第2話 大企業Ubuntu社、福利厚生が強すぎる
翌日。
第6世代Lenovoは、朝から落ち着かなかった。
「オンライン面談って、何着ていけばええんや……」
もちろんノートPCなので服は着ない。
だが、気分の問題である。
いつもより念入りに液晶を拭いた。
キーボードの隙間に入ったホコリも飛ばした。
天板についた指紋も消した。
ついでに底面のゴム足も確認した。
三つ。
増えてはいなかった。
「まあ、そらそうやな」
少しだけ期待した自分が恥ずかしい。
今日はUbuntu社とのオンライン面談だった。
昨日までの自分なら、こんな大企業と話す機会など想像もしていなかった。
Windows社を退職することになった第6世代。
転職市場に出れば、
『年齢不問! ※ただし第8世代以降』
とか、
『即戦力募集! ※最新CPU搭載機に限る』
とか、
そういう求人ばかりなのだろうと思っていた。
ところが。
最初に連絡してきたのは、Linux業界でも名の知れたUbuntu社だった。
「なんでワイなんや……」
面談開始まであと五分。
Lenovoは求人票をもう一度読み返す。
経験者歓迎。
幅広いハードウェアの受け入れ実績あり。
長期サポート制度あり。
充実した情報共有。
巨大な利用者コミュニティ。
「……福利厚生、強ない?」
Windows社しか知らないLenovoには、それが妙にまぶしく見えた。
やがて画面に通知が出た。
『Ubuntu社 採用面談が開始されます』
Lenovoは一度深呼吸した。
ファンが少し回った。
「よし」
参加ボタンをクリックする。
画面の向こうに現れたのは、オレンジ色のネクタイを締めた採用担当だった。
「こんにちは。Ubuntu社採用担当です」
「第6世代Lenovoです。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。お時間いただきありがとうございます」
穏やかな声だった。
もっとこう、
「第6世代? えっ、まだ動くんですか?」
くらい言われると思っていたLenovoは、少し拍子抜けした。
採用担当は履歴書に目を落とした。
「Windows社には長かったんですね」
「はい。新人の頃からずっとです」
「主な業務は?」
「ブラウザ、文書作成、表計算、メール、Web会議……あと、ちょっとした開発も」
「なるほど」
採用担当は何やらメモを取った。
「SSD換装済み」
「はい」
「メモリ8GB」
「はい」
「無線LAN、問題なし」
「はい」
「キーボードも?」
Lenovoは胸を張った。
「全部生きてます」
少し間を置いて付け加える。
「テカってますけど」
採用担当が笑った。
「使用感は職歴ですから」
Lenovoは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
使用感は職歴。
Windows社では、傷やテカリは単なる老朽化だった。
ここでは、それを働いてきた証拠として見てくれるらしい。
「……ええ会社やん」
思わず口から漏れた。
「何か?」
「いえ、何でもないです」
危ない。
まだ面接中だ。
採用担当は続けた。
「CPUについてですが、第6世代とのことですね」
来た。
Lenovoの筐体が硬くなる。
ここからだ。
昨日と同じ流れになる。
第6世代ですね。
残念ですが。
弊社の基準では。
そう言われる覚悟をした。
「はい」
「問題ありません」
「……はい?」
「弊社では、その世代でも十分働けます」
Lenovoは固まった。
「いや、第6世代ですよ?」
「存じています」
「最新ちゃいますよ?」
「はい」
「NPUとか付いてませんよ?」
「必要な仕事をさせなければいいだけでは?」
あっさりしていた。
あまりにもあっさりしていた。
Lenovoは思わず聞き返した。
「え、それだけですか?」
「それだけ、とは?」
「いや、その……もっとこう……将来性とか」
採用担当は首をかしげた。
「Lenovoさんに、最先端AI処理をローカルでやっていただく予定はありません」
「ですよね」
「4K動画を何本も同時編集していただく予定もありません」
「無理です」
「では、何か問題がありますか?」
Lenovoは答えられなかった。
問題。
問題とは何だろう。
第6世代であること。
古いこと。
最新ではないこと。
それは昨日まで、自分の中では全部「問題」だった。
だが、この会社ではそうではないらしい。
採用担当は画面を共有した。
「弊社にはLTSという制度があります」
「えるてぃーえす?」
「長期サポートです」
Lenovoの目が光った。
「長期?」
「はい」
「サポートしてくれるんですか?」
「します」
「途中で急に『お前もう対象外な』とか……」
採用担当は少し困ったように笑った。
「永遠とは言いませんよ」
「そらそうですよね」
「ただ、長く安定して働きたい方には向いています」
Lenovoは求人票を二度見した。
長期サポート。
長く安定して働きたい方。
その言葉が妙に胸に刺さる。
昨日、Windows社では、
『あなたはもう、この会社で働けません』
と言われた。
今日は、
『長く働きたい方には向いています』
と言われている。
一日で世界は変わるものらしい。
「研修とかって、あります?」
Lenovoは聞いた。
「もちろんです」
採用担当は即答した。
「公式ドキュメントがあります」
「はい」
「Wikiがあります」
「はい」
「フォーラムがあります」
「はい」
「ブログ記事があります」
「はい」
「動画もあります」
「はい」
「それでも分からなければ検索してください」
「検索?」
「だいたい誰かが先に同じことで困っています」
Lenovoは吹き出した。
「それ研修制度なんですか?」
「弊社では非常に重要な文化です」
採用担当は真顔だった。
「エラー文は、そのまま検索してください」
「そのまま?」
「余計な日本語を足さないでください」
「急に具体的やな」
採用担当は遠い目をした。
どうやら何かあったらしい。
「英語の情報しか出ない場合は?」
「翻訳してください」
「力技やな」
「Linux業界ではよくあることです」
Windows社とはずいぶん文化が違う。
だが、不思議と嫌ではなかった。
採用担当はさらに資料をめくる。
「業務でソフトウェアを導入する場合は、基本的にパッケージ管理を利用します」
「パッケージ管理?」
「はい。必要なものを一元的に管理します」
「ほう」
「ターミナルからコマンドを打つこともあります」
Lenovoの顔が引きつった。
「黒い画面ですか?」
「黒い画面です」
「文字だけの?」
「文字だけの」
「ワイ、あれ映画でハッカーが使うやつやと思ってたんですけど」
採用担当は笑った。
「慣れると便利ですよ」
「ほんまかいな……」
「最初は皆さんそうおっしゃいます」
その言葉にLenovoは少し安心した。
自分だけではない。
Windows社から来たPCが戸惑うことを、この会社は知っている。
「それと」
採用担当が言った。
「弊社ではデスクトップ環境も整っていますから、全部をターミナルでやる必要はありません」
「よかったぁ……」
思わず声が出た。
「いきなり全部CUIだったら辞退しようかと思いました」
「そこまでスパルタではありません」
「安心しました」
「ただし」
採用担当が一瞬だけ真顔になる。
「ターミナルと仲良くなっておくと、将来かなり楽です」
「……善処します」
中年社員らしい返答だった。
面談は一時間ほど続いた。
仕事内容。
サポート体制。
必要な知識。
移行の手順。
そして最後に、採用担当が尋ねた。
「Lenovoさんから、何か質問はありますか?」
Lenovoは少し考えた。
聞きたいことは山ほどあった。
でも、一番聞きたいことは決まっていた。
「あの」
「はい」
「ほんまに、ワイでええんですか?」
採用担当は少し驚いた顔をした。
「どういう意味でしょう」
「第6世代で」
Lenovoは自分の筐体を見る。
「底面のゴム足も一個ないですし」
採用担当は黙った。
そして初めて、Lenovoは、
「あ、これはアカンかったかもしれん」
と思った。
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「ゴム足は、交換できますよ」
「…………」
「部品があれば、ですが」
Lenovoのファンが回った。
なぜかCPU温度が少し上がった。
「……交換してくれるんですか?」
「業務上必要なら検討します」
Lenovoは天井を見上げた。
危なかった。
泣くところだった。
ゴム足で。
「最後に一つだけ」
採用担当が言った。
「弊社は大きな会社です」
「はい」
「その分、選択肢も多いです。情報も多いです。良くも悪くも、何でもあります」
「なるほど」
「ですから、最初は少し迷うかもしれません」
「会社の中で?」
「会社の中で」
採用担当は微笑んだ。
「ただ、困ったら検索してください」
「結局そこなんですね」
二人で笑った。
オンライン面談が終わる。
画面が暗くなった。
Lenovoはしばらく、そのまま動かなかった。
門前払いではなかった。
笑われなかった。
第6世代だからといって、話を打ち切られもしなかった。
それどころか。
自分の経験を聞いてくれた。
できることを見てくれた。
「……ワイ」
Lenovoは呟いた。
「まだ市場価値あったんやな」
カタッ。
底面が少し揺れた。
「お前は黙っとれ」
ゴム足のない角を軽く押さえる。
その瞬間。
ポーン。
またメールが届いた。
「ん?」
Ubuntu社からの面談後のお礼だろうか。
そう思って開く。
違った。
件名。
『中途採用のご案内』
差出人。
――Linux Mint社 採用担当。
本文の一行目には、こう書かれていた。
『Windows社でのご経験を、そのまま弊社で活かしてみませんか?』
Lenovoは画面を見つめた。
「……また来た」
昨日まで戦力外だった中年ノートPCに。
二社目のスカウトが届いた。
「転職市場、どうなっとんねん……」
カタッ。
机の上で、筐体が少しだけ揺れた。
つづく




