りです
目を覚まして真っ先に認識したのは天井だった。
白い石材の表面に刻まれた細い術式線からすると、ここは魔王城の治療室だろう。
そこまで認識した時点で身体を精査する。
――胸部から腹部にかけて怪我有り。
――魔力生成器官の損傷有り。
――治療術式の痕跡有り。
特に治療術式は自分のことを知っている者が行使したものだろう。損傷した箇所への魔力経路が一部遮断されている。恐らく状態確認のために魔力を使おうとすることまで見越した処置なのだろう。
次に指を動かす。問題なく動く。
握る。開く。一本ずつ親指から曲げて伸ばす。感覚もある。
術式の行使には制限があるだろうが、執務には問題は出ないだろう。
痛みはある。だが意識は明瞭で、四肢の感覚にも現時点で異常はない。
次に視線を室内に巡らす。
普段であれば部下の誰かが資料を手渡してくるところだが、その様子はない。
訝しんだところで、ふと視線が止まる。
視線の先、寝台の脇に置かれた椅子に人影がある。
アルバートが座ったまま、腕を組んで眠っている。
真っ先に浮かんだ疑問は、何故ここにいる、だった。
自身がここにいるのは理解できる。
恐らく先の式典での術式が原因だ。
展開速度に定評のある炎系の術式、部屋全体を瞬時に覆った術式は爆発系だった。
咄嗟に介入して展開に間に合わないよりはと防壁を貼ったが、魔王は優先的に狙われていた。参加者が死亡して和平に支障が出るよりはマシか。
それにしてもアルバートだ。何故ここにいる。
アルバートに向かう術式を切っているのは確認できた。一見して怪我もなさそうだが。
ヴァルターは数秒見てから、声をかけた。
「アルバート」
反応は早かった。
目が開く。起き抜け特有の焦点のずれはほとんどなく、一度瞬きをしただけでこちらを見る。
「起きた」
そして、少し笑った。……どうやら、心配してくれていたらしい。
「……ああ」
少し座りの悪い心地になる。ここに来たアルバートと比べると随分と素直になった。
「気分は?」
「良くはない」
「痛い?」
「かなり」
「そっか」
「どれくらい寝ていた」
「半日くらい」
「お前は」
「寝た」
「ここでか」
「うん」
即答だった。普段から小気味よく会話を返す男だが、このような場でもその性質は変わらないらしい。
とはいえ、この場で寝たという発言は聞き逃せない。
「……何故」
ヴァルターが眉を寄せて尋ねると、アルバートはすぐに答えた。
「心配だったから」
以前なら『必要だから』『状態を確認する必要があるから』と答えただろう。心配していること自体は同じでも、それを理由として採用するかどうかが違う。
随分と変わったな、と少し面映ゆくなる。先ほど目を覚ました時に笑ったのも、無事を確認して安心したからだろう。
「そうか」
返しつつ身体を起こそうとする。
胸部から腹部にかけて痛みが走るが、耐えられないほどではない。
少なくとも上体を起こす程度なら問題ないだろう。
「待って」
アルバートが肩を軽く押す。静止の意図は明白だった。
「何だ」
「まだ寝てて」
「目は覚めた」
「治療師が、起きても安静って言ってた」
「どの程度」
「無理させるなって」
「具体性がない」
「治療師を呼ぶ?」
「そこまでは必要ない」
「じゃあ寝てて」
アルバートは頑なだった。
であれば身体を起こすこと自体に大きな利点はない。
昨日の状況について報告を受ける必要はあるが、この場に部下を呼べばいいだろう。
安静にしている方が治療速度も上がる。
「……分かった」
それから程なくして、治療師が入ってきた。
ヴァルターが目を覚ましているのを見ると、一瞬だけ眉を上げたが、特に驚いた様子もなく寝台の脇まで歩いてくる。
「目が覚めましたか」
「ああ」
「気分は?」
「良くはない」
「痛みは?」
「かなりある」
先ほどと同じ問答だ。先ほどと同じ答えを繰り返す必要があるのか、という思考が一瞬過ぎる。
問答が終わり、治療師は頷いて胸元に手を翳す。
薄い光が広がり、既に組まれていた治療術式が僅かに形を変えた。
内部を確認しているのだろう。ヴァルターは黙って待った。
その間、アルバートは椅子に座ったまま、治療師の手元を見ている。
普段なら魔術の構造を眺めているのだろうが、今回は少し違うように見えた。
術式そのものより、治療師の表情や反応を見ている。
「損傷自体は安定しています」
やがて治療師が言った。
「魔力生成器官の一部と、その周辺の経路に損傷があります。しばらく大規模な術式の行使は避けてください」
「どの程度だ」
「少なくとも数日は」
「軽度の術式なら可能か?」
「勧めません」
「可能かどうかを訊いている」
治療師とアルバートが揃って沈黙し、ヴァルターを見る。
「……何だ」
「そういうところです」
治療師が言った。
「執務は」
「短時間であれば」
「なら問題ない」
「三十分ごとに休憩を挟むのであれば」
「一時間は構わないだろう」
「三十分毎に引き剥がす」
ヴァルターの発言を聞かなかったことにしてアルバートが頷いた。
確かに三十分ごとに休憩を入れることで重大な支障が出る可能性は低い。
そもそも今の状態で長時間集中したとして、効率が維持できるとも限らない。
身体の回復を遅らせる方が、結果として執務全体への影響は大きい。
「分かった、三十分だな」
ヴァルターが頷けばアルバートが少し笑った。
先ほどからこちらが言うことを聞く度に機嫌が良くなる。
治療師はさらにいくつか確認を行い、薬を置いて退出した。
扉が閉まる。
「午後から執務室へ行く」
「俺も行く」
「何故」
「心配だから」
戦場で会っていた頃のアルバートは、基本的に判断が速かった。
敵なら斬る。障害なら越える。守るべきものがあれば守る。必要なら自分も使う。
迷いがないというより、迷うための項目そのものが少なかったのだろう。それは勇者アルバート・シュミットの強みの一つではあった。
一方で、戦場以外まで同じ基準で生きる必要はない。
本人が好きだと思うなら、それを理由に選んでもいい。嫌だと思うなら、それを理由に断ってもいい。
少なくともヴァルターはそう考えて接したし、アルバートはそれを受け入れているように見えた。
なら、心配だから同行する程度の理由であれば、むしろ歓迎すべきだろう。
加えて、実務上も問題はなかった。昨日襲撃を受けた直後だ。アルバートが近くにいることは、護衛として見ても有用である。
本人が希望している。能力上の問題もない。同行による不利益もない。
拒否する理由はなかった。
「好きにしろ」
「うん」
返事が早い。やはり少し嬉しそうだった。
*
昼を過ぎてから、ヴァルターは執務室へ向かった。
アルバートも当然のようについてくる。
無論、アルバートの怪我については確認した。
左腕に浅い裂傷。肩に打撲。その他、目立った損傷はなし。治療師からも行動制限は出ていない。
ならば問題ない。
廊下を歩く速度は普段より遅い。
自覚はある。歩行自体はできるが、胸部に響く痛みが完全に消えているわけではない。
無理に速度を上げる意味もない。
アルバートは隣を歩いている。
特に会話はない。
元々、沈黙を不快に思う相手ではなかった。
必要なら話す。話すことがなければ黙る。
その程度で成立する関係は、ヴァルターにとって楽だった。
しばらく歩いてから、アルバートが言う。
「痛い?」
「痛い」
「歩ける?」
「歩ける」
「そっか」
それで会話は終わった。数歩進む。
「疲れたら言って」
「分かった」
随分と気を遣われている。
昨日の今日だ。むしろ、何も気にしない方が奇妙だろう。
「お前は」
「何?」
「腕は痛まないのか」
アルバートは自分の左腕を見る。
「痛いよ」
「なら、お前も休め」
「ヴァルターが休んだら休む」
「俺は先の事態を収拾させる必要がある」
「なら俺も一緒に行く、心配だから」
随分と素直だ。
可能なら休ませてやりたいが、ヴァルター自身の仕事は待ってくれない。
「なら仕方ないな」
ヴァルターは笑った。アルバートもそれを見て笑った。
*
執務室には既に何人か集まっていた。
宰相。警備責任者。術式解析を担当した魔術師。式典を取り仕切っていた官吏。
執務室内の全員がヴァルターに視線を向けた。
「続けろ」
ヴァルターが執務机の椅子に座る。
アルバートはヴァルターの斜め後ろに立った。
「座らないのか」
「ここでいい」
「好きにしろ」
資料が机の上に並べられる。
まずは被害状況。
死者なし。重傷者三名。軽傷者多数。建物被害は限定的。
人的被害が少なかったのは、防御術式が間に合ったことが大きいらしい。
ならば、少なくともあの場での判断自体は間違っていなかった。
「死者なしなのは不幸中の幸いといったところか」
ヴァルターがそう言うと、警備責任者が頷いた。
「はい。重傷者三名についても、現時点では命に別状はありません」
「なら被害としては限定的だ」
そう言いながら資料をめくる。
限定的とはいいつつも今回重要なのは、被害人数ではない。
和平成立後の式典。人間と魔族、双方の関係者が集まる場。
そこで攻撃術式が発動した。
襲撃された、という事実そのものが残る。
参加者の中には商人もいた。官吏もいた。護衛もいた。
彼らは帰国後、それぞれの所属先に今回の件を報告するだろう。
危険だった。攻撃された。魔王城内ですら安全ではなかった。
そういう情報は、正確な原因究明より早く広がる。
――和平とは、条約だけで維持されるものではない。
安全であると信じられること。相手国と関わっても即座に命を失うわけではないと理解されること。
その程度の認識が積み重ならなければ、交易も往来も成立しない。
逆に言えば、一度の襲撃で全てが崩れるほど和平が脆弱であるなら、それはまだ定着したとは言えない。
「参加者への説明は」
「現在、関係各所と調整中です」
「事実関係だけ伝えろ。原因が確定する前に断定するな」
「承知しました」
「人間側には」
「既に第一報を送っています」
「ならいい」
次の資料。先ほどの事件で使われた術式の解析結果。
ヴァルターは目を通す。
発動点。魔力濃度。構造。残留した符号。使用された触媒の推定。
数枚ほどめくったところで手が止まる。
「これは魔族式か」
ヴァルターは資料の一部を指で叩いた。
術式解析を担当した魔術師が一歩前に出る。
「その可能性があります」
ヴァルターは再び資料を見る。
人間側の術式と魔族側の術式では、構築思想そのものが違う。
人間側は比較的、外部補助を前提とする。
魔道具。触媒。複数人での補完。あらかじめ決められた術式構造。
対して魔族側は、個人の魔力領域を広く使う傾向が強い。
当然、全てがそうだというわけではない。
人間にも単独で複雑な術式を組む者はいる。
魔族にも外部触媒を多用する者はいる。
国家単位で完全に分類できるほど単純ではない。
だが、今回残っている構造には、少なくとも魔族式に近い特徴がある。
「どの部分だ」
「展開時の分岐構造です」
魔術師が別の紙を差し出す。
「追従型をベースに術式展開時の脅威度に応じて出力を自動的に変化させる構成になっています」
最初から攻撃経路を固定していたわけではない。
対象の防御。回避。干渉。
それらを見て、術式側が次の展開を選ぶ。設置型としては随分と高度な構成だ。
「術者の痕跡は辿れるか?」
「術者で利用する魔力もほとんど魔石から供給されていました。難しいかと」
「そうなると魔族式に見えるからといって、魔族が組んだとは限らないな」
そう言うと、警備責任者が頷いた。
「偽装の可能性もあります」
術式だけではない。魔力供給源と術式が術者から切り離されているとなると、作成者と設置者、発動者が別人である可能性もある。
「現時点で断定するな」
「はい」
「候補を狭めるのは、構造だけでは足りない」
そこでアルバートが口を開いた。
「じゃあ、何を見る?」
ヴァルターはそちらを見る。アルバートは資料を覗き込んでいた。
「場所だ」
「場所?」
「この術式が、どうやって城内に入ったか」
「誰かが持ち込んだ?」
「その可能性もある」
ヴァルターは資料を机に置く。
「だが、昨日まで何もなかった場所に突然大規模術式が現れたわけではない」
「事前に置いてた?」
「それを許す警備ではないだろう」
「じゃあ」
アルバートが少し考える。
「最初は別のものだった?」
ヴァルターは頷く。
「その可能性が高い」
術式は完成形で置く必要はない。
分割できる。隠せる。無害な魔道具に見せることもできる。
別々に持ち込み、後から接続することも可能だ。
……あるいは、最初から城内に存在する術式へ、後から機能を追加した可能性すら考えられる。
「既存術式の洗い直しをしろ」
「城内全域ですか」
「式典会場周辺を優先。次に搬入口、倉庫、使用人区画」
「分かりました」
「過去一月以内に追加された魔道具も確認しろ。出所も」
「はい」
警備責任者が頷いた。
今回の術式は、発動した瞬間だけを見れば派手だった。だが、準備はそうとは限らない。
目立たない形で長期間潜伏させた可能性もある。
和平成立前から準備していた可能性すらある。
ではいつからかだけではなく、考えるべきなのは誰を狙ったか、何故この場所でだったか、何故今だったかだ。
自分とアルバートを狙うだけなら、他にも機会はある。
戦闘訓練中。移動中。屋外。護衛の少ない時間帯。
あえて式典を選ぶ理由。
人目が多い。人間も魔族もいる。失敗しても、混乱だけは残る。成功すれば、和平に直接打撃が入る。
「和平反対派」
「なら犯人は和平が壊れたら得する人?」
「その範囲は広すぎる」
戦争で利益を得ていた者。
国境封鎖によって利権を持っていた者。
軍需。輸送。宗教。貴族。地方領主。
……そして単純に、相手種族を許せない者。
戦争が長く続けば、和平を望まない理由はいくらでも生まれる。
国家の意思と個人の感情は一致しない。和平が締結されたからといって、全員が納得するわけではない。
「人間側も、魔族側も?」
アルバートが尋ねる。
「ああ」
「じゃあ、まだどっちか分からない」
「そういうことだ」
アルバートは素直に頷いた。
「分かった」
それだけ言って黙る。
余計な断定をしない。分からないことを、分からないまま置ける。
その点は以前から変わらない。
ヴァルターは次の資料へ手を伸ばした。
その瞬間。
「三十分」
アルバートが言った。
「何が」
「休憩」
ヴァルターは机上の時計を見る。確かに三十分ほど経っている。
「あと一枚だけ」
「駄目」
「一枚だ」
「三十分って言った」
「区切りが悪い」
「区切りよくなるまでやったら休まないでしょ」
正しいのが腹立たしい。
「五分」
「駄目」
「三分」
「駄目」
「……分かった」
資料から手を離す。アルバートが満足そうに頷いた。
「うん」
宰相が視線を逸らしている。
「何だ」
「いえ」
笑っている。
立ち上がろうとすると、胸部に痛みが走る。
表情に出たらしい。アルバートがすぐこちらを見る。
「痛い?」
「ああ」
「座ってて」
「休憩するなら移動する必要があるだろう」
「ここでいい」
「執務机の前だぞ」
「仕事しなければ休憩」
「雑だな」
「でも休める」
否定できない。アルバートが近くの椅子を引き、座った。
どうやら付き合うつもりらしい。
「お前は戻ってもいいぞ」
「何で」
「休憩だろう」
「俺も休憩する」
「別に疲れていないだろう」
「一緒にいるって言った」
「そこまで厳密に適用する必要はない」
「心配だから」
そこまで心配することか、と言いかけてやめた。
昨日、自分は実際に死にかけた。
それを見た相手に対して、心配しすぎだと言うのも筋が違う。
何より、アルバートが、自分の感情をそのまま理由として使っている。
以前なら、まず見られなかったことだ。ならば今くらいは、好きにさせてもいい。
「分かった」
そう答えると、アルバートが少し笑った。随分と機嫌がいい。
ヴァルターとかいう男、文章の刻みが急に長くなる




