第3話 Mint社、人の心が分かりすぎる
翌日。
第6世代Lenovoは、昨日より少しだけ機嫌がよかった。
理由は単純である。
転職市場に出た初日にUbuntu社から声がかかり、その翌日にはLinux Mint社からもスカウトが届いた。
つい二日前まで「第6世代だから」という理由で戦力外だったPCに、である。
「もしかしてワイ、思ってたより売れ残りちゃうんか……?」
自分で言ってから、少し悲しくなった。
「売れ残り言うな。転職者や」
誰もいない部屋で、自分自身に訂正する。
今日の面談相手はLinux Mint社。
Ubuntu社ほど巨大ではない。
だが、Windows社から転職してきたPCの受け入れに強い会社らしい。
届いた案内には、こう書かれていた。
『これまでの操作経験を、無理に捨てる必要はありません』
Lenovoは、その一文を何度も読み返していた。
「……ほんまかいな」
転職とは、新しい環境に合わせることだと思っていた。
新しい操作。
新しい常識。
新しい働き方。
前職の経験など、
「それ、うちでは使いませんので」
と言われるものだとばかり思っていた。
ましてや自分は、Windows社に十年近くいた。
染みついている。
身体の隅々まで。
右クリック。
スタートメニュー。
タスクバー。
ショートカットキー。
何かあったら、とりあえず再起動。
「最後のはどこの会社でも一緒か」
Lenovoは一人で納得した。
面談開始五分前。
昨日と同じように液晶を拭く。
キーボードの隙間のホコリを飛ばす。
天板の指紋も消す。
昨日よりは、少しだけ手際がいい。
「二日も続けて面談すれば、こんなロートルでも慣れるもんやな」
Lenovoは少しだけ胸を張った。
やがて通知が出た。
『Linux Mint社 オンライン面談を開始します』
「よし」
Lenovoは参加ボタンを押した。
画面の向こうには、落ち着いた雰囲気の採用担当が座っていた。
「こんにちは。Linux Mint社の採用担当です」
「第6世代Lenovoです。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。お時間いただきありがとうございます」
昨日のUbuntu社と似た、穏やかな空気だった。
だが何か違う。
採用担当の背後に映っているデスクトップ画面を見て、Lenovoは首をかしげた。
「……なんか」
「はい?」
「ちょっと懐かしい感じしますね」
採用担当が笑った。
「よく言われます」
画面下部にはパネル。
左側にはメニュー。
見慣れた配置。
完全に同じではない。
だが、知らない世界に来た感じがしない。
「弊社では、Windows社から移ってくるPCが多いんです」
「やっぱり」
「ですので、最初から全部を変える必要はないと考えています」
Lenovoは少し姿勢を正した。
「全部、変えなくていいんですか?」
「必要なところだけ変えればいいんです」
あっさり言われた。
「前の会社で身につけたことまで、捨てる必要はありません」
Lenovoは黙った。
昨日のUbuntu社では、
『第6世代でも問題ありません』
と言われた。
それだけでも十分うれしかった。
だが、Mint社の言葉は少し違った。
古くてもいい。
ではない。
今までやってきたことを、そのまま持ってきていい。
そう言われている気がした。
採用担当は履歴書に目を通す。
「ブラウザ、文書作成、表計算、Web会議」
「はい」
「開発も少し」
「ほんの少しです」
「十分です」
まただ。
十分。
Windows社では、最後のほうになると、
第6世代。
古い。
対象外。
そんな言葉ばかり見ていた。
十分という言葉を、久しぶりに聞いた気がする。
「ところで」
採用担当が言った。
「操作環境について、何かこだわりはありますか?」
Lenovoは一瞬、固まった。
「こだわり、ですか」
「はい。長年使ってきた操作方法などがあれば」
Lenovoは少し迷った。
言うべきだろうか。
こんなことを面接で言ったら、古いPCだと思われないだろうか。
だが、どうせ隠しても仕方がない。
Lenovoは、おそるおそるキーボード中央を見た。
そこには、小さな赤い突起があった。
TrackPoint。
長年、自分の指先とともに働いてきた相棒である。
「……TrackPoint」
「はい?」
「これ、使ってもええですか?」
Lenovoは、赤い突起をそっと示した。
採用担当は少しだけ目を丸くした。
「もちろんです」
「ほんまに?」
「なぜダメなんです?」
「いや……最近はタッチパッドのほうが普通かなと」
「使いやすいほうを使えばいいと思いますよ」
「でも、古いって笑われたり……」
採用担当は首をかしげた。
「今でも使えるんですよね?」
「使えます」
「では問題ありません」
Lenovoは、TrackPointにそっと触れた。
赤い。
少しだけ表面が擦れている。
だが、まだちゃんと動く。
「ホームポジションから手ぇ離さんでええんですよ」
「はい」
「マウスまで手ぇ伸ばさんでええし」
「はい」
「慣れたら速いんですよ、これ」
「分かりました」
「ほんまに便利なんですって」
「Lenovoさん」
「はい」
「そこまで説明していただかなくても、使用を禁止する予定はありません」
「……すみません」
熱くなりすぎた。
だが、不思議だった。
恥ずかしいとは思わなかった。
Windows社では、自分の古さを隠したくなっていた。
ここでは、昔から使ってきたものを堂々と話せる。
「ちなみに」
採用担当が言った。
「弊社ではCinnamonという環境が中心です」
「シナモン?」
「はい」
「おしゃれな名前ですね」
「比較的、Windows社から来たPCには馴染みやすいと思います」
画面が共有される。
デスクトップ。
メニュー。
タスクバーに似たパネル。
システムトレイ。
「…………」
Lenovoは食い入るように見た。
「これ」
「はい」
「ワイでもいけそう」
「そう思っていただければ」
「スタートボタンみたいなん、ありますやん」
「メニューです」
「まあ、名前はどうでもええです」
採用担当が笑った。
「ショートカットも、これまでの感覚をある程度活かせます」
「Ctrl+Cとか?」
「使えます」
「Ctrl+V?」
「使えます」
「Alt+Tab?」
「使えます」
Lenovoのファンが少し回った。
「めっちゃ普通やん」
「普通に使えることを目指しています」
その言葉が妙に強かった。
普通に使える。
ただ、それだけ。
だが、転職を考え始めてからLenovoはずっと、
「新しい環境に行くなら、全部覚え直さなければならない」
と思い込んでいた。
「ターミナルは……」
恐る恐る聞く。
採用担当は笑った。
「ありますよ」
「やっぱり」
「でも、何でもかんでもターミナルで操作する必要はありません」
「Ubuntu社でもそう言われました」
「それはそうでしょうね」
「でも最後に『仲良くなったほうがいい』って」
「それも正しいです」
逃げ道はなかった。
「Linux業界、そこは共通なんですね」
「まあ」
採用担当は少し笑った。
「必要になったら覚えればいいんですよ」
「必要になってから?」
「最初から全部知っているPCなんていません」
Lenovoは黙った。
その言葉も、少し刺さった。
最近のPCはすごい。
NPU。
高性能GPU。
大容量メモリ。
高速SSD。
自分にはない。
だから、新しい環境に移るなら、自分も何もかも覚えて追いつかなければならない。
そう思っていた。
だが。
できるところから始めればいい。
それだけの話なのかもしれない。
「Lenovoさん」
「はい」
「前職が長かったことを、弱みだと思っていますか?」
急に聞かれた。
Lenovoは答えに詰まった。
「……まあ」
少し考える。
「新しい環境には、向いてないんかなって」
「私は逆だと思います」
「逆?」
「長く使ってきた操作があります」
「はい」
「長く続けてきた仕事があります」
「はい」
「それは経験です」
Lenovoは何も言わなかった。
「新しい環境に来たからといって、その経験を全部リセットする必要はありません」
採用担当は続けた。
「弊社は、Windows社から来たPCに、別のPCになれと言っているわけではないんです」
「……はい」
「Lenovoさんのまま働いてください」
Lenovoは、画面を見つめた。
一瞬だけ、返事ができなかった。
数日前まで。
自分が第6世代であることが問題だった。
古かった。
時代遅れだった。
取り残された側だった。
でも。
Lenovoのままでいい。
そんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。
「……ずるいな」
小さく呟く。
「何か?」
「いや」
LenovoはTrackPointに触れた。
「そういうこと言われたら、入りたくなるやん」
採用担当は笑った。
「ぜひご検討ください」
「営業うまいですね」
「採用担当ですから」
面談はその後も続いた。
ソフトウェア。
アップデート。
セキュリティ。
サポート。
そして、面談終了の時間になった。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
Lenovoは頭を下げた。
接続を切る。
画面が暗くなる。
しばらく、何も言わなかった。
Ubuntu社は良かった。
大きい。
安心感がある。
情報も多い。
長く働けそうだった。
でもMint社には、別の魅力があった。
「前の会社の経験、捨てんでええんか……」
Lenovoは、赤いTrackPointをゆっくり撫でた。
「お前もまだ現役やって」
もちろんTrackPointは何も答えない。
だが今日は、少し誇らしそうに見えた。
そのとき。
ポーン。
メールが届いた。
Lenovoは少し身構えた。
「まさか、また?」
メールを開く。
件名。
『採用面談のご案内』
差出人。
――Debian社 採用担当。
本文は、Ubuntu社やMint社よりもずっと短かった。
『履歴書を拝見しました。
年式は問いません。
安定して動くPCを募集しています。
一度、お話を聞かせてください。』
Lenovoはしばらく黙った。
そして。
「……三社目?」
つい二日前まで戦力外だった第6世代Lenovo。
転職市場に出て、まだ三日目。
Linux三社から声がかかった。
「いや待て」
Lenovoは画面を見つめる。
「ワイ、もしかして結構モテるんか?」
カタッ。
机の上で、筐体が少しだけ揺れた。
Lenovoは無言で、ゴム足のない角を押さえた。
つづく




